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2010年11月14日 (日)

恵比寿講

恵比寿講  1月10日・10月10日

Takara  

恵比寿神は、海の幸をもたらす「寄り神」として漁民の信仰を集め、狩衣に風折烏帽子を冠り、右肩に釣竿、左小脇に鯛を抱えて座した姿で描かれ、漁業、商売繁盛、交易の神様と言われ、その顔はエビス顔と言われるような笑顔を湛えた尊顔です。
大黒天と共に恵比寿大黒と併称され、福神の代表格です。

一般的には恵比寿はイザナギノミコトとイザナミノミコトの第3子・蛭子尊(ひるこのみこと)が「恵比寿様」になったと言われています。
蛭子尊は今で言う身体障害者で、3歳まで足が立たなかったということで、天磐樟船(あめのいわくすふね)という葦の船に乗せて流してしまいましたが、摂津国西宮の浦に漂着し、そこで祀られて恵比寿様になったということです。
また別の説では大国主命の御子で漁猟の好きな事代主命(ことしろぬしのみこと)とも、
彦火火出身尊(ひこほほでみのみこと)つまり世に言う山幸彦とも言われています。

恵比寿様が蛭子尊であるとする説は、記紀神話で蛭子をエビスと訓じているからです。
西宮には全国的に信者の多い夷神社(西宮神社)があり、それらが由来の根拠となっています。

蛭子尊が恵比寿神であるならばエビスは純粋な日本の神ということになりますが、恵比寿(蛭子)は「戎(えびす)」とも「夷(えびす)」とも表記されますから、学者の間では純粋な日本の神様ではなく、来訪神、漂着神ではないかと考える人も多いようです。
つまり葦の船で流したと言う伝説もそれが変形された形で伝えられたのではないかと言うことです。

そもそも恵比寿そのものが異邦人を意味する言葉なのです。
夷は、解字すると解りますが、大(両手両足を広げた人の意味)と弓からなります。
つまり弓を射るため足を広げて踏ん張り、手を大きく広げて弓を引き絞っている人間の形を表しています。
古代中国東方の弓を引く異民族を指した言葉でした。
また戎も戈(ほこ)と鎧(十は亀の甲の異形で鎧)の意味で古代中国西方の異民族を指しました。
和語で異民族を指すエビスと言う言葉を戎や夷と言う字が入ってきた際漢字として充当したのです。

この神は今では商店主・農民の間に広く信奉されていますが、本源は漁民の神であったと言えます。
日本では古くから異郷から訪れて豊漁をもたらすものを神として信仰する風習がありました。
地方によっては、鮫や鯨、イルカなどのことをエビスと言っています。
これは鮫・鯨・海豚などに追われて魚群が海辺近くに現れることから、霊力ある神として考えられていたからです。

こうして見てくると、恵比寿は豊漁をもたらす神霊として信仰されていたと言うことが根本にあったことがわかります。
漁の大半が海であることから、航海の守護神としての信仰も中世には起こってきます。
また市場の守護神として祀る風習も後に起こってきます。
乾元元年(1302)、奈良の南の市を開く時、恵比寿神社を祀ったと言う記録があります。
建長5年(1254)、鎌倉の鶴が丘八幡宮にやはり市の神として恵比寿神を奉祀したという記録もあります。

市神としての恵比寿神ですが、市の発展や商業の復活に伴って次第に商業の神としての信仰が生まれ、福の神となって商人の信仰を集めるようになったようです。
そしてこの恵比寿信仰が布教していく力となったものとして「戎舞わし(えびすまわし)」(戎廻し)という夷神社の神事芸能があります。

また出雲神社には「大黒舞」という神事芸能もあります。
この方は人間が大黒に扮装して舞うものですが、戎舞わしの方は人形を使い豊漁を祝う行事で、後世の人形浄瑠璃の原型となっています。

更に恵比寿神は、漁民・商人のみの神だけでなく、農民の神としても厚く信仰されてきました。
農家では恵比寿神を家の福を増す神、又は台所を守る神とする信仰もあったようです。
陰暦1月10日、10月10日を恵比寿講の日としていたのも、収穫に大いに関係あるものと思われています。
各家では恵比寿神を祀り、家にある金銭全部を一升枡か二升枡に入れて、尾頭付きの鯛を腹合わせに供えるのが風習です。

各ご家庭では尾頭付きの鯛を腹合わせにして平瓦(皿)に盛り、お祀りして下さい。

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