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2011年3月 4日 (金)

平成20年5月号

四月の陰陽會の祭典および行事

四月三日     神武天皇遥拝式 執行

四月二十九日    昭和祭 執行

 

昭和祭 執行

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五月の陰陽會の祭典及び行事予定

五月五日   端午祭 執行

端午の節句とは

端午(たんご)の節句は、奈良時代から続く古い行事です。端午というのは、もとは月の端(はじめ)の午(うま)の日という意味で、五月に限ったものではありませんでした。しかし、午()と五()の音が同じなので、毎月五日を指すようになり、やがて五月五日のことになったとも伝えられます。

当時の日本では季節の変わり目である端午の日に、病気や災厄をさけるための行事がおこなわれていました。この日に薬草摘みをしたり、蘭を入れた湯を浴びたり、菖蒲を浸した酒を飲んだりという風習がありました。厄よけの菖蒲をかざり、皇族や臣下の人たちには蓬(よもぎ)などの薬草を配り、また病気や災いをもたらすとされる悪鬼を退治する意味で、馬から弓を射る儀式もおこなわれたようです。五月五日の端午の節句に「鯉の吹流し」を立て、「武者人形(五月人形)」を 飾って男の子の前途を祝うようになったのは、徳川時代からです。
五月五日の節句は、五と五を重ねる事から「重五」、菖蒲を用いる事から 「菖蒲の節句」などと呼ばれています。「五」と「午」が相通ずることか ら、初節句を「端午」「端五」(端ははじめの意)と書きました。菖蒲は薬草で、邪気を避け、悪魔を払うという昔からの信仰があり、節句にはヨモギと共に軒にさし、あるいは湯に入れて「菖蒲湯」として浴しました。武家時代となると「菖蒲」が「尚武(しょうぶ)」と音が通ずるために、盛んとなりました。平安朝のころから、子供らは菖蒲で飾った紙の兜をつけ、石合戦などの遊びをしていたそうです。元禄時代になって紙や木でつくった菖蒲人形を庭先に立てるようになり、それがいつしか室内に飾るようになり、人形美術も発達して種類も増えました。

  
室町時代から武家では五月五日の端午の節句に、竹竿に布を張り「吹き流し」を立てましたが、江戸時代になって町人階級も紙で作った「鯉のぼり」を竿につけて高く掲げて対抗して楽しんでいました。
コイはもともと威勢のいい魚で、昔から「鯉の滝上り」などと伝えられ、子供が元気に育つようにという親の願いが「鯉のぼり」にこめられています。

急に暑くなるこの時期は、昔から病気にかかりやすく、亡くなる人が多かったそうです。その為、5月を『毒月』と呼び、厄除け・毒除けをする意味で菖蒲やヨモギ・ガジュマロの葉を門に刺し、 薬用酒や肉粽を飲食して健康増進を祈願します。人々の生きるための切実な思いによるものが、端午の節句が生まれた理由なのでしょう。

陰陽會では五月五日に〇歳から十三歳までの男女のお子様を対象とし『端午祭』を執行致します。お子様の一年間の病気や災厄を祓い、健やかな成長と利発さや美麗が授かるようにご祈願申し上げます。

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