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2010年11月11日 (木)

陰陽道による神葬祭

神葬祭とは我が国固有の神道の形式によって行われる葬儀のことを指します。
記紀の記述によりますと、仏教渡来以前から、我が国固有の葬法が存在した事が知られています。
葦原中国平定のために、高天原から降ろされたもののその使命を果たさぬままに「還矢」にて死亡した天若日古の葬儀に際して、
是(ここ)に天在(あめな)る天若日古(あめのわかひこ)が父、天津國玉神(あまつくにたまのかみ)、及其(またそ)の妻子(めこ)ども聞きて、降(くだ)り来て哭(な)き悲みて、乃(すなは)ち其処(そこ)に喪屋(もや)を作りて、河雁を岐佐理持(きさりもち:葬儀の際に死者への捧げ物を持ち従う者)とし、鷺を掃持(ははきもち:葬儀の際に穢れを祓い、墓所の掃除のために箒を持ち従う者)とし、翠鳥(そに:かわせみ)を御食人(みけびと:死者に供える御食を調理する者)とし、雀を碓女(うすめ:米をつく女)とし、雉(きざし)を哭女(なきめ:葬儀の時に哀れを添えるために雇われて泣く役をする女)とし、如此(かく)行ひ定めて、日八日夜八夜(ひやかよやよ)を遊びたりき

と言う様な葬儀を行った事がうかがえます。

仏教の伝来以来、僧侶が「死」と言う「穢れ」に関わることが普遍的となり、奈良時代以降急速に神道を取り入れた仏教形式による葬儀が貴族から庶民にまで広く普及していきました。
さらに江戸時代に入ってからは「寺請制度」が施行されたことから、庶民の葬儀はほとんどと言っていいほど仏教一辺倒となっていきました。

明治維新以降、「寺請制度」が廃止され、神職も氏子から依頼があれば葬儀を執り行ってよいことになりましたが、神職は国家の宗祀(国が尊び祀るもの)である神社奉仕に専念するために、官幣社の神職は葬儀に関わる事が禁止されました。
ただ、府県社以下神社の神官は例外とされました。
戦後は神葬祭に関わる法的な規定も無くなり、自由に行う事が出来るようになったものの、過去の経緯もあり、仏教による葬儀が絶対的多数を占めていると言えるでしょう。

(参考図書:家庭の祭祀事典 西牟田祟生著)

仏教による葬儀では位牌を作りますが、あれは象徴に過ぎません。
位牌に故人の御霊を遷す行事(遷靈祭)を行いませんから、位牌には御霊が入る事が無く、ただの物でしかないのです。

また私の知っている限り、肉体と魂を結び付けている靈子線(臍の緒のようなもの)が、通常24時間以内に切れるのですが、切れてもなお肉体に固執した魂は肉体に残ろうとして、現代の場合そのまま荼毘にふされてしまいます。
そうすると、本来霊魂の状態では傷を追うことはありませんが、肉体への固執のため大火傷を負ってしまい、火葬場でいつまでもただれた状態でさまよっている方が多く見受けられます。

また死後、どこに行けばよいのか分らない方々は、近年のテレビや雑誌、多くの霊能者と称される人達の誤りによって、子孫を守るという名目(守護霊・先祖靈など)で憑依を繰り返しています。本来、人が亡くなれば、死後の世界、罪・咎の無い人は常世の国へ、罪・咎のある人は黄泉の国へ還りますが、自らが亡くなった事すら気が付かない、もしくは死後、どこに行ったら良いかわからないといった人たちが、浮遊霊や自縛霊、憑依霊となってしまいます。
 
当会では陰陽道による神葬祭によって、御霊をこの世に彷徨わせる事なく、必ず「常世の国」または「黄泉の国」にお送りしております。

帰幽されて長い年月を経た後でも、御霊を幽界にお送りすることは可能ですが、その間、御霊は彷徨い続ける事になりますので、出来る事なら帰幽されて50日以内に神葬祭をされることが望ましいでしょう。

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