最近のトラックバック

最近のコメント

2016年9月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
無料ブログはココログ

« 平成20年10月号 | トップページ | 平成20年11月号 号外 »

2011年3月 4日 (金)

2010年11月号

十月の陰陽會の祭典および行事

十月十一日     十三夜祭 執行

十月二十日 皇后陛下御誕辰祭 執行

十月二十日     恵比寿祭 執行

十一月の陰陽會の祭典及び行事予定

十一月三日     明治祭 執行

十月二十三日 新嘗祭 執行

明治節・明治祭とは

明治天皇さまの御遺徳を偲び、御生誕の十一月三日に斎行する祭典です。

明治天皇さまのご略歴

嘉永五年九月二二日(一八五二年十一月三日)~明治四五年(一九一二年)七月三十日

名は睦仁。
孝明天皇の第二皇子。
母は権大納言中山忠能(ただやす)の娘・慶子(よしこ)。京都の中山邸でお生まれになり、祐宮(さちのみや)と命名されました。
万延元年(一八六〇年)皇太子となり睦仁と改名されました。幕末の倒幕運動の高まりの中で孝明天皇が急死し、慶応三年(一八六七年)一月、践祚して皇位を継承し、第一二二代天皇となられました。

徳川慶喜の大政奉還後、同年十二月、王政復古により新政府を樹立し、一八六八年九月、『明治』と改元。
翌月には、京都から東京に移り江戸城(のち宮城)に入られました。近代国家の建設の進む中、ヨーロッパ的君主としての教育を受けられました。

明治二二年(一八八九年)欽定憲法として発布された大日本帝国憲法により、天皇は国の元首で統治権の総攬者と定められ、文官・武官の任免、陸海軍の統帥と編制、条約の締結、宣戦・講和などの大きな権限を保持し、国務大臣の輔弼ほひつと帝国議会の協賛によりこれを行使なさいました。
日清戦争では広島の大本営に起居し国務・統帥にあたられました。
明治四五年(一九一二年)七月二九日崩御。(宮内省の公式発表は七月三十日崩御)九月一三日に大葬。

新嘗祭とは

新嘗祭は古くから天皇がその年に収穫された新穀や新酒を天照大神をはじめとする天地の神に供え農作物の恵みに感謝し、自らも食す儀式でした。律令制度のもと十一月の二番目の卯の日に新嘗祭を行うことになっており、天皇が即位した最初の新嘗祭を大嘗祭と呼び天皇の即位を天下に知らしめる大きな祭典となっています。新嘗祭がいつ頃から行われていたかははっきりとしないのですが、日本書紀で皇極天皇元年(六百四十二)十一月十六日に新嘗祭の記述があるのが文献に出てくる最初です。この日の干支は丁卯にあたり、すでにこの時代に十一月の二番目の卯の日が新嘗祭と確立していたようです。明治以降、新嘗祭は十一月二十三日に定められ国民の祝日となります。そして昭和二十三年より勤労感謝の日と名を変え「勤労をたっとび、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう」日として国民にすっかり定着した祝日となっています。本来、この新嘗祭は宮中だけで行われていた儀式ではなく一般民衆の間でも新しい穀物を神に供えそれを食べて収穫を祝う習慣がありました。「風土記」や「万葉集」にもその様子が描かれており現在も年迎え的な行事として能登半島の「あえのこ」や関東地方で行われている「十日夜」が残っています。

« 平成20年10月号 | トップページ | 平成20年11月号 号外 »

桔梗だより」カテゴリの記事