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2012年9月30日 (日)

桔梗だより 平成23年7月号

六月の陰陽會の祭典および行事

六月六日 疫病封じ祈願祭を執行しました。

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六月卅日 夏越之大祓祭を斎行致しました。

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七月の陰陽會の祭典及び行事予定

七月廿二日   結婚感謝祭

天武天皇と陰陽道

そもそも陰陽道とは何か。

明治政府の近代化政策によって、陰陽師と云う官僚を束ねる陰陽寮と言う組織が廃止されて以降現代に至るまで、陰陽道や陰陽師と言う言葉や概念が日本人の記憶から薄れてしまい、現在では映画やテレビなどで占い師や悪霊祓いのような扱いになっておりますので、単なるオカルト的な職業であると認識されている場合が多いかと思います。

しかしながら実は陰陽道と言うものは、天皇の宮中祭祀をはじめ現在の日本の伝統文化すべてと言っても過言ではないほどに、陰陽道の様々な祓いや考え方が浸透しており、日本と言う国は将に陰陽道によって形造られた国であると言えるのです。

あまりにも多岐に亘って日本の伝統文化に浸透しているので、すべてをここで紹介できませんが一部をご紹介致しますと、人生儀礼をはじめ、季節の行事、また最近は無視されがちですが、家を建てる際にどのような土地が良いか地相を見たり、鬼門や裏鬼門などに留意して家を設計するなどの家相を見るなどすることは、元々陰陽道に由来するものです。

これは宮都を造る際に陰陽道によって四神相応の地を選んだり、宮城に鬼門を除ける細工をするなどしたことを、陰陽道が民間に流出した際に見よう見まねで行われたことから発しています。

近年、陰陽道は単なる支那由来の哲学体系であると言われているようですが、それは全くの間違いです。

陰陽道とはもともと日本に古くから存在していた神々をお祭りする呪術的な側面を持つ古神道に、仏教伝来と共に入ってきた陰陽五行と言う森羅万象すべてを解き明かす哲学的体系である道教を醇化させて作った、日本固有のものなのです。

つまり陰陽道とは支那由来の道教と言う完成度の低く未熟な哲学体系を我が国の古神道と融合、醇化させることで、高度な思想体系に基づく技術に革新させたものです。つまり呪術と科学が一体となった倫理体系であり原理システムと言えます。

陰陽道はオカルト(呪術・方術)と科学を組み合わせた業であり、陰陽五行によって宇宙の成り立ちから大自然の循環、国家の統治法、城下町や都市の造営法、人体の構造、仁術(医学)、栄養学、心理学、倫理学に至るまで解明解説が可能であり、さらに方術(呪術)によって怨霊をはじめ土地、樹木、家などに存在するあらゆる神々を鎮めることが可能になります。

陰陽師(あるいは方術師)とはこの陰陽道を駆使して、天皇を補佐し、国家の安定や平安を司る者たちを言いました。

陰陽道の祖は天武天皇と考えられています。天武天皇によって初めて内裏に陰陽寮と占星台(天文台)が設置され、陰陽寮に所属する陰陽師は、天文術を駆使して地の異変を事前に察知し、天皇に奏上する「天文密奏」と言う非常に重要な任務を負いました。

天文密奏は陰陽寮に属する陰陽頭(おんみょうのかみ)のみが許される特命であり、極秘の任務でした。天文学と暦学、陰陽五行の組み合わせによって予言を行いました。これは科学の分野と言えますが、この異変の予兆を極力避ける為に、呪術つまり方術を用いたわけです。

天武天皇は日本書紀に「天文遁甲(てんもんとんこう)を能くした」と明記されています。天皇自らが天文学、道教の中の方位術である遁甲を得意として、実践されたことが伺えます。

①「天皇」と云う尊号は天武天皇が使い始めたものであり、語源は道教の天皇大帝です。これは北極星を意味する天の支配者、つまり「天の命を受けた者」と云う意味です。それ以前は「大王」(おおきみ)と称されていました。

天命を受けた天皇は天意に沿って治世を行わなければならないことから、常に天意を伺う必要があります。その天意を伺い、天皇に奏上することが陰陽寮の務でありました。

天命を受けた所以は天照大神による天壌無窮の神勅「葦原千五百秋瑞穂の国は、是、吾が子孫の王たるべき地なり。爾皇孫、就でまして治らせ。行矣。宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮り無けむ。」に基づくものであります。

② 新たに天皇として即位する時の践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい)を制定しました。この祭祀は道教の封禅(ほうぜん)を起源とし、天曺地府祭(てんちゅうちふさい)と云う名称で安倍家によって行われるようになりました。江戸末期までは大嘗祭と区別していたようですが、明治以降は習合して一体の祭祀となりました。

③完成は崩御された後となりましたが、我が国最初の国書である「古事記」「日本書紀」の編纂選定を指示しました。

④伊勢神宮の二十年に一度の式年遷宮が制定、開始されました。

⑤我が国最初の本格的な都である藤原京は、天武天皇が陰陽道によって計画したものでした。

⑥八色の姓(やくさのかばね)をはじめとする位階の制定、飛鳥浄御原律令による体系立った法規の編纂制定を行いました。

⑦八咫鏡(やたのかがみ)・天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)からなる三種の神器を制定しました。

以上のように、天武天皇は陰陽道に基づいて、日本の骨格を造ったと言えます。

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