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« 羊頭狗肉の民主主義 | トップページ | 日本民族 決起の時来る »

2010年11月13日 (土)

神説 国防論

すべての物事には陰と陽の働きがある
そして国防にも陰と陽がある
国防に於ける陰の働きは霊的な護りであり
陽の働きは軍事的な護りである
陰と陽、両方の国防を為すことで
日本は真の国防が可能になるのである

はじめに
現在我が国の国防は機能しているのでしょうか?
本当にいまのままで、我が国は安心なのでしょうか?
国家は国民の生命と財産を守る義務があります。
本当に我々国民を守るための国防と言う義務はなされているのでしょうか?
今こそ日本国民は、我が国の真の国防について、真剣に考える時ではないでしょうか?

大東亜戦争終結後、日本は戦争に負けて軍国主義から開放され、アメリカによって民主主義がもたれされたことで、あらゆる『自由』を謳歌できる素晴らしい国になったのだ、と多くの日本人は今日に至るまで思い込まされています。
日本が戦争に負けなければ自由な社会はなかったとか、戦争に負けてよかった、と言う話をよく聞くこともあります。
では戦後60余年を経て、日本はGHQによる民主主義によって本当に素晴らしい国になったのでしょうか。
一般庶民は戦後の飢餓状態の中で将来のことなど考えも及ばなかった事と思いますが、
そのような中GHQは着々とあらゆる違法な手段を用いて、日本と日本民族を根底から破壊してきました。
その結果、今日本の國體(我が国固有の御神勅に基づく国のあり方)が崩壊の危機に瀕し、日本民族の存続が危ぶまれる状況にまで至っている事に気が付いている日本人は一体どれほどいるのでしょうか。
大東亜戦争に於いては、今は亡き英霊の皆様方が、美しい祖国と日本の将来のために命を捧げて戦ってくれました。
1945年8月15日に終結したのは武器を用いての戦いですが、その後、新たにGHQによる日本人の精神を破壊する攻撃は今日まで続いているのです。
一見、今日のありふれた幸せな日常が明日も明後日も、10年後20年後と未来永劫同じように継続していくだろう、と何気なく毎日を過ごしている日本人が大半だと思います。
ですが未来に、私達の子孫に本当に素晴らしい日本を残すためには、今、じわじわと真綿で頸を絞めるが如く襲いかかって来る『敵』と戦い、勝たなければ未来永劫『日本』は地球上から無くなってしまうかもしれないのです。
『知らなかった』では済まされない日が、もう其処まで来ています。

戦後60余年もの間、私達はGHQによってどのような仕打ちを受け、どのような呪縛を受け続けてきたのかを、客観的に知る必要があります。
GHQは日本人に対して、自らを貶める自虐史観を潜在意識に無意識の内に刷り込んで、二度と日本人として
誇りを持つことが出来ないようにしてきました。
そしてその後、日本・支那・朝鮮の反日勢力と欧米列強がその自虐史観を大いに利用にて、
巧妙に自らの利益を誘導しています。
彼らにとって日本人は、永久に自分達の奴隷である事、そして永遠に搾取し続ける事を望んでいます。その為には手段を選ばないでしょう。
この様な洗脳と呪縛から解き放たれるためには、先ず真実を知る必要があります。

戦後、多くの人々はGHQの占領政策によって「自虐史観」を正しいものだと信じ込まされてきました。
さらに戦後生まれの人たちは、教師や親が教える事は正しいものだと思い、それを次の世代へとまた伝えてきました。
間違った歴史認識を持った教師や親も、自分達も騙されたのだから被害者だ、と責任逃れをするかもしれません。
けれども大人になれば、疑問に思えば自分で真実を調べる事もできますし、より深く考える事も出来るのです。
自分の祖国のことについて、いつまでも押し付けられた「自虐史観」を持ち続け、知らぬ存ぜぬで通し続け、挙句に次の世代にまた「誤った自虐史観」を押し付ける事は、明らかに無責任な行為です。

平成21年4月5日、NHKが「JAPANデビュー」第一回「アジアの一等国」と言う番組の中で
戦前の日本の台湾統治についてあからさまな史実の捏造を行い放送されました。
衛星放送である日本文化チャンネル桜がこのNHKの放送内容を一つ一つ丁寧に検証した結果、事実に反して一方的な『やらせ』取材をし、虚偽の事実を捏造した極めて悪質で偏向した者である事が次々と明らになりました。
従軍慰安婦問題など、マスメディアは戦後60年以上たった今でも史実を歪曲し、新たな自虐史観を作り上げ、更にそれを国民に押し付けようとしているのです。

マスメディアで報道されているからと言って、それが正しい事かどうか分りません。
今回のNHKのように全くのデタラメを作為的に真実として報道していることも多々あるのです。
最近はインターネットなどで簡単に情報を得る事が出来るようになったのですから、鵜呑みにせず、真実がどこにあるのかをしっかりと見極める目を養う事が重要です。

1.呪われた日本民族
☆アメリカによって仕組まれた真珠湾奇襲攻撃

昭和16年(1941)12月7日午後1時30分(現地時間、日本の日付では12月8日)、
日本海軍はアメリカ太平洋艦隊の基地であるハワイ・オワフ島南岸の真珠湾(パールハーバー)を攻撃しました。
これが所謂「真珠湾攻撃」です。
ここに日米両国による最大の戦争「大東亜戦争」(戦後GHQによって太平洋戦争と呼ばれることになる)が幕を切って落とされました。
しかしこの日本軍による攻撃を、アメリカは「真珠湾奇襲」(騙し討ち)と呼び『Remenmber Pearl Harbor!』(真珠湾を忘れるな!)と言って、軍を鼓舞したのです。
けれども真珠湾攻撃は本当にアメリカが主張するような「奇襲」だったのでしょうか?
日本が真珠湾を攻撃したのが、12月7日の午後1時30分(現地時間)です。
しかしワシントンの日本大使館がアメリカ側に「国交断絶通告」つまり「宣戦布告」を届けたのは、真珠湾攻撃から30分後の午後2時(現地時間)でした。
「真珠湾攻撃」が先で「宣戦布告」が後となってしまったことで、これが後々まで「騙し討ち」と言われる事となった所以です。

ところが1999年5月25日、アメリカ上院・真珠湾攻撃当時のハワイで降格させられた、ウィリアム・シュート海軍大将、ハズバンド・キンメル陸軍中将の名誉回復決議でルーズベルト政権の上層部が、日本軍の攻撃を知りつつ現地軍司令官に「意図的」に連絡しなかった事実があることが情報公開施行後、それまで隠蔽されていた公式文書で明らかになり、真珠湾奇襲攻撃はアメリカが既に察知していたが、戦争を開始する世論を形成するために先制攻撃させたと言うことが、アメリカ議会でも明確に認識されました。

さらに1991年11月22日に放送された米ABCテレビ番組「20/20」によると、フライング・タイガースと呼ばれたアメリカの義勇航空隊のシェンノート指揮官等が中心となって、日本の弾薬工場や産業施設を爆撃する計画が立案されていて、日本軍の真珠湾攻撃の5ヶ月も前の1941年7月23日に、ルーズベルト大統領だけでなく、当時の陸軍長官、海軍長官などによって承認されていたと言う事が明らかになり、実際には準備に手間取っている内に真珠湾攻撃が始まったので、この計画は実施されませんでしたが、アメリカ政府が対日先制攻撃を仕掛ける国家意思を抱いていた事は明白です。

つまりアメリカは、対米先制攻撃を通して日本に騙し討ちの汚名を着せるため工作したことが近年明らかになったのです。

この日米開戦のきっかけとされた『Remenmber Pearl Harbor!』(真珠湾を忘れるな!)と言う意識は、日米双方の国民を洗脳し、解き難い「呪い(洗脳)」をかけたのです。
日本に対して卑劣な奇襲攻撃を行ったと言うレッテルを貼ることで、アメリカ人は日本人を憎み、挙国一致で対日戦に立ち上がり、『Remenmber Pearl Harbor!』はアメリカ人の合言葉となり、ジャップを徹底的に懲らしめることに情熱と使命感を燃やしたのです。
現代に於いても多くのアメリカ人が日本本土空襲による非戦闘員の大量殺戮や原爆投下の非人道的な攻撃に対して、日本による侵略戦争を早く終結させる為と言う肯定的な意識を持ち続けているのは、この「日本が憎い」と言う「呪い(洗脳)」にかかり続けているからです。
また終戦後、日本人はGHQによって徹底的に真珠湾攻撃と言う騙し討ちによって開戦したのだと言う贖罪意識をあらゆる手段を用いて洗脳され、戦後60年以上を経た今日までも、その呪縛に苦しみ続けているのです。

☆GHQが日本にかけた呪い
GHQは日本に対して大きく三つの呪いをかけました。
第一に皇室、第二に日本民族、第三にアジア諸国にそれぞれに、二度と白人社会に歯向かう事の無いよう、幾重にも亘る呪いをかけたのです。

第一、皇室への呪い
皇室への呪いとは、GHQが日本を占領統治終戦直後に、十一宮家の廃絶と庶系庶子の相続禁止(側室制度の廃止)を押し付けた事で、皇位継承権があると認める男系男子の誕生確率を著しく引き下げられた事です。
これはGHQが「自らは手を汚さずに数十年後に天皇制度を自然消滅させる」としたことは明らかです。
また国会で皇室典範の改正が審議できるようにされたことで、場合によっては天皇制度廃止の議論さえ可能にしたことです。
そして最大の呪いとして、東京裁判の起訴を昭和21年4月29日の昭和天皇誕生日に、またA級戦犯の死刑執行日を昭和23年12月23日、当時の皇太子殿下(今上陛下)の誕生日とし、A級戦犯の方々の遺骨を粉々に砕いて東京湾にばら撒いたことで、日本本土と皇室を穢れさせ、皇室の滅亡を仕組んだのです。
その呪いのせいか、秋篠宮文仁親王殿下以来、悠仁親王ご誕生までの41年間に亘って、皇族に男子のご出生はありませんでした。
悠仁親王殿下ご誕生の直前には、最早皇室に男子の出生は見込めないと言う事で、小泉元首相の早計な判断、あるいは謀略によって、皇室問題には門外漢の反日左翼思想の人々で固められた有識者会議なるものを作り、皇室典範を改正して女系による皇位継承を認めさせ、天皇家解体を目論んでいたのです。
しかしながら彼らにしてみればあと一歩、と言うところで、秋篠宮紀子妃殿下の御懐妊によって、女系天皇容認と言う皇室典範改正は棚上げになったのです。
紀子妃殿下の御懐妊はまさに神のご加護と言う他ありません。

第二、日本民族への呪い
日本民族への呪いは、徹底的に「日本軍=悪、連合軍=善」と言う歴史観を植え付けることでした。
そこで「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(日本の戦争犯罪宣伝作戦)を策定し、アメリカ国務省の編纂文書『平和と戦争』(1943年)などに基づいて書かれた「太平洋戦争史」を各新聞に掲載させ、NHKラジオで「真相はかうだ」や「太平洋戦争史」をドラマ仕立てで週一回、日曜午後8時と言う家族が揃う時間帯に10回に亘って放送させました。
そして極東軍事裁判は、こうした「日本軍=悪、連合軍=善」と言う歴史観をさらに強めるために行われた戦勝国による一方的な復讐裁判だったのです。
また戦前よりも過酷な言論統制を強いて、連合国批判、東京裁判批判につながる一切の言論が封じ込められました。
「削除または掲載発行禁止の対象となるもの」として30項目からなる検閲指針が次のようにまとめられ徹底されました。

1.SCAP-連合国最高司令官(司令部)に対する批判、2.極東軍事裁判批判、3.SCAPが憲法を起草した事に対する批判、4.検閲制度への言及、5.合衆国に対する批判、6.ロシアに対する批判、7.英国に対する批判、8.朝鮮人に対する批判、9.中国に対する批判、10.他の連合国に対する批判、11.連合国一般に対する批判、12.満州に於ける日本人取り扱いについての批判、13.連合国の戦前の政策に対する批判、14.第三次世界大戦への言及、
15.ソ連対西側諸国の「冷戦」に関する言及、16.戦争擁護の宣伝、17.神国日本の宣伝、18.軍国主義の宣伝、19.ナショナリズムの宣伝、20.大東亜共栄圏の宣伝、21.その他の宣伝、22.戦争犯罪人の正当化および擁護、23.占領軍兵士と日本女性の交渉、24.闇市の状況、25.占領軍軍隊に対する批判、26.飢餓の誇張、27.暴力と不穏の行動の扇動、28.虚偽の報道、29.SCAPまたは地方軍政部に対する不適切な言及、30.解禁されていない報道の公表

また「大東亜戦争」という用語を「太平洋戦争」と言う用語に代えさせ、白人からの開放の為の聖戦であるとする認識から、侵略戦争であると言う認識に国民を洗脳したのです。
さらにGHQは「軍国主義・超国家主義」を生み出した悪の源泉こそが「国家神道」であると考え、精神的武装解除のために国家神道を解体するべく、昭和20年12月15日に「神道令」を作り、また神社を包括する神社本庁をGHQの手によって設立し、佐藤尚武氏(終戦当時駐ソ大使、戦後代議士であり、元衆院議長、元外相で外交界の長老でした。1950年にフリーメーソンに入会したと言われている人物)が総代会会長に任命されました。

第三、アジア諸国への呪い
アジアへの呪いとは、東京裁判によって大東亜戦争を日本のアジアに対する侵略行為として位置付け、「南京大虐殺」を捏造し、日本が掲げた「欧米列強による植民地支配に代わって、共存共栄の新秩序を東亜(アジア)に樹立する」大東亜共栄圏と言う構想を根絶する事にありました。
そもそもこの「南京大虐殺」は「戦争プロパガンダ」と呼ばれる、第二次世界大戦中の1944年にフランク・キャプラ監督によって制作された映画に起源があると言われています。
この映画の目的はアメリカ人に反日感情を植え付けるものであり、日本軍が如何に卑劣であるかを示す事で、アメリカが戦争を望まない自国民に開戦への理解を示すために制作されたものでした。
アメリカはこの映像を真実の記録だとして東京裁判で証言する事で、日本各地への大空襲や広島と長崎へ投下した原爆による、未曾有の日本の民間人に対する無差別大虐殺を正当化したのです。
しかしこの映画の中での日本軍による虐殺シーンとされている映像が、実は中国国民党軍兵士による共産党員処刑の映像であり、国民党兵の服装を隠すために映像の右半分をカットしていたと言う証拠などから、これらの日本軍の残虐行為とされた映像は、部分的に捏造する事で実際にはあり得なかった架空のものであることが判明しています。
日本の歴史学者は中国政府が南京大虐殺の証拠として提示した一つ一つの写真を検証し、日本軍の残虐行為を証明できる写真は一つも無いと言う結論に達したのです。
しかしながら戦後60年以上を経た今日までも、この映像は事実であるとして世界中に認知されており、捏造である事を日本政府は抗議もせず、大手マスコミは黙殺し続けています。
また昭和58年には吉田清治という文筆家が「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」と言う著書の中で、日本軍によって慰安婦が強制徴集されたと言う、いわゆる「従軍慰安婦」を捏造し、朝日新聞が何度となく報道し続けました。
当時首相だった宮沢喜一氏が首脳会談で謝罪を繰返し、「真相究明」することを約束し、その後政府の調査の結果、当時の河野洋平官房長官が「日本による強制連行はあった」とする河野談話を発表しました。
そして日本の歴史教科書にまで記載されるようになったのです。
ところがその後の研究の結果、事実無根である事が判明し、さらに1996年、吉田清治本人が「全てフィクションである」と認めているのです。
この「従軍慰安婦」の捏造についても、明らかになったにも拘わらず、今日まで大手マスコミは無視し続けています。
さらに1995年7月には村山富一元首相によって『女性のためのアジア平和国民基金』が設置され、日本政府は『自称従軍慰安婦』に対して、首相の「おわびの手紙」と200万円の「償い金」の支給、さらに医療・福祉のため、韓国、台湾、オランダに300万円相当、フィリピンに120万円相当の支出を決めたのです。
この基金が設立された翌年には「従軍慰安婦」を捏造した吉田清治本人が「全てフィクションである」と発表したにも拘らず、2007年3月に解散するまで続けられました。
日本国政府が自虐史観に基づいた見解を持ち続ける限り、今後も次々と悪質に捏造された歴史を突きつけられ、国民の税金は日本国民の為にではなく、ずるがしこくゆすり、たかりをする国々のために使われ続けることでしょう。

2.神国日本民族である自覚を取り戻すために
☆自虐史観からの脱却

我が国は古来より「神国」「神州」と称してきた歴史があります。
我が日本国は豊葦原瑞穂国とも言い、造化の神々によって造られた国であり、神々の子孫である天皇により、万世一系の連綿と続いてきた皇統によって統治されてきた国柄です。
GHQによって日本の真の歴史観を奪われるまでは、神々の子孫である天皇と日本国民とは固く強く結びついており、天皇も国民も一様に神の子孫であると言う観念がありました。
多くの日本人は天皇の臣民である、と言う誇りがあったからこそ、誇り高く気高い民族として存在する事が出来たのです。
ところが終戦後、昭和21年1月1日、昭和天皇が「昭和21年年頭の詔書」を発せられましたが、マスコミはこれを曲解して天皇の「人間宣言」であるとして、天皇の御神格を引き摺り下ろそうとしたのです。
けれどもその内容は主に、民主主義は外国から持ち込まれた概念ではなく、日本に元からある五箇条のご誓文に基づくものである事を明確にされたものであり、昭和天皇は神の子孫であられることを否定されたものではありませんでした。
このようにGHQや反日左翼勢力によって戦後60年以上に亘って、天皇と日本国民の君臣一体感の破壊、また「日本軍の侵略行為」「南京大虐殺」「従軍慰安婦」などを歴史的事実として捏造され、国を挙げて義務教育から徹底的に自虐史観を植え付けられ、日本中に浸透させられてきました。
その結果、日本の美しい神話に基づいた歴史観や国柄、天皇の臣民であると言う誇りを失ってしまったのです。
このような自虐史観に基づいた捏造された歴史教育は国民から自信と希望、また国家に対する信頼をも失わせてしまいます。
国歌に対する信頼を失ってしまえば、当然愛国心をも失くし、最終的には国に対する帰属意識を失った浮き草のような、ただ自分のみが良ければ後はどうでも良いと言う、個人主義の人間しかいなくなってしまいます。
そうなった時、最早『日本』と言う国は存在しなくなってしまいます。
誰一人、祖国を守るという意識が無ければ、万一他国の攻撃を受けるような事態が起きた時、この国は間違いなく容易に侵略されてしまうでしょう。
そうならない為には、先ず大人が正しい歴史認識を積極的に学び、子供たちにそれを正しく伝える事で、我が国の真実の歴史を後世に伝えていかなければなりません。
そして私達日本人は、GHQによって奪われた正しい歴史認識を学ぶ事で、自国に対する自信と誇りを取り戻し、未来への明るい希望を持てるようにするべきです。

☆神国日本民族としての敬神崇祖の復活
「敬神崇祖」とは読んで字の如く「神を敬い」「祖先を崇める」と言うことです。これは日本の尊い伝統です。
日本人の考える「神」とは本来、一神教の神や新興宗教の神のような特定の神ではなく、八百万の神々であり、自然そのものに神が宿ると考え、大いなる大自然の力によって生かされているという謙虚な畏敬と感謝の念でした。
戦前には家々には必ず神棚があり、伊勢神宮の御神札(神宮大麻)と氏神様や崇敬する神社の御神札をお祀りしたり、台所には荒神様など火や水の神さまをお祀りしてきました。
一家揃って神棚の前で拝礼し、毎日の安泰を神様に感謝すると共にこれからの除災と招福のご加護を頂けるようお祈りする事は、祖先から受け継がれてきた美しい伝統でした。
明治天皇様の御製に
目に見えぬ 神にむかひて はぢざるは 人の心の まことなりけり
とある通り、常に清い心を培っていく事が日本人の生活の規範であり理想とされてきました。
そのような心のあり方を『あかき心』と言い表し、神慮に適う誠の心として尊んできたのです。
また神様とは別に、祖霊舎や仏壇に祖先をお祭りし、ご先祖様を敬い感謝する心を大切にしてきました。
神式による年祭などは神葬祭の翌日から翌日祭に始まり、故人となった日から十日目ごとに5回行う毎十日祭や百日祭が行われ、その後は一年祭、三年祭、五年祭、十年祭、二十年祭、三十年祭、四十年祭、五十年祭、百年祭と祭儀が営まれ、以後は百年ごとに行われるなど、故人を手厚くお祭りしてきました。
このように日本人は遠い昔から、神様、ご先祖様を敬い、感謝をする心を大切にしてきたのです。
このような「敬神崇祖」の心をもって、神社のお祭りを守り伝え、あるいはお墓参りやご先祖様のお祭りをおこなってきましたが、お祭りを行う大きな意義とは「感謝と慰霊」の誠を捧げることで、神様やご先祖様と、自分との間の命のつながりを確認し、遠い先祖や家族との絆を深めていく事にあります。
ところが戦後、GHQによって「敬神崇祖」と言う伝統的な美風を崩壊させる事で、日本と言う国家を根底から解体しようと画策されたのです。
その結果、日本民族は天皇の臣民であると言う天皇と国民、神様や祖先、家族とのつながりを断絶し、その結果地域共同体との連帯意識も薄れ、個人を孤立させ個人主義を蔓延させる温床を作り出したのでした。
個人主義がはびこる現代日本において、もし国難が迫ったとしても、一致団結して祖国のために立ち上がると言う人が一体どれほどいると言うのでしょうか。
祖国のために命をかける日本人を骨抜きにすることこそ、GHQの目論見だったのです。
祖国愛に満ちた誇りある日本人を取り戻すためには、敬神崇祖の復活が絶対に必要です。
その為には先ず神棚を設けて、家庭祭祀を復活させる事が大切です。
神棚とは伊勢の神宮大麻をお祀りするところであり、神宮大麻をお祀りすると言う事は、皇祖天照大御神をお祭するということだからです。
皇祖神であられる天照大御神は天皇家の祖神であると共に私達日本民族の総氏神としての御神格であられ、天皇と日本国民とは共通の神話のもと、一様に神の子孫であると言う観念があったところから、天皇も国民も神々の子孫として、その祖先の神々をお祀りすることを古来から行ってきたのです。
天皇陛下の祈りとは、ひたすら「国安かれ、民安かれ」と天照大御神に祈念する「無私」の祈りであり、それに呼応するのが神様への感謝と言う私達日本国民の祈りなのです。
このように国民等しく「神宮」を崇敬するところに、麗しい君臣一体の国柄が見られるのです。
そして祖霊舎などを設けて祖先をお祭りし、家族で先祖を敬う気持ちを形に表す事で、家族の絆を深めていく事が出来るのではないでしょうか。
そして先ず家族がお互いに信頼できるようになれば、その思いは必ず地域や社会へと広がっていく事でしょう。

☆修身教育と教育勅語の復活
「修身」とは身を正しく修めて立派な行いをするように努める、と言う意味です。
戦前、我が国では小・中学校において学校教育に「修身」と言う科目があり、古今東西の偉人・賢人達の具体的エピソードを通じて「正直・謙虚・礼儀・勤勉・公益・勇気」と言った儒教的な道徳に基づく科目を子供たちに教えていました。
修身教育の根本方針は、「自己・家族・友人・社会・国家」に対する、国民が守るべき14の徳目を説いている「教育勅語」の趣旨に基づくべき事が決定されました。
教育勅語は明治23年10月30日に国家の基盤となるものとのお考えから明治天皇によって国民に下賜されました。
この教育勅語によって我が国の道徳の基盤、教育の理念が明確にされたのでした。
修身の教科書では「博愛の精神」と言った抽象的で分りにくい意味を、エピソードを通して、小学生にも十分理解できるよう、血の通った道徳教育がなされていたのです。
教育勅語の徳目を中心に歴史上の人物を数多く取り上げ、人として如何にあるべきか、日本人としてどう行動するべきかが学べる授業でした。
日本の修身教育は海外でも高く評価されていました。
明治41年にはロンドン大學で国際道徳教育会議が開かれ、そこに提出された日本の修身教育は各国の注目を集め、道徳教育の粋たるものとして絶賛されました。
教育勅語は日露戦争後は、文部省によって英訳、独訳、仏訳、漢訳されました。
ところが大東亜戦争終結後、教育勅語が軍国主義の経典のように使われていたとして問題視したGHQと一部のGHQに迎合した反日左翼が廃止運動をしたことで、教育勅語は昭和23年6月に衆参両院で排除・失効が決議され、日本人の精神を形作っていた教育勅語は葬り去られてしまいました。
「修身教育」や「教育勅語」を全く知らない戦後世代の日本人は、権利を主張して義務を果たさず、我が身の為しか考える事が出来ないと言われ、精神の荒廃を嘆かれています。
近年のこのような日本人の精神の荒廃を立て直す為には、修身教育や教育勅語を復活させるべきだと言う声が高まっています。
ところが反日左翼思想を持つ人々は、軍国主義の再来だとか天皇礼賛だと言う誤った考えによって反発しています。
当の日本人が今だに確たる教育方法を確立できないでいる間に、戦後、西ドイツの初代連邦首相を務めたアデナウアー首相は、執務室に教育勅語のドイツ語訳の文章を掲げていた事はよく知られており、この日本の教育勅語を全国の各学校、各職場に掲げさせ、
生活の目標としてドイツの復興の精神的支柱にしたそうです。
この他の国でもその国の道徳的理念の基礎に使用した事例はたくさんあり、このように教育勅語は今もなお海外において高い評価を受けています。
教育勅語は明治天皇が日本国民のためだけにお示しになられたわけではなく、全世界、全人類に遺された貴重な遺産であります。
それぞれの国の国王または為政者が教育勅語に基づいた修身教育、道徳教育を行ったならば、まさに世界の平和が達成される事は間違いのないことと言えるでしょう。
どの国の国民も自国を誇りに思い、自国の文化を守り、お互いが助け合う事が出来れば、他国の人々や文化を同じように尊敬し、大切にし、助け合う事でしょう。
近年に於ける現代人の精神的方面に於ける人心の動揺や世相の混迷、道義の荒廃を正し、事態を改めるには、先ず教育を改革し、修身教育や教育勅語を復活し、推進する事が急務です。
また昭和13年に当時の文部省が当代一流の学者達を結集して編纂した「天皇と国民、国家のあり方」を明らかにした「國體の本義」と言う書物がありました。
この本は各学校に配布され、教職員を養成するための「師範学校」でも必修科目に取り入れられ、当時は各種学校の入学試験や教員試験に、この「國體の本義」からの出題があり、この本を学ばなければ、入学したり教員になったりできませんでした。
しかしながら日本人の精神的支柱を形成するための書物であるとして、戦後GHQによって焚書されてしまいました。
道義の荒廃など著しい今日にあって、私達祖先の遺風を蘇らせる為に、絶対に必要不可欠な書物であります。
ましてや現代においても教育者や親、聖職者、将兵にあっては、必読の書であろうと確信するものであります。
「國體の本義」こそ肇国よりの国風を具現化せしめるため、当時の文部省の学問の粋を集めた書物であり、日本国民が何故、今、茲に存在しうるのかの意味を表したものであります。
今こそ「國體の本義」の復活が求められているのではないでしょうか。

3.独立国家としての真の国防とは
GHQ、反日左翼によって祖国を守ることに対する思いを徹底的に封じ込められてきた日本人は、真の国防について考えた事があるのでしょうか。
日本人は平和ボケしているとよく言われます。そして世界中の人が日本人同様、性善説で生きていると思い込んでいる節があります。
けれども国際情勢を良く知る人たちは「世界は腹黒い」「日本人のようなお人好しは格好の餌食になる」と警鐘を促しています。
ごく普通の日本人が詳細な世界情勢や近未来の事など予測する事はなかなか難しいと思いますが、もし私達の身近に不測の事態が迫った時、現在のような金縛り状態の自衛隊では本当に国を守ることは出来ないでしょう。
また愛国心も誇りも無い、敬神崇祖の念も無い、自虐史観に固まったままの日本人では、悲観的な未来しか選択できないのではないでしょうか。

☆核の保有
戦後、日本はアメリカの核の傘のおかげで他国に侵略される事もなく、経済を発展させてきました。その結果「経済は一流、政治は三流」と言われてきました。
著しく経済発展した結果、日本は世界有数の金持ち大国になりましたが、日本国民が汗水たらして働いて納めた税金は、日本国民に還元される事なく、三流の政治家によってその多くは外国に吸い取られてしまっています。
何故そのようなことになってしまったのでしょうか。
結局、軍隊ではないとする自衛隊は金縛り状態で他国に軍事的な抑止力として働く状況に無いために、日本にどんな無理難題を押し付けても何ら軍事的脅威はなく、さらに政治家はすべてお金で解決すると言う姿勢をとり続けてきたために、ちょっと恫喝すればすぐお金が出てくる、と諸外国に思われているからに他なりません。
日本は世界で唯一の被爆国であり、日本人は一様に核アレルギーであると言われています。
政府は今まで核に対しては「さわらぬ神に祟りなし」とでも考えているのか、非核三原則「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」としてきましたが、近年ではそれに加えて核を持つかどうかの「議論すらしてはならぬ」と言う風潮を加えた「非核四原則」と言う造語に「考えさせず」と言うことを付け足して「非核五原則」とも言われている程です。
けれども北朝鮮は2009年4月、六カ国協議を脱退し、核開発を再開すると宣言しました。
北朝鮮の悲願は核保有国として世界で発言力を持つ事にあります。
「核保有国として発言力を持つ」とはどう言う事かと言えば、それは核兵器を持っている特権があまりにも大きく、他にそれに代わりうる選択肢が見つからないと言う事です。
核兵器を保有すれば、その国を軍事的に脅かす国が減り、他国がその国に軍事力を使って政治的意図を強要する事が難しくなります。
これは「核に対抗できるものは核しかない」あるいは「核を抑止できるのは核しかない」と言う軍事的な現実があるからで、核が「抑止力」と言われるのはそのためです。
さらに核を持っていれば、軍事だけではなく政治、経済、外交と言った他の分野でも大きな発言力を持つことが出来、その国の政治を他国に委ねる必要がなくなるからです。
実際、イラクでは核を保有していなかった為に、アメリカによって蹂躙されてしまいました。その逆で北朝鮮はいつ崩壊してもおかしくない、と言われ続ける中、核開発と核保有の意志がある為にアメリカでさえ手出しが出来ない状況です。
様々な政治的な駆け引きの中に、軍事力が最も大きなウェイトを占めているのは世界の常識でしょう。
それにも拘らず、日本の政治家の大半と反日左翼は「外交で話し合いましょう」などと言い続けています。

日本が国防を疎かにし続けている間に、北朝鮮はサッサと核を保有し、支那は日本の主要都市(首都東京・名古屋・大阪・静岡・新潟・広島・福岡・長崎・仙台・札幌等の大都市航空自衛隊及び在日米海空軍基地・米海兵隊駐屯地)に核ミサイルの照準を合わせていることは周知の事実です。
支那は核兵器を持つアメリカ・ロシアに対抗するために核武装をして、自主的核抑止力を持ち、またその核兵器に対する自主的抑止力は国際社会での強大な発言権を支那にもたらしたのです。
ところがこの支那の軍事力増強のために使われたのが日本のODA(政府開発援助)だと言われています。
このODAは昭和54年に始まってから既に3兆円、民間レベルを含めて6兆円になるとも言われています。
ところが日本によるこの援助の話は一切支那の国民には知らされず、逆に反日教育を推し進めていると言うのですから驚きです。
そもそも感謝もされずに、核兵器の照準を向けられ、資源を盗掘され、外交上理不尽な恫喝、靖國問題や教科書問題などの様々な内政干渉を受けながら、お金だけを搾取され続けるなど、日本の政治家は一体何をやっているのでしょうか。
これでは日本人は支那のために税金を納めているようなものです。
さらに今まで日本人は日米安保によって、アメリカが日本を軍事的に守ってくれているのだと漠然と安心していますが、条文には日本全土を『アメリカが自動的に、無条件に守る』と言う事はどこにも書かれていません。
もし日本が他国に攻撃された際、アメリカの国益を損なう恐れがある場合には判断して行動する、という事になっています。
つまり日本はアメリカの軍事力によって完全に守られているとは言えない、もしアメリカが損になると判断した時は相手国を攻撃するかもしれない、という事になります。
近年、竹島、尖閣諸島、対馬などの領土問題において支那や朝鮮に不当な領有権を主張されていますが、これらの問題は日本政府による確たる国防がなされていないことから起きた事です。
常に曖昧なままにそして見てみぬふりをしてきたことによって、不正に実効支配されています。
このまま見過ごしてしまえば、これらの島々は支那、朝鮮によって次々と占領される事は時間の問題です。
その後は沖縄、日本本土へと触手を伸ばしてくる事は間違いないでしょう。
日本の防衛手段としては不完全な機能しか果たさない日米安保、さらに北朝鮮・支那の軍事的な脅威を考えた時、日本も真剣に国防に取り組まなければ、現在、一番の脅威である支那の覇権主義によって飲み込まれてしまう可能性も否定できません。
以上のことから、日本の確固たる国防を考えた時、日本が核を保有すると言う事は、核保有国に対して一方的に攻撃されない抑止力になると言う事と、政治、外交ともに圧倒的に有利な駆け引きをすることが出来るという現実を見るとき、日本が核を保有しなければ、
国防、政治、外交上極めて不利で危険な状態にさらされ続けると言う事なのです。

☆憲法九条の破棄または改憲
憲法九条の条文は次の通りです。
1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
つまり、「自衛のための武力行使は禁じていない」と言うことです。
しかしながら現在の自衛隊は、反日左翼である護憲論者に言わせれば「違憲」であり、自衛隊も保持するべきではないと言っています。
そしてあくまでも日米安保によってアメリカの軍事力に守ってもらえば良い、そしてそれに見合うお金をアメリカに出し続ければ良いとしています。
憲法九条を死守すると言っている護憲論者は「九条が無くなると海外での武力行使に歯止めがかからなくなり、再び日本は侵略を繰り返す」と叫んでいます。
また護憲派は憲法九条があったから戦後60年の間、日本は平和だったと言いますが、
日本がアメリカの軍事力に守られていたから戦争に巻き込まれなかっただけだ、と言う事を全く無視しています。

さらに護憲派は軍隊組織と言うものが存在すると、直ちに自動的に侵略戦争を開始するものであるという「自虐史観」に基づいた、独断と偏見で改憲論者を攻撃します。そして国防と言う概念を消し去ろうとしているのです。
日本とアメリカは同盟国ではありますが、同じ国ではありません。それぞれ国益が異なります。
国益が異なれば、当然国防も異なってくるのは当たり前の事です。
戦後60年の間、たとえアメリカによって守られてきたとは言え、日本の国防が疎かにされてきたことで、数え切れない程、国益を損なっているのは事実です。
例えば現在もまだ解決できない北朝鮮による拉致被害は、田母神俊雄前航空幕僚長が『自らの身は顧みず』の中で指摘しているように、「昭和52(1977)年9月28日に起こった日本赤軍によるダッカ日航機ハイジャック事件の際、当時の福田赳夫首相は『人命は地球より重い』として、赤軍メンバーら6人の釈放と要求通りの身代金を支払い、服役中の人間を釈放するなどと言う法治国家にあるまじき『超法規的な措置』をとった」ことから起きた事件と言えます。
この事件の後、北朝鮮による拉致事件は急増しました。実際、横田めぐみさんの拉致は同年11月15日、翌年には田口八重子さん、地村、蓮池、市川さん3組のアベック、曽我さん親子などと続きました。
さらに田母神氏は「北朝鮮が日本は決して反撃してこないからと高をくくって拉致や様々なスパイ工作、さらには麻薬、ニセ札など様々な犯罪行為を日本国内で実行してきたと言う事は十分考えられる」と指摘しています。
このような事例を見ても、我が国に攻撃能力のある自国の防衛としての軍隊の保有を明確にしていないことから起きた事件と言えるでしょう。
今後、日本が独立国家として自立するためには、憲法九条を破棄または改憲して、自衛隊を軍隊として活動できるようにしなければなりません。

☆現行憲法における統帥権問題
統帥権とは軍隊の最高指揮権であり、大日本帝国憲法では「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」(第11条)と規定され、天皇の大権に属しました。
内閣の輔弼の外に置かれ、政府も議会もこれに関与できないとされ、首相であってもこの統帥権には口出しが出来ませんでした。
明治11(1878)年の参謀本部独立により、軍政と軍令は分離され、天皇は軍令機関である陸軍参謀総長・海軍軍令部長の輔弼を受け陸海軍を統帥しました。
現行憲法(占領憲法)においては、統帥権に相当するものとしては自衛隊の最高指揮監督権があります。
日本国憲法の実際的な解釈と自衛隊法第7条により、内閣総理大臣が最高指揮監督権を持つと規定されています。
しかしながら明確な統帥権についての規定がありません。
また現行憲法において、内閣総理大臣が最高指揮監督権を持つと言う事は、その時々の政権や議会によって左右される事になり、有事の際、極めて不安定な統帥権の発動がなされると言う可能性があります。
これらを解消するためには、大日本帝国憲法下のように、天皇と言う個人の利害から外れた、また帝王学を学ばれ、実践される等の優れたご人格の方に、国事行為のひとつとして統帥権を加えるように改める必要があるのではないかと考えます。

4.もう一つの国防、霊的国防を成す
私達日本人は私心を無くし、「国中平かに安らけく」と国家と国民、世界の平和の為に日々祈られる万世一系の天皇を戴く、世界に類の無い民族です。
そして私達が天照大御神の直系であられる天皇の臣民であり、神話に基づく日本民族としての誇りを取り戻すことが出来れば、
自らを卑下し、他国に蹂躙されるような生き方を選択する事はあり得ないでしょう。
けれども大東亜戦争終結後、60年以上に亘って自虐史観を徹底的に洗脳され、植え付けられてきたのですから、そう簡単に呪縛が解けるわけではありません。
子供の頃から家庭や教育現場において反日左翼思想を受け入れて来た多くの人は、そのような考え方の方が親しみがあり、
保守的な考え方には知らず知らずの内に漠然とした危険なイメージを抱いています。

☆GHQに押し付けられた「自虐史観と言う呪縛」の穢れ
戦後日本人はGHQによる東京裁判やその後の占領政策による洗脳によって説き難い「自虐史観と言う呪縛」にとらわれ続け、なかなかその呪縛から抜け出す事が出来ないでいます。
戦勝国は意図的に「自虐史観という呪縛」を容易には祓う事のできない「穢れ」として日本人を汚染したのです。
軍人のみならず非戦闘員に対して残虐に無差別攻撃(国際法違反)を繰返し行う事で、日本人全体に「死」と「血」の穢れをなすりつけたのです。
自虐史観という呪いをかけられていることで、私達日本人は「天皇」「軍隊」「戦争」「東京裁判で戦犯とされた方々の名前(例えば東條英機など)」「核」「靖國神社」「特攻隊」「日の丸」「君が代」など、先の大戦にまつわる言葉を耳にしたり目にした瞬間に、違和感や嫌悪感、恐怖心などのネガティブな感情を抱いたり、日本は誤った戦争を始めてアジアの近隣諸国に対し侵略行為(「南京大虐殺」「強制連行」「従軍慰安婦」など)を行ったのだと言う自虐史観から逃れられないでいるのです。
大東亜戦争において、アメリカ軍は日本中を「死」と「血」で覆う為に東京、名古屋、大坂、神戸、京都などの主要都市への大空襲をはじめ、北海道から沖縄まで、戦時国際法違反である民間人への無差別爆撃を繰り返しました。
さらに広島、長崎に於ける原爆投下は悲惨極まりない攻撃でした。
日本への原爆投下に関して、1994年12月の産経新聞にアメリカの歴史学者、スタンフォード大学のバートン・バーンスタイン教授が、米国の有力外交専門誌「フォーリン・アフェアーズ」に「太平洋戦争末期の広島、長崎への原爆投下は日本の降伏を早めたり、米軍兵士の犠牲を回避するのが目的で決断されたわけではない、との内容の米歴史学者の論文を掲載する。」と言う記事を掲載しました。
その内容は、当時の政策担当者のメモや日記、また秘密解除された公文書などの資料に基づいて当時の政策判断を検証したもので、「日本への原爆投下の目的は一般市民を大量殺戮することにあった」と言うものです。
バーンスタイン教授によると「原爆を開発した科学者は当初日本に直接投下するのではなく、米国の砂漠などで世界の代表者を呼んで公開の場で実験する事を主張しましたが、他のメンバーは原爆が不発だったら世界の笑い者になるので、とにかく日本へ投下しようと主張して日本への投下が決定した。
投下地点の選定については、科学者は軍事施設のみと言う主張をしたが、米軍側が強く反対し、民間人を大量に殺戮する事が決定された。
米空軍史によると『その火の玉を広島の住宅密集地、商業地区に投下せよ』と命令が出ている。
投下時間は午前8時15分。これは工場労働者が仕事を始め、市民の子供たちが戸外に遊びに出る時間帯。米軍はまさに底を狙った。」
と言うことでした。
まさに原爆投下によって「死」と「血」の海にすることが目的だった事が戦後60年近くたって明らかになったのです。
このようにアメリカの歴史学者が自らの国の指導者の過ちを明らかにしたにも拘らず、
日本人は今だに原爆投下されなければ戦争を止める事は出来なかった、などと言う自虐史観を持ち続けています。
さらに戦後60年以上に亘って様々な洗脳情報によって、今なお穢れ続け、自らが祖国の滅亡に拍車をかけています。

☆「自虐史観の呪縛」と言う穢れを祓い、再生する
もしこの呪縛・穢れを無抵抗に受け続け、祓う事が出来なければ、この禍によって我が国は自ずと国益を損ね続け、国家解体の一途を辿る他ありません。
自虐史観から脱却する為には、先ず正しい、真の歴史観を学ぶ事が第一です。
そして霊的な側面での「死」や「血」の穢れを清めるには「祓ひ」と言う神事以外ありません。
「死の穢れを祓う」とは、伊邪那岐命が亡くなった伊邪那美命を追いかけて、黄泉の国(死者の世界)で触れた穢れを清めるために禊祓をされたと言う神話の世界にまでさかのぼる神事です。どれほど穢れても、その穢れを祓う事で再生できるのです。
GHQによって「国家神道」を弾圧されてから、日本人にとって生活の一部であった様々な神道の神事や行事が、ただの慣例としてしか行われなくなってしまったことから、日本人にとって誕生から死までの間、最も重視していた「穢れを祓う」と言う意識がすっかり忘れ去られてしまいました。
戦前までの日本人は、穢れを最も忌み嫌い、恐れていました。すべての禍は穢れから来るものと考えていたからです。
日本人の生活の規範は「かみまつり(敬神崇祖)」にあり、「まつり」とは「祓ひ」だったのです。
「穢れを祓う」と言うことはつまり「常に心身を清浄に保つ」ことであり、生きている間人間にとって最も重要な事は、「穢れ」を取り除くための「祓ひ」だったのです。
「祓ひ」を日常生活に織り込んだものが陰陽道を発祥とした人生儀礼・季節の行事と言われるものなのです。
人間がこの世に誕生する際の安産祈願から始まって初宮詣、七五三などの様々な人生儀礼や、雛祭り、大祓などの季節の行事は、その都度穢れを祓い、誕生から死に至るまで健やかに、禍を遠ざけて過ごす事が出来るようにと、神々に祈念し穢れを祓う神事です。
しかしながら敬神崇祖の念がすっかり廃れてしまった現代においては「かみまつり」やこれらの儀礼を行っている日本人はほとんどいないと言っていいでしょう。
日本人は戦後60年以上、穢れに穢れた状態になっており、蘇りや再生のチャンスを逃し続けているのです。
また「自虐史観の呪縛」つまり穢れはコンピューターウィルスによく似ています。
私達日本人は人生儀礼にまつわる神事だけでは祓い切れない、意図的で悪質な情報操作によって強烈な「穢れウィルス」に感染しています。
ですから定期的にウィルス対策ソフトを使ってウィルスを除去するように「穢れウィルス」を祓い続けなければ、心身を「清き明き直き」状態に保ち続ける事が出来ません。
穢れたままでいると言う事は、正常な判断能力が失われ、誤った判断を繰り返すと言う危険な状態にさらされていると言う事なのです。

☆霊的な国防を施す
日本にとって「核の保有」や「憲法九条の破棄または改憲」などは陽の国防と言えます。
それに対して「陰」の国防とは霊的な方策(神社の創建など)を施す事です。

①靖國神社を国営化し、日本国民が一丸となって英霊に対して感謝の誠を捧げる
靖国神社は246万6千柱と言う、日本で最も多いご祭神がお祀りされています。
このような日本の国の為に戦って斃れた英霊の方々を、今生きている私達が感謝と慰霊の気持ちを込めて真剣にお祀りし、日本の防衛のために今一度お働き頂けるよう御祭神のご加護を祈念するならば、これほど力強い援軍はないでしょう。
その為には靖國神社を国営にして国で手厚くお祀りし、天皇の御親拝を仰ぎ、首相をはじめ閣僚や政治家がいつでもお参りできるようにすることです。
英霊の皆様は、私達すべての日本人が靖國神社の桜の下に会いに来てくれる事を、今でも待ち続けています。
靖國の英霊に感謝の誠を捧げなければなりません。

②靖國神社で斎行される『全国戦没者慰霊大祭』を国家祭祀とする
現在、先の大戦の日本全国の戦没者を慰霊するために、全国戦没者追悼式が毎年8月15日、天皇皇后両陛下の御臨席のもと日本武道館で行われています。
式場正面には「全国戦没者之霊」と書かれた白木の柱が置かれ、式は日本政府主催で、無宗教の形で行われる追悼式です。
昭和57年の閣議決定によって「先の大戦において亡くなられた方々を追悼し平和を祈念するため、『戦没者を追悼し平和を祈念する日』を設け」て、その期日を8月15日とし、この日に政府は「昭和38年以降毎年実施している全国戦没者追悼式を引き続き実施する」ものとしています。
つまり8月15日を無宗教で全く意味の無い「戦没者之慰霊」と言うことだけでなく、「平和を祈念する日」と言う名目で、反戦を表明する日としてしまったのです。
そこに天皇皇后両陛下のご臨席を賜る事により、両陛下に二重の楔を打つような日にしてしまいました。
このような反日左翼的な「反戦決意表明の日」にどうやって戦没者之慰霊祭を行えると言うのでしょうか。
戦没者の御霊は死して尚、鞭打たれている想いではないでしょうか。
日本政府と言う隠れ蓑を着た反日左翼主義者主宰による無宗教で名ばかりの戦没者慰霊祭に天皇皇后両陛下のご臨席を賜りながら、同日に執り行われる「英霊にこたえる会」主宰の靖國神社に於ける真の戦没者慰霊大祭には、天皇皇后両陛下の御親拝も頂く事が適わずにいます。
また首相や大臣が参拝しようものなら、隣国に内政干渉され、彼らは「公式参拝」だの「私的参拝」だのと右往左往しているのです。
このような日本の政治家や反日左翼を見る時、ただ戦争で亡くなったことは悲劇だったのだとしか思われていないならば、戦没者の御霊はさぞ口惜しく思われていることでしょう。
このような慰霊祭と称する反戦のための決意表明は、原爆投下された広島や長崎では顕著です。
靖國神社の慰霊祭よりも、日本武道館に於ける「エセ慰霊祭」の方がより盛大に行われていると言う事は、まさに現在の日本は反日左翼が跋扈していると言えるのです。
千鳥が淵や広島、長崎、各地で行なわれる戦没者慰霊祭は、御霊の慰霊とは名ばかりで、先の大戦はすべて日本軍による侵略戦争の犠牲であると言うような、祖国の為に戦って斃れた英霊やアメリカ軍によって無差別爆撃を受けて斃れた民間人の戦没者の御霊に対して、無駄死にであるかのように貶めるための式典でしかありません。
このような式典には「苦しみ」「死」と言う言葉に共鳴して集まってくる、今もなお彷徨い続けている多くの悪霊や魑魅魍魎が集まる場となり、おびただしい「穢れ」が充満しています。
そのような場所に天皇皇后両陛下の御臨席を賜ると言う事は、最も穢れを避けねばならない両陛下に、穢れをなすり付けるという事に他ならないのです。
天皇を穢れさせると言う事は、国運を衰退させる事につながります。
東京大学名誉教授の小堀桂一郎氏は「靖國神社と日本人(PHP新書)」の中で、次のように述べています。
「・・・それが招魂の祠であって、〈元の天〉に帰った霊魂は子孫の招きによってここに降りて祭を受ける。〈もし偽りを以て祭らば神是を請けんや〉であって、
この祭り方は神祭の礼式に則った正しいものでなくてはならない。〈神は非礼を享けたまはず〉である。」

つまり、御霊をお祀りする時には神式の作法に則った恭しいものでなければならないと言う事です。
反日左翼による穢れを撒き散らす慰霊祭を中止し、真に戦没者の御霊を慰霊する事が出来る、靖國神社の慰霊祭を国で行う祭祀にするべきなのです。
そして天皇皇后両陛下の御親拝を仰ぎ、首相はじめすべての閣僚が公式参拝し、国民挙げて慰霊する事が、真の戦没者慰霊祭となるのです。
ほとんど知られていませんが、靖國神社の境内には「鎮霊社」と言う御社があり、明治以降の靖國神社本殿に祀られていない方々の御霊と世界各国すべての戦死者や戦争で亡くなられた方々の御霊が祀られています。
つまり先の大戦で亡くなった非戦闘員の方々も、すべて招魂されて、靖國神社にお祀りされているということなのです。
ですから毎年8月15日に靖國神社で斎行される戦没者慰霊大祭こそが、真の慰霊祭と言えるのです。
ところで陰陽道では人間は魂(こん)と魄(はく)との二つから成るとされています。
そして魂は陽の気で精神を司るもの、魄は陰の気で肉体と五感を司るものとされ、人が死ぬと魂は天に帰り、魄(肉体・骨)は地に帰るのです。
ですから神社でお祀りするのは魂であり、お墓でお祭するのは魄と言う事になります。
靖國神社をお墓のように考えている人が希にいますが、そこにお祀りしているのは「英霊」と言う魂であり、魄の方はご遺族がそれぞれ先祖代々のお墓でお祭りされています。
そして魂は天に帰るのですから、「神」としてお祀りすることができるのです。
日本には古来より、無念な思いのまま亡くなったことで禍をもたらしたとされる怨霊などを鎮める為の神社がいくつか存在します。
例えば菅原道真公をお祀りする天満宮です。
道真公は陰謀によって大臣の地位を追われ大宰府へ左遷され、失意の内に亡くなりました。
彼の死後、疫病の蔓延や日照りなどが続き、天皇の皇子が相次いで病死したり、清涼殿が落雷を受けて多くの死傷者が出たりしました。
これらの出来事は道真の祟りだと恐れた朝廷は北野天満宮や太宰府天満宮を建立し、手厚くお祀りすることで祟りを鎮めました。
けれどもその後は、道真公が生前優れた学者、歌人であったことから学問の神として信仰されるようになりました。
つまり道真公の無念や祟りと言うマイナスのエネルギーを学問の神様としてお祀りすることで私達にご加護を授けて下さる神様へと変化させたわけです。
このことは失意の内に亡くなった人の魂を神として手厚くお祀りすることで、その強い無念の想いを良きエネルギーに変換させ、私達を守護して頂けるようにすることが出来るという、陰陽道による考え方からきています。
また魂は招魂と言う神事を行う事でお祀りできるので、魄の部分は不要なのです。逆に魄は地に帰るものであり、「死」の穢れそのものなので、魂と一緒にすることは出来ません。
ちなみに神社で葬儀を行わないのは、穢れを持ち込むことが出来ないからです。
さらに魄を祭るお墓は、子孫が絶えてしまえば消えてなくなってしまう可能性がありますが、神社によって魂をお祀りすることで、地域の共同体などによって永遠にお祀りし続ける事が可能になります。
日本人は古来から英雄でも不遇の死を遂げた人でも、大きなエネルギーを持っていた方たちの魂を、神社を建てて神式でお祀りすることで、永遠に国の守りとしてお働きいただける様にしてきたのです。

③昭和殉難者の方々をお祀りする神社を建立し、国の護りとする
「昭和殉難者」とは大東亜戦争において「極東軍事裁判でABC級戦犯とされ処刑された方々」「(拷問や病気などで)収容所で亡くなった日本側兵士・軍人」
「抗議自決した方々」を指します。
昭和殉難者の方々は1953(昭和28)年8月3日に衆議院本会議にて「戦犯」の名誉回復、ならびに「法務死」扱いとされ、国が殉国者としたことを受けて、1967(昭和42)年10月18日に昭和殉難者として靖國神社に合祀されました。
合祀された当時はどこの国からも抗議などされてはいませんでした。
ところが昭和60年、当時の中曽根康弘首相が支那・朝鮮の内政干渉を受けて、終戦記念日の8月15日に首相として靖國神社への公式参拝を中止し、以来平成18年8月15日に小泉純一郎首相が参拝するまでの21年間、A級戦犯が合祀されているとの見解で、支那・朝鮮の圧力によって首相の公式参拝がなされませんでした。
そして現在においても尚、靖國神社への天皇陛下の御親拝をはじめ首相や閣僚の公式参拝の問題は一向に解決の目途がたっていません。
ところで昭和殉難者の中でA級戦犯として処刑された7名の方々の御遺骨は、現在愛知県三ヶ根山の殉国七士廟でお祭りされています。
「殉国七士」とは東条英機(元首相・陸軍大将)、土肥原賢二(元陸軍大将)、広田弘毅(元首相)、板垣征四郎((元陸軍大将)、木村兵太郎(元陸軍大将)、松井石根(元陸軍大将)、武藤章(元陸軍中将)の七士のことです。
七士は昭和23年12月23日未明、A級戦犯として巣鴨で絞首刑を執行されました。
マッカーサー司令部が七士の遺体も遺骨も家族に渡すつもりが無い事が判明し、何とか遺骨だけは手に入れたいと考えた、小磯国昭大将の弁護人だった三文字正平氏の決死の覚悟で七士の方々の遺骨が収拾され、遺骨はその後、万一を考え戦死された三文字氏の甥の名前で熱海の興亜観音に安置されていましたが、昭和35年に愛知県の三ヶ根山山頂に廟と墓碑が建立されました。
昭和35年8月16日、三ヶ根山殉国七士廟にて関係者と遺族が列席して初の慰霊祭が行われ、以来毎年4月29日「昭和天皇御誕生日」に慰霊祭が執り行われ、殉国七士廟の存在は多くの人々に知られるところとなりました。
今日では七士廟の周辺に大東亜戦争での戦没者を祀る各部隊の慰霊碑が並んでいます。
マッカーサー司令部は、たとえ敵国とは言え、一国の長を遺骨に対してまでこのような非人道的で卑劣な手段を講じました。
ドイツでは処刑された戦犯の骨は粉砕されて飛行機上から空中散布されたと言います。
一方日本軍人は、世界が称賛する武士道精神によって敵将も讃えてきました。
日清戦争時、日本の連合艦隊司令長官伊藤祐亨は、敵国である清国艦隊司令長官丁汝昌(ていじょしょう)に最大の礼を持って接し、武士道精神を世界に知らしめました。伊藤長官は連合艦隊の包囲網の中にあった丁提督を無駄死にさせることを惜しみ、降伏させてから日本に亡命させる考えで、丁提督に降伏勧告文書を送りましたが、丁提督はそれを鄭重に断り服毒自殺をしました。
伊藤長官は丁提督の棺がジャンクで送られると聞き及び、運送船「康済号」を戦利品とはせずに清国に提供し、丁提督の棺を乗せて帰国するように告げ、多数の日本海軍軍艦に見送られて帰国する事になりました。
米タイムス紙は「丁汝昌提督は祖国よりも却って敵によってその戦功を認められた」と報じ、伊藤提督の措置を世界海軍礼節の最高峰と褒めたたえました。
また日露戦争において、乃木大将とロシアの名将ステッセルの水師営の会見は、敵将と言えども戦いが終ればお互いにその功を讃え合ったとして有名です。
乃木大将はステッセルらロシア軍幕僚にも帯剣を許し、従軍記者たちの再三の要求にも拘わらずロシア軍との会見風景は一枚しか撮影させず、彼らの武人としての名誉を重んじました。
さらに日本海海戦において、明治37年8月14日、司令長官上村彦之丞率いる上村艦隊は、ウラジオ艦隊3隻と遭遇し、旗艦「リューリック」を撃沈しましたが、
「リューリック」は沈没する最後の最後まで後部の砲門で撃ち続けるのを止めようとはしませんでした。
艦橋でそれを見ていた上村長官は「敵ながらあっぱれだ」と全体集合を命じ、溺れるロシア将兵627名を救助し、武士道精神を世界に知らしめたのです。
また東郷平八郎は日露戦争の勝利の後、傷を負った敵将ロジェストウェンスキーを、面会謝絶が解けたその日に佐世保病院に見舞い、次のような挨拶でねぎらいました。
「生命を取り留められて何よりです。日本では勝敗は兵家の常と申します。ただ祖国の為に立派に戦って義務を尽くせば、軍人の名誉は傷付きません。
日本海海戦において、閣下と麾下の将兵は実に勇敢に戦って十分に義務を尽くされた事をこの目で見て感激しました。
粗末かもしれませんが、閣下の為に病院船を一隻準備させておきます。少しく回復されてご帰国を欲せられるようになったら、いつでもご用命下さい。
閣下の部下将兵の待遇は東郷がお引き受けしますから、どうぞ安心してご加養下さい」
と。
以上のような日本軍人の武士道精神は、戦いの中にあっても海に投げ出され戦死喪失している敵兵は助け、戦いが終ればお互いの武勇を讃え合いました。
大東亜戦争においても、220名乗務の駆逐艦の日本軍が、溺れる敵の英兵450人を救助し、貴重な水やガソリンで汚泥にまみれた英兵を洗い、自らの衣服までも与えたと言う信じられないような美談が残っています。
しかしながらこのような素晴らしい国民性は日本人のみなのか、アメリカ軍は大東亜戦争において戦艦大和を撃沈させた時も、すでに海に投げ出され、戦意喪失している日本の兵隊を爆撃し続けたのです。
このような卑劣なアメリカ人によって「ABC級戦犯」などと言う汚名を着せられた昭和殉難者の方々に対して、戦後GHQによって洗脳されてきた日本人は、彼らといっしょになって戦犯に仕立て、捏造された軍部の責任をなすり続けているのです。
以前大手メディアによって富田メモなるものが大きく取り上げられ、昭和天皇が靖國神社へご親拝なさらない理由をA級戦犯が祀られているからだ、と報じました。
しかしながら決してそのようなことではなく、宮内庁侍従らによる妨害工作によってご親拝が叶わなかったのだという事は明らかです。
戦後皇室は反日官僚(侍従)によって支配されており、天皇陛下のご希望がそのまま通るような状況にはありません。
そのことを逆手にとって、反日左翼メディアは自分達の都合の良いように天皇陛下や皇室の方々の想いを捏造、歪曲報道し、国民は騙され続けているのです。
けれどもいつまでもメディアに騙され続けるのではなく、真実を学ぶ事が、私達日本人の義務ではないでしょうか。
昭和殉難者の方々は、祖国の為に戦われたにも拘らず、無念の想いを残されて、さらにA級戦犯の方々は亡くなられた後も、GHQによって無残な仕打ちをされたのですから、その無念の思いはいかばかりでしょうか。
けれども無念の思いを抱かれて亡くなられた昭和殉難者の方々の魂を、我が国の守り神として鄭重にお祀りすれば、必ずや日本の為に大きなエネルギーとなってお働き頂けることでしょう。
その為には、昭和殉難者の方々を感謝と慰霊の気持ちを持ってお祀りする神社を建立すべきであると考えます。
この昭和殉難者をお祀りする神社とは、反日左翼の人たちが提案する靖國神社の「A級戦犯分祀論」とは全く異なるものです。
靖國神社に加えて更に昭和殉難者の方々をお祀りする神社を建立するというものです。

④昭和天皇の御聖徳を仰ぐ昭和神宮のご創建
現在私達日本人が飢える事なく平和に暮らす事が出来るのは、まさに昭和天皇の御聖徳によるものと言って良いでしょう。
戦後GHQによって日本国家の解体と言う占領政策を仕組まれたとは言え、何とか焼け跡から復興し、世界有数の経済大国になるまで登りつめることが出来たのは、昭和天皇のひたすら「国安かれ、民安かれ」と無私の御心で御心で国民の為にと祈り続けてこられた事に尽きると言えます。
占領政策を開始するに当たって、マッカーサー元帥が昭和天皇と会談し、それ以降昭和天皇を敬愛する事になった、と言う事が伝えられています。
戦後昭和天皇の「人間宣言」とか「開かれた皇室」などとメディアや反日左翼の学者などによって天皇の権威を著しく貶められてきた事で、あたかも天皇陛下が一般人と同じ人間であるかと言うような錯覚をして、日本人の多くは天皇陛下に対して不敬な事もあからさまに行ってきました。
けれども「天皇」は紛れも無く「現人神」であることに間違いはないのです。
何故なら、天皇は大嘗祭と言う儀式によって天照大御神の御神霊と一体となられるからです。
昭和天皇の侍従であった卜部亮吾氏は、昭和天皇が崩御された時のことを日記に次のように記しています。
「たんかにて御尊骸を御寝室からお居間にお移しする あまりに重いのに驚く」
昭和天皇が崩御された時、大変痩せられていた事から、卜部侍従は軽々とたんかを持てると思っていたところ、「あまりに重いのに驚く」と記しているのです。
この質量は肉体以外の重さであり、天照大御神の御分霊と一体となられた「現人神」の御姿なのです。
東条英機も「人間はどこまでいっても人格だが、お上は神格である」と、昭和天皇に神としての畏敬の念を抱いていました。
日本に対して東京裁判という徹底的な復讐をやってのけたマッカーサーでさえ、昭和天皇に畏敬の念を抱かずにはいられないと言う事を、私達日本人は再認識するべきではないでしょうか。
このような昭和天皇の御聖徳を記念する為に、昭和記念館が国営昭和記念公園の「花みどり文化センター」内に設置されています。
ここには緑を愛された昭和天皇の生物学御研究や昭和天皇、香淳皇后のご遺品・写真等の昭和天皇ゆかりの資料が展示されています。
しかしながらひたすら国民の為を思われた昭和天皇を仰ぐ神宮は今だに創建されておりません。
ところが昭和神宮のご創建どころか、昭和天皇を穢れさせ、封印しようとする巨大な事業が国家規模で進められようとしています。
2008年2月、昭島市長が現在利用されていない昭和記念公園の西側一帯にある広大な国有地(米軍立川基地跡)に、大規模刑務所を建設することを正式に了承したと言う記事が朝日新聞に掲載されました。
関東や神奈川の医療少年院ほか八王子少年鑑別所、八王子医療刑務所などいくつかの刑務所を一つに集約した施設で、①アジア極東犯罪防止研修所、②矯正研修所、③矯正研修所東京支所、④公安調査庁研修所、⑤八王子医療刑務所、⑥関東医療少年院、⑦神奈川医療少年院、⑧八王子少年鑑別所、⑨東京婦人補導院の9つの各機関を集めると言うのです。
これはまさに陰謀としか言いようがありません。
もし昭和記念館の隣にこのような穢れを持ち込めば、日本は再び霊的に封印され、今まで以上に支那・朝鮮、欧米に蹂躙され、日本の滅亡に拍車をかけてしまうことになりかねません。
何としてもこの大型刑務所の建設を阻止し、その跡地には昭和神宮をご創建できるように国民の声を上げる必要があります。
それも出来れば今上陛下御在位の間に叶うよう、何とか運動を起こす必要があります。
昭和天皇の御聖徳を仰ぐ昭和神宮のご創建は、日本国が再び戦禍に巻き込まれる事なく、國體を護持できるよう御守護いただくための神宮となるのです。

⑥簡略化された天皇の宮中祭祀の復活
斎藤吉久氏の「天皇の祈りはなぜ簡略化されたか」(並木書房)の中に、「祭祀嫌いの入江侍従長の工作」として、昭和天皇に対して次々と祭祀の簡略化を無理矢理推し進めていった経緯が詳しく書かれています。
「入江は、歳旦祭の御代拝はまだしも、四方拝の装束を洋装とし、しかも神嘉殿ではなく御所のテラスで行い、さらに第一の重儀である新嘗祭をおとりやめにする、と言うように、
人間の都合に合わせて神事を簡単に変更すると言う、不敬きわまる祭祀の改変・破壊をやってのけたのです。」

祭祀には決まった形式があり、装束にもそれぞれ意味があります。
それを変えてしまっては祭祀としての意味が半減、もしくは無意味となってしまいます。
また『皇室のすべて』(学研)には「宮中側近には何故かクリスチャンが多い」として、
「元駐フランス大使で戦後侍従長として皇室外交の緒を開いた三谷隆信氏が、クリスチャンだし、初代宮内庁長官として昭和天皇を補佐した田島道治氏もそうだ。
今上天皇の弟宮である常陸宮は、高校時代からクリスチャンで、昭和天皇に強く諌められたにもかかわらず棄教はしないと抵抗したと言われるが、
常陸宮を信仰に導いたのは、無教会派のクリスチャンである村井長正侍従だと言われている。
また父子二代に亘って宮中に奉仕し、昭和天皇の側近中の側近として活躍した『皇室の語り部』、入江相政侍従長も、敬虔なクリスチャンだった。
今上天皇の周辺にも、クリスチャンは多い。
たとえば、皇太子時代の恩師であり、美智子皇后を皇太子妃に推薦した事でも知られる小泉信三博士(東宮職参与)がそうだし、
美智子皇后がカトリック系の聖心女子大学出だと言うことは有名だ。
また長く今上天皇に仕えてきた元東宮侍従の浜尾実氏は、二十歳の時に洗礼を受けているし、ヴァチカン在住の弟の浜尾文郎氏は、
ローマ法王選出の投票権を持つ枢機卿に任命されている」
と書かれています。
いくら信教の自由が認められているとは言え、神道の総元締めである天皇家を補佐する人々が総じてキリスト教信者であると言うのは如何なものでしょうか。
少なくとも神道に精通した人物でなければ、天皇の祭祀の重要性を理解できないまま、単に形式的であるとしてしてしまう危険性は大であり、実際入江侍従長以後、祭祀の簡略化は益々進んでいると言う指摘がなされているのは事実です。
このような中にあっても、今上陛下は祭祀を厳修されておられます。
『皇室のすべて』(学研)によると、「祭儀に当たっては今上天皇は何度も御習礼(稽古)をし、万全を期して臨まれておられ、例えば大嘗祭の時は、六度も習礼し、昭和天皇のご学友で侍従もされた永積元掌典長を側におかれて『先帝(昭和天皇)と少しでも違っているところがあったら言うように』と仰せられて御習礼に臨まれた」と書かれています。
祭祀は宮中三殿で行なわれますが、冷暖房の設備は無く、夏暑く、冬寒い中で装束をお召しになっての長時間に亘る祭祀は、一般人には想像も出来ない大変さです。
このように昭和天皇も今上陛下も「国安かれ、民安かれ」と無私の祈りを捧げておられますが、戦後天皇家を支えている人々の内、宮中祭祀を担う人(掌典と内掌典)、内廷職員と呼ばれる天皇家が私的に雇う雇用人以外は、侍従職なども含めてすべて国家公務員であり、彼らは宮中祭祀に関わる事は政教分離の憲法の原則から言って違憲である、と言う態度をとり続けています。
この政教分離の考え方はGHQによる占領政策によって国家神道の解体を目的とし、皇室と国民を分断するための工作であったと考えられます。
政教分離の考え方から、戦後の侍従らは天皇の宮中祭祀に対して消極的であり、更には自らが祭祀に関わる事を嫌がって、次々と祭祀の簡略化を推し進めています。
しかしながら世界中を見回した時、おそらく全ての国で何らかの宗教を国教にしています。
特に我が国に政教分離を押し付けた張本人であるアメリカでさえ、大統領の就任式や裁判所において、キリスト教の聖書に手を置かせて宣誓などもさせています。
何故我が国のみが国教を持つことを否定し続ける必要があるのでしょうか。
また、そもそも神道は宗教と言えるのでしょうか。
神道には明確な教義や経典は存在せず、固有の神を頂点とし、様々な戒律や法などで人間を縛るような、いわゆる諸外国のような一神教の宗教とは明らかに異なるものです。
森羅万象に神が宿ると考え、天人地祇や祖霊を祀り、祭祀を重視し、浄明正直(浄く明るく正しく直く)を徳目としています。
「道」と言う言葉は「人の守るべき道理、宇宙の原理、教え」と言う意味であり、神の道とはまさに、自然そのものを規範とする教え、と言う事になります。

寛仁親王殿下は「日本人の歴史教科書」(自由社)の特別寄稿「天皇と日本」の中で次のように述べておられます。
「・・・天皇と言う御存在は、神道的に見れば祭祀王としての存在とも言えるでしょうし、家系的に見れば我が国で最も古い家系の主とも言えますし、
社会的には「2669年の日本の伝統文化の担い手とも言えるでしょう。
・・・外国は、古くより、合理主義を尊びます。然し乍我が国では、神道という、宗教で無い神の道を尊び、神秘的な現象を極く普通に受け入れて、今迄来ました。
自然界の全てを神たりうるものとして尊敬し、自然と共に生きる、共生するということを古代から真面目に守って来ました。
・・・外国人にこの事を話したとしても到底理解してくれないと思いますが、我々日本人は、自然界の中で様々な形で、あらゆる物を神々しいものとして受け入れ大事にして来ていると同時に、繰り返しますが、歴代の天子様の事も、知る知らない、見たことが有る無いに拘らず、日本国の象徴として、崇敬し敬愛して来たと言う、全く他国に見られない行いを神話の時代から連綿と続けてきました。・・・」

このように私達日本人は、神話の時代から自然を崇拝する天皇の祭祀と共にあり続けてきた民族なのですから、何としても、宮内庁長官をはじめ、侍従など側近には、反日左翼や異教徒ではなく、神道に精通した天皇の祭祀をお助けできるような人材を登用し、さらに今迄簡略化され続けた祭祀を完全に復活し、天皇陛下が祭祀に専念できるような体制を作ることが急務です。
天皇の祭祀を復活して頂く事が出来れば、日本のみならず、世界もまた天皇の稜威によって平和への道を歩む事が可能になるのです。

⑥憂国の士、三島由紀夫大人命をお祀りする神社の建立
昭和45年11月25日、作家・三島由紀夫氏が東京市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部の総監室において割腹自刃をしました。
その時の彼の檄文には次のように書かれていました。
「・・・われわれは戦後に日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、
自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。
政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、
日本人自ら日本の歴史と伝統を涜(けが)してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。・・・
法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、
軍の名を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因を、なしてきているのを見た。
もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。
自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負いつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本儀を与えられず、
警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず、その忠誠の対象も明確にされなかった。・・・
日本の軍隊の建軍の本義とは「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しないのである。・・・
諸官は任務を与えられなければ何もできぬと言う。しかし諸官に与えられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。
シヴィリアン・コントロールが民主的軍隊の本姿である、という。しかし英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである。
日本のように人事権まで奪われて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。・・・
あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいう如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであろう。・・・
日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。
今こそ我々は生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。
われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。
もしいれば、今からでも共に起ち、共に死のう。
われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇ることを熱望するあまり、この挙に出たのである。」(檄文の一部を抜粋)

今から約40年も前に、既に現在の日本の抱える問題点を端的に指摘され、そのことを深く憂い、日本の「真姿」を取り戻すべく、自らを犠牲にすることで日本人を目覚めさせようとしたのだと思います。
三島由紀夫大人命には抜け殻のように空虚な日本の未来が見えていたのでしょう。
彼の投じた一石を今、蘇らせる為に、是非市ヶ谷の地に三島由紀夫大人命の御霊をお祀りする神社を建立し、自衛隊の守護神として、また憲法改正の為にお力添えをいただける様に、日本の守護神として御守護いただくことを切望します。

5.明治政府の陰陽寮廃止による弊害
陰陽道とは「陰陽會五行説に基づいて森羅万象の背後にある秘められたる世界の意味と動きを解読し、吉凶禍福を判じて未来を占い、人事百般の指針を得る事を目的とした思想と技術の全体を指し」(「陰陽道の本」学研)ます。
そして陰陽寮とは陰陽師たちが方術・天文・時刻・暦の編纂を担当する部署でした。
歴代の陰陽師は天皇と国家を守るために、凶方の魔を封殺し、あらゆる方術を施してきました。
ところが明治政府による近代化政策の下、明治3年に非科学的であるとして、陰陽寮は廃止されました。
けれども明治以降、陰陽師のような霊的な守護を理解できる頭脳集団が無くなってしまったことで、天皇家衰退や国益を損ねる様々な事態を引き起こして現在に至っています。

☆明治以降の天皇家衰退の霊的な要因
大東亜戦争終結後、GHQによって天皇家滅亡の呪いがかけられたことは先に述べましたが、その呪詛が容易に解けない状況の一つの要因として、明治天皇の東京遷都が考えられます。
明治以前までの長い歴史の中で、天皇は陰陽道を駆使して築いた完璧な都、平安京の御所で霊的に守護されていました。
天皇は四神相応の完璧な都である平安京に住まう事で、日本は外国に侵略される事なく、特に江戸時代に至っては産業や交通などが発達し、新しい学問や様々な文化が興りました。
四神相応とは東に河があって青龍、南に大池があって朱雀、西に道があって白虎、北に山があって玄武とした陰陽五行思想から来る考え方であり、四禽が東西南北に正しく当てはまる四神相応の土地と言うのは、陰陽道で理想の土地を指すものです。
この四神相応に照らし合わせて都を築く事で、結界によって如何なる外敵をも侵入を許さず、天変地異をも防ぎ、都を繁栄させる事が可能になるとされています。
ところが明治新政府により、明治天皇が霊的に完璧に守護されていた京都御所を捨てて、江戸に遷る事になりました。
当初は京都の公家の反発が強かったため、とりあえず「明治天皇の行幸」と言うことで明治元(1868)年10月13日江戸城に入りました。
その後一度は京都に戻られましたが、明治2(1869)年3月に再び東京に入り、この年『東京城(江戸城)』が『皇城』と改称され、これ以後、天皇と政府は京都へ戻らず、『東京遷都』が行われたとされています。
ここで問題となるのは、江戸城を宮城とされたことです。
京都御所は天皇家を守護するために完璧な結界が張られていますが、江戸城は徳川家を守護し、発展させるために、天海僧正が陰陽道と密教を駆使して、平安京に勝るとも劣らない完璧な結界を張り巡らしたのです。
と言うことは、現在の天皇家は徳川幕府の結界の中に入り込んでしまっていると言う事になります。
天海は徳川家を守護した天台宗の僧です。彼は江戸城(現在の皇居)を中心に東北の鬼門に当たる位置に上野寛永寺を置き、その裏鬼門に当たる西南に赤坂の日枝神社を置きました。
この上野寛永寺は上野が江戸城に対して鬼門に当たる事から、三代将軍家光が江戸城鎮護の目的で祈願寺として建立し、天海を開基住職にしました。
さらに寛永寺や増上寺に歴代の徳川将軍や正室、側室らの遺骸を葬る(密教による方術)ことで、江戸城の強固な守りとしました。

江戸城の北には日光東照宮(徳川幕府にとっては家康を神と祀った最高の霊場)があり、南には芝・増上寺があり、ここから東海道に至ります。
また東には大手門、西には半蔵門があります。半蔵門は西に伸びると甲州街道に至ります。
さらに江戸の中心部から日光東照宮までの距離は、京都から伊勢神宮までの距離にほぼ等しい事から考えて、天海は伊勢神宮が国家鎮護の聖地としての役を担っている事を鑑み、日光東照宮にも意図的に徳川幕府の聖地の役を与えようと考えたようです。
これらの天海による江戸の呪術的結果図は京都御所の模倣であり、鬼門や裏鬼門を押さえた陰陽道と密教による「四神相応」の完璧な都市造りだったのです。
大東亜戦争終結後の疲弊した日本が、東京を中心に現代まで躍進的な発展を成す事が出来た一因として、約四百年前の天海の江戸の呪術的都市造りがあったとも言えます。
けれども江戸城を皇居とした事は、天皇家にとっては悲劇的な状況をもたらしました。
江戸城はあくまでも徳川家の繁栄をもたらすように結界を張り巡らしているのであり、その江戸城を天皇家が宮城としたことで、徳川家にとって外敵となる天皇家を衰退させる原因ともなっているのです。
つまり徳川家以外の人間が江戸城に入れば、滅亡するように霊的な仕掛けがなされているからです。
けれども何とかその悪影響を防ぐため、結界のひとつとして明治2年(1869年)には東京招魂社(現在の靖國神社)、そして明治13年(1880年)には日比谷大神宮(現在の東京大神宮が建立されました。
特に日比谷大神宮は東京に於ける伊勢神宮の遥拝殿と言う、非常に重要な意味を持っていました。
ところが大正12年(1923年)9月1日、関東大震災によって日比谷大神宮が倒壊してしまった事で、結界の一部が崩れてしまいました。
その結果、日比谷大神宮が倒壊した後の昭和2年(1927年)3月には昭和金融恐慌によって日本は大不況に陥りました。
さらに昭和3年(1928年)に日比谷大神宮は日比谷から現在の飯田橋に移され「飯田橋大神宮(戦後、東京大神宮に改称)」と称されましたが、日比谷という場所にあることに結界としての意味があるのであり、異なったばあ所に遷宮されてしまった事で、全く意味の無い只の建物となってしまったのです。
そして昭和4年(1929年)11月にはニューヨーク・ウォール街で起こった株価の大暴落によって日本はその影響をまともに受け、昭和5年(1930年)にいわゆる昭和恐慌を引き起こす事になったと言うわけです。
つまり明治から昭和にかけての日本の歴史を霊的な側面から見た場合、天皇家を守護する結界の一つである日比谷大神宮が、関東大震災によって倒壊した結果、日本の経済を揺るがす昭和金融恐慌が起こり、さらに飯田橋に遷宮した事でさらなる昭和恐慌が起こり、その後は大東亜戦争へと突入し、昭和20年には屈辱的なポツダム宣言の受諾、続いてGHQによる占領政策が始まり、その結果、現代のような自虐史観にさいなまれ、欧米や支那・朝鮮に小突かれ続ける国へと転落してしまいました。
近代化政策の下、明治政府は明治3年に陰陽寮を廃止してしまったことで、霊的な結界などについて専門化がいなくなり、様々な霊的な手段によって守護し続けてきた天皇家と日本国家を窮地に至らしめることになってしまったのです。
明治天皇は親王を6人もうけられましたが、その内5人が夭折され、日清、日露戦争には勝利したものの、61歳という若さで崩御されました。
大正天皇は4人の親王をもうけられましたが、ご病弱であられたことなどもあり、大正12年関東大震災によって首都が壊滅的な被害を受けた2年後、47歳の若さで崩御されました。
また昭和天皇には中々親王がお生まれにならなかったことから、側室制度の復活まで持ち上がりましたが、何とかお二人の親王をもうけられました。
しかしながら大東亜戦争により国土は焦土と化し、またGHQによって屈辱的な占領政策を強いられることになりました。
さらに今上陛下にはお二人の親王がお生まれになりましたが、その後、悠仁親王殿下の御誕生は秋篠宮文仁親王殿下以来41年ぶりとなるなど、現在の皇室には親王の御出生が極めて少ないのです。
戦後は宮内庁に入り込んだ反日左翼思想の官僚によって、次々と天皇の宮中祭祀が簡素化されていったことで、益々国家鎮護の霊的な守護が危うくなってきています。
また天皇の祭祀の衰退と共に、日本民族にかけられた呪縛は益々説き難くなり、天皇家と日本民族は滅亡の道を辿っています。
それを解決するためには、天皇家が直ちに京都へ遷都なさるか、東京の皇居にお住まいになり続けるならば、早急に日比谷の地に新たな結界として神社をご創建する必要があります。
新たにご創建する神社は、東京大神宮を日比谷の地へ遷宮するか、天皇家にまつわる御祭神をお祀りする神社として改めて結界の役割を果たすものとしなければ、
天皇家の安泰と国家の守護は大変難しいものと言えます。

☆治世の乱れは天変地異を招く
古来から治世が乱れると天変地異が起こると言われています。
明治以降、急速に諸外国の思想が我が国に入ってきたことで、新しい価値観を消化しきれず、政治、教育、経済その他様々な分野で混乱が生じていました。
特に第一次世界大戦後(大正7年)、民主主義、マルクス主義、社会主義、共産主義、無政府主義などの西欧の革新思想(革命思想)が一挙に日本に流れ込み、これらの思想は、国家否定、民族主義否定、愛国主義を否定する性格のもので、いわゆる今の左翼はこの時から始まりました。
我が国では大正11,2年ごろ、左翼思想は全大学を風靡するほどの勢いになりました。その時起こったのが関東大震災です。
また社会党の村山富一氏が首相だった時には阪神淡路大震災、小泉純一郎氏が首相の時には中越地震をはじめ、日本中にあらゆる災害が起きました。
天変地異とは「自然災害による穢れの浄化作用」と言えます。天変地異が頻発すると言う事は、治世に誤りがあると言うことを政治家は知るべきでしょう。
戦後の歴代総理大臣の中でも、特に小泉首相の時には異常な数の天変地異が起きています。
度重なる台風、ゲリラ豪雨、地震、夏季の酷暑、冬季の異常寒波による甚大な被害や、浅間山の噴火による降灰による農作物への被害もありました。
特に記憶に残るのは平成15年9月3日、晴天から突然猛烈な雷雨となり、国会議事堂に落雷した事です。
また平成17年7月23日、東京直下で震度5の内陸地震が発生し、エレベーターが数万件停止しました。
如何に小泉元総理の政策が、我が国の国益を損ねたものであったかをうかがい知る事が出来ます。
また、皇太子徳仁親王殿下が小和田雅子さんとご成婚された平成5年から6年にかけては、天候不順による未曾有の米不足となり、米余りと言われて減反政策を採り続けてきた我が国が、外米を食べなければならないと言う事態に陥りました。
米は我が国にとっては最も重要な食物であり、神話の時代から我が国民は米を主食とするようにと言う、天照大御神による「斎庭の稲穂の神勅」にもある通りですが、その米が我が国で賄えなくなるとは、余程天意に適わない事があったと言うことではないでしょうか。
皇太子殿下と小和田雅子さんとのご成婚を、昭和天皇が最後まで危惧され、反対なさっておられました。
昭和天皇の崩御を待って、ご成婚への段取りを進めていたとの風評もあります。
近年、皇太子ご夫妻に対して様々な事が取り沙汰されていますが、特に目を引くのは西尾幹二氏の「皇太子さまへの御忠言」で、その中で「皇太子殿下が妃殿下によってコントロールされているのではないか」と言う危惧について書かれています。
皇太子妃の父親である小和田恆氏は外務省で実権を握っていた人物であり、自虐史観を肯定する「村山談話」とは、その小和田氏の国会での答弁を基に作ったものです。
昭和60年11月8日衆議院外務委員会における、当時の外務省条約局長小和田氏の見解とは、日本国はポツダム宣言を受諾する際に「一切の戦争犯罪人を処罰すること」に同意したという事でした。
このような自虐史観を肯定するような人物の娘を皇室に入れ、皇室を穢す行為が天神地祇の怒りに触れたと考えても良いと思います。
もし、今後も国益を損ない続けるような政治判断が続くような事態になれば、また皇室を解体するような勢力をこのまま放置しておけば、想像もつかないような天災を招く事になるかもしれません。
このような事態にならないようにする為にも、真に国益を考えて行動することが出来る政治家を選ぶ事が重要です。
もしこのまま「生活第一」と言う目先の利益ばかりをちらつかせるような政治家を選び続けるなら、私達日本人は間違いなく国を失う事態になりかねないのです。

6.五大神勅を踏襲し、神政復古へ
我が国は大東亜戦争終結後、GHQによる占領政策によって自虐史観を洗脳され、日本は悪い国であり、日本人は悪人であるとされてきました。
この国を真の姿に戻すためには、神政復古以外ありえません。
神政復古とは「神代に帰る」ことを指し、つまり天照大御神と高御産巣日神がお示しになられた五つのご神勅に基づいて生きていく事にほかなりません。
成すべきことは、五大神勅の踏襲です。

第一、「天壌無窮の神勅」
つまりこの日本の国は天照大御神の直系の子孫たる万世一系の天皇が統治されるべき国であると言うことをお示しになられました。
その為には「天皇に主権を奉還する」必要があります。
日本は神代の時代からご神勅に基づいて天皇によって統治されてきたのであり、国民の代表が統治すべき国ではありません。
戦後GHQの画策により、我が国は天皇による統治が不可能となってしまったことで、このご神勅を踏襲できなくなってしまいました。
その為、今日、日本は滅亡の危機を迎えていると言えるのです。
さらに戦後の宮家の断絶や皇室に男子のご出生が極めて少ないと言う事から、皇統断絶の危機も迫っています。
男系男子の皇位継承を確実にして、天皇を支えるべき皇室の藩屏の再建を図るための解決策として、早急に旧皇族の皇籍復帰による皇統の安定を計る必要に迫られています。

第二、「宝鏡奉斎・同床共殿の神勅」
八咫鏡を天皇と共にし、お祀りしなさいとお示しになられました。
八咫鏡は第10代崇神天皇の時代、天照大御神の神威の強さを畏れて宮中の外に祀ることにし、代わりに新たに形代が作られ、それを宮中でお祀りするようになりました。
そして第11代垂仁天皇の時、高天原からもたらされた八咫鏡は現在の伊勢神宮に御奉斎されて現在に至っています。
つまり崇神天皇以来、八咫鏡の御分霊を宮中で御奉斎している事になります。けれどもこれでは真にご神勅を踏襲しているとは言えません。
第10代崇神天皇の御代に形代をお祀りするようになった後、第30代用明天皇の御代には崇仏派の蘇我氏が排仏派の物部氏を破った事で、その後仏教勢力が台頭してきました。
それまで日本は独自の文字としてアヒルクサ文字やホツマ文字などの神代文字を使用していましたが、仏教の普及と共に急速に漢字を普及させ、全ての文化が支那から輸入されたものであるかのように日本の古代史を改竄されてしまったのです。
このように天皇家の根幹である神道が、外来の仏教によって退けられる事態になったことは、まさに同床共殿のご神勅の踏襲がなされていなかった事によるものと言えます。
さらに現代に至っては、天皇家を取り巻く人々に悉くキリスト教に関わる人達が多く、彼らによって天皇の宮中祭祀を蔑ろにされていると言う、憂うべき状況から脱する為には、改めてご神勅を正しく踏襲して頂く必要があると考えます。
そこで現在伊勢神宮に祀られている、高天原からもたらされたとされる八咫鏡を宮中に御奉斎し、常に「同床共殿」にて天皇がお祀りされることで、天照大御神の真の御神徳をお示しになることが可能になります。
ですから現在、宮中で御奉斎されている八咫鏡の御分霊を伊勢神宮で御奉斎すると言う、本来のあるべき姿に戻す事が必要と考えます。

第三、「斎庭の稲穂の神勅」
つまり我が国民は米をもって主食とするようにとお示しになられました。
日本人の食生活は戦前までは米食が基本でしたが、戦後は世界中の料理が紹介され、あらゆる食材が輸入された事で、一般家庭においても世界中の料理が並ぶようになりました。
その結果、洋食中心の食生活になったことで、米離れ→米余り→減反→農家の減少→自給率低下→食料大量輸入、と言う悪循環が起きてしまいました。
戦後私達日本人が「米」を疎かにしてきた結果、自らの首を絞める事態を引き起こしてしまいました。
日本がこれからも飢える事なく生きていく為には、「米」は日本人にとって最も適した食であることを再認識し、この「斎庭の稲穂の神勅」をしっかりと踏襲するほかありません。
その為には農家に米作りを奨励し、日本人の主食は米であるということを国民に知らしめることが重要と考えます。

第四、「神籬磐境の神勅」
つまり我が国民は敬神崇祖を怠る事の無いようにとお示しになられました。
敬神崇祖を復活させる事で、万世一系の天皇の弥栄を祈念して君臣一体の国柄を取り戻し、祖先をお祭りすることで先祖から引き継いできた祖国を大切に守ろうとする心を培う事が出来るでしょう。

第五、「侍殿防護の神勅」
つまり国家の平和と国民の安全が危機に陥るような事があったら、それぞれの立場で覚悟を決めて力を尽くすようにとお示しになられました。
國體を護持するために、先ず日本国憲法第九条を破棄し、国難に遭遇した際、自衛隊が日本国軍として動けるようにし、国防を推進する必要があります。
正しい歴史認識を持ち、誤った自虐史観(従軍慰安婦、南京大虐殺など)を一掃して、我が国は誇りある国であると自信を持って思えるようになれば、必然的に祖国を守る必要性を認識する事は出来るようになるでしょう。

古来、顧みれば、我が民族は天照大御神より賜りたる五つのご神勅を有する者であり、また万世一系の天皇を戴いている比類なき民族であります。
この天照大御神と高御産巣日神の五大神勅を正しく踏襲するならば、間違いなく我が国は恒久的に平和な国となり、また世界をも変える原動力へとなって行くことでしょう。
そして日本国民が五大神勅に基づいて生きる為には、初等教育において肇国神話を学ぶ必要があります。
世界のあらゆる国でその国の成り立ちを教えているにも拘わらず、我が国の初等教育に於いてはほとんど日本の神話に触れる授業はありません。
このことは日本人と言うアイデンティティを失わせるための謀略であり、実際、戦後の日本人は祖国意識をほとんど持たない、ただの人種として日本人と言う意識しかありません。
また自国に対しての愛国心が薄れてしまっているせいで、諸外国から日本に対する非難を受けると、どこが悪いのかを検証することも無く、ただひたすら謝るばかりです。
我が国の肇国神話を初等教育でしっかりと学び、天皇と国民との関係、日本が神国である所以などを正しく理解する事で、日本人としての本分を全うする事が出来るものと考えます。

7.誇りある日本を再生するための、陰陽の国防
日本は神代の時代から神道の国であり、仏教、キリスト教、その他の宗教が支配する国ではありません。
かつて後醍醐天皇は倒幕、天皇親政を目指しましたが、その際利用したのが真言密教でした。
密教は仏教の中でも呪術性が強く、非常に危険な宗教ですが、密教を利用した事がその後、南北朝時代と言う天皇家を二分する非常事態を引き起こしたのです。
一方、同じように天皇親政を目指した明治天皇は、廃仏毀釈を奨励して仏教を徹底的に排除し、日本は神国であるから神道を重んじようとされたことが、天皇親政を成功へと導いたと言えます。
日本の使命は有史以来変わる事なく、天皇を中心とした神政政治のもと、神と人とが共に歩む「神人合一」の顕現であり、つまりこの神人合一の世界を地球上に示す事で、世界人類の幸運を司ると言うことなのです。
その為にも我が国は、世界に範を示す国家へと変革する必要があるのです。
以上のことから、真の国防とは陰陽の国防、つまり物質的な国防と霊的(精神的)国防の両面によって達成されるのであって、どちらか一方のみでは不完全であると言うことがご理解いただけたことと思います。

衛星放送局の日本文化チャンネル桜の水島聡社長が番組の中で、「国民とは今生きている人間だけを指すのではなく、過去の祖先から未来の子孫に至るまでの人々を指すのである」と仰っていましたが、まさにその通りであり、国防とは単に今生きている人間の生命・財産を守ることではなく、過去から受け継いできた國體、伝統、文化、国柄を未来の子孫の為に守ることなのです。

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