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2011年3月 4日 (金)

平成20年9月号

八月の陰陽會の祭典および行事

八月一日     八朔符の頒布

八月十五日  戦没者慰霊と世界平和祈願祭執行

 

世界平和祈願祭を執行

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戦争の記憶が風化してゆく中、日本人にとって八月十五日という日は決して忘れてはならない日でもあります。世界中の多くの戦没者の方々の御霊を慰霊する意味においても、大変重要なお祭りです。

九月の陰陽會の祭典及び行事予定

九月九日   重陽祭 執行

九月五日   敬老祭 執行

九月二十三日   第三回 例大祭晴明桔梗まつり 執行

例大祭晴明桔梗まつり

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毎年九月二十三日(秋分の日〉に、安倍晴明公のご命日《九月二十六日》を記念して例大祭・晴明桔梗まつりを斎行致します。一年に一度の大切な御祭礼です。

国家の安泰、皇室弥栄、世界の平和、神恩報賽(今あるを御祭神に感謝)に加え、尚一層皆様のご健勝と御発展を御祈願するものです。

重陽の節句

重陽の節句というのは、九月九日に行われる節句のことです。
九月九日は陽数の極、つまり、一番大きな奇数である九が重なることから「重陽」といわれ、別名「重九(ちょうきゅう)」ともいわれています。旧暦の九月といえば晩秋です。邪気を払い、寒さに向かうこの時期に、無病息災を願い、防寒の意味もこめて、この重陽の節句は行われました。重陽の節句は菊花宴ともいい、山中 裕氏によれば、天武十四年(六百八十五年)を起源とされています。

さて、宇多天皇の御代からは、菊の着せ綿(「被綿」とも)という慣習も見られるようになりました。菊の着せ綿というのは、その字のとおり、菊に綿を着せる、つまりかぶせることを指します。
具体的には、九月八日の夜に、菊の花に綿をかぶせておくのです。そうしますと、一夜明けた翌九日の朝には、その綿は露を含んでしっとりと濡れているというわけですね。当時はこの綿で肌をぬぐうと、老を棄てることができるとされていました。ちなみに、この綿は「真綿」つまり蚕の繭からとった絹綿のことであり、今なら、さしずめシルクパフというところでしょうか。そう考えますと、確かに美容効果もありそうな気がします。さて、紫式部日記には、寛弘五年の九月九日に、道長の妻の倫子から紫式部に菊の綿が贈られた記事が見られます。

       
九日、菊の綿を、兵部のおもとの持て来て、「これ、殿の上の、とり分きていとよう、老拭ひ捨て給へと、のたまはせつる」とあれば、菊の露わかゆばかりに袖ふれて花のあるじに千代はゆづらむとて、かへし奉らんとする程に、あなたに還りわたらせ給ひぬとあれば、ようなさにとどめつ。 
殿の上というのが倫子です。倫子からのプレゼントを持ってきた兵部のおもとが言うことには、倫子は 紫式部に対して特別に「いとよう、老拭ひ捨て給へ」つまり「この菊の綿で、よくよく老を拭きとってお捨てなさい」というメッセージを添えて、菊の綿を贈ったということです。紫式部はそれに対して、「私はこの菊の露に、ちょっと若返る程度袖をふれさせてもらえれば結構です。千代の長寿はこの花の持ち主でいらっしゃるあなたさまにこそお譲りいたしましょう」という歌を添えて、この菊の綿をお返ししようとしました。けれども、倫子はすでに中宮の所から自の部屋に戻ってしまわれたと聞き、そのまま手元に置くことにしたという内容です。

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