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2010年11月14日 (日)

名越(夏越)大祓・年越大祓

「夏越之大祓」「茅の輪」とは

夏越之大祓の歴史

夏越之大祓は七〇一年の大宝律令によって正式な宮中の年中行事に定められました。
この日には、朱雀門前の広場に親王、大臣(おおおみ)ほか京(みやこ)にいる官僚が集って大祓詞を奏上し、国民の罪や穢れを祓いました。衣服を毎日洗濯する習慣や水などのない時代、半年に一度、衣替えの時期に雑菌の繁殖し易い夏を前に、新しい衣服に替える事で疫病を予防する意味もありました。その後、百年ほどは盛大に行われました。そして応仁の乱の頃から行われなくなりましたが、江戸時代(一六九一年)に再開され、次第に一般庶民にも広まっていきました。

現在、全国各地の神社で執り行われている大祓は、明治時代に神事の復興にご留意された明治天皇が明治四年六月二十五日、太政官布告をもって大祓の旧儀再興を仰せられ、天皇御自ら節折(よおり)の御儀を修められると共に、諸臣を召して宮城内の賢所前庭で大祓の儀を行われたことに因るものです。

大祓の意味

大祓は、一年の上半期である六月と、下半期十二月の晦日に行われます。
半年分の罪や穢れを祓い、残り半年の無病息災を祈願する陰陽道由来の神事です。
さらに「夏越之大祓」は、お盆にご先祖様の御霊をお迎えする為、「師走大祓」は、お正月に祖霊と歳神さまをお迎えする為の、心身を清めるお祓いでもあります。
旧暦の六月は、夏の最後の月であることから(旧暦では、一~三月が春・四~六月が夏・七~九月が秋・十~十二月が冬)暑くて疫病などが流行りやすい夏を越す意味で、夏越之祓(なごしのはらへ)、夏越之神事(なごしのしんじ)、水無月之祓(みなづきのはらへ)とも呼ばれます。
名越とも書きます。なごしとは「和し」であり、疫病である荒魂を和ますことでもあります。

紙で作った身代わりの人形(ひとがた)に、姓名・年齢を書き、体を撫で息を吹きかけ、自分の罪や穢れをこの形代に移して、大祓神事を執行した後、お焚き上げを行います。川に流す場合もありますが、それは流し雛の原型です。

十二月は、大祓(おおはらへ)、年越しの祓(としこしのはらへ)などと呼ばれます。

Photo 夏越之大祓では茅の輪くぐりを行う神社もありますが、「茅の輪」の意味は「蘇民将来」神話によるもので、茅の輪を腰につけて災厄から免れたとされ、茅の旺盛な生命力が神秘的な除災の力を有すると考えられてきたからです。

蘇民将来の伝承とは次のようなものです。

その昔、祇園精舎を守護する牛頭天王が老人に身をやつして世を忍んで旅に出た時の事。ある夜、巨丹将来・蘇民将来の兄弟が済む村に牛頭天王が宿を求めてやってきました。裕福だった兄の巨丹将来は老人姿の牛頭天王を冷淡に扱ったのに対し、貧しかった弟の蘇民将来は牛頭天王を優しくもてなしました。牛頭天王は蘇民将来に自らの本当の姿を明かした上で、いずれ悪病が流行るが、蘇民将来の一族は助ける事を約束し村を去りました。やがて本当に悪病が流行り、兄の一族はみな死んでしまいましたが蘇民将来の一族は助かりました。

京都では夏越祓に「水無月」という和菓子を食べる習慣があります。水無月は白のういろう生地に小豆を乗せ、三角形に包丁された菓子で、水無月の上部にある小豆は悪霊祓いの意味があり、三角の形は暑気を祓う氷を表しています。

Photo_2

陰陽會で夏越之大祓をお受けになられた皆様には、ご神札と茅の輪をお頒かち申し上げます。

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