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2012年9月30日 (日)

桔梗だより 平成24年2月号

1月の陰陽會の祭典および行事

元旦 歳旦祭を斎行致しました。

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1月3日、元始祭を斎行致しました。

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一月七日 昭和祭を斎行致しました。

一月九日 成人祭を執行致しました。

一月廿日 恵比寿祭を執行致しました。

二月の陰陽會の祭典及び行事予定

二月三日   追儺式・節分祭 

二月十一日 紀元祭 

二月十七日 祈年祭

 

陰陽道の占術のひとつ、暦占

(暦に記された年月日の占い)

陰陽道を信奉していた藤原道長の有名な日記『御堂関白記』は、具中暦に記されたものです。具中暦とは星宿(せいしゅく)、干支、吉凶などを細かく注した暦の事で、日毎に二、三行空白があり日記を記すようにしたものです。その名残が現在の運勢暦です。年や月に比べて日の吉凶はその数が非常に多いのですが、そのほとんどは晴明公の著作とされている『簠簋内伝金烏玉兎集(ほきないでんきんうぎょくとしゅう)』に繰り出し方が記されています。毎日に配された十干十二支の組合わせ、陰陽五行の相生相剋などによって吉凶が定められています。

現在の暦は太陽暦の一つであるグレゴリオ暦です。明治六年に旧来の吉凶付きの暦注が迷信であるとして廃止され、単純に日にち、曜日、祝祭日が記されたものになりましたが、今まで暦注に慣れ親しんでいた人々にとっては吉凶が全く分からない新しい暦に物足りなさを感じていました。そこで幕末頃から民間の暦にひっそりと記載され始めていた六曜(ろくよう)だけは迷信の類ではないと云う事で、引き続き記載されたのです。このことから却って六曜人気に拍車をかけることとなり、大東亜戦争終結後、爆発的な人気となりました。

六曜とは現在の暦には必ずと言っていいほど記されている先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口と言われるもので、元々は日取りを区別する為の単位として用いられていたと言われています。六曜は支那の唐の時代、天文学者李淳風が発明したとされていますが、起源ははっきりしていません。一見不思議な日取りの配当を見せるので、不可思議で御利益がありそうな暦注として人気を博していますが、実際はただの迷信にすぎません。つまり迷信を排除するとしてそれまで長きに亘って使い続けてきた意味のある暦注を廃止し、逆に単なる迷信である六曜を用いる事になったとは何とも愚かしい限りです。

暦は陰陽寮の中の暦道で作成されました。暦道は陰陽道や天文道に比べるとやや軽視されていましたが、他の二道よりも占い的呪術的要素が最も少なく、科学的な研究をしていた部門と言えます。暦道の主な役割は次のようなものでした。

一、暦道を学ぶ学生を育成する。

二、毎年の頒暦(はんれき)を作成する。
支那の暦書(陰陽書)を参考にして八月一日までに翌年の暦を作成し、十一月朔日(一日)に中務省を経て奏聞し、役所に頒布する。これは「御暦(ごりゃく)奏の儀」と呼ばれ朝廷の年中行事の一つになっていました。(七曜御暦は正月一日に献上しました)

三、日食の予報。
暦博士にとって日食を予報することは特に重要な任務でした。予め日食が起きる年月日を予想すると、その正月朔日に陰陽寮に申し出て、日食に先立つ八日前に中務省に上申しました。日食に神経質になっていたわけは、日食は地上に厄災をもたらす天の兆しであり、枉津日(まがつひ)、穢れであるからです。日食当日は朝廷の公務は中止され、紫宸殿をムシロで包み、穢れを避けて篭られました。『禁秘抄』には、「天子殊に其の光にあたりたまはず、蝕の以前・以後と雖も、其の夜光に当りたまはず、日・月これ同じ、席をもつて御殿を裹み廻らし、供御ごとく其の光に当らず」とあります。

毎年十一月朔日に行われる「御暦奏の儀」には天皇専用の具注御暦二巻と頒暦一六六巻が奏進されました。

もともと具注暦は朝廷と官吏だけで使われていたものですが、鎌倉時代に入ると読みやすい仮名暦と云うものが普及し、民衆にも親しまれるようになりました。それらは基本的には賀茂家の作った原本を元に、暦の制作を任されていた京都の摺暦(すりごよみ)座という団体が一手に引き受けていました。当時摺暦座は大経師(だいきょうじ)と呼ばれていました。しかしながら物事を行うにあたっての毎日の吉凶が記されている暦の人気は日本各地で高まり、大経師の作る公式暦以外に各地で独自の暦も作られるようになりました。主な地方暦は次の通りです。


丹生(にぶ)暦…三重県多気郡の賀茂杉太夫版行の暦。紀州暦。


伊勢暦…
十五世紀後半、伊勢神宮の御師が御札と共に頒布した暦。伊勢神宮の土産として全国的に普及した、江戸時代の代表的暦。


鹿島暦…鹿島神宮によって頒布された暦。利根川中流から常陸の国一円に頒布された。閏月を神託により決めていたとされる。


南部暦…賀茂家の子孫である光徳井(かでい)家が奈良で頒布した暦。


泉州(せんしゅう)暦…和泉信太郷舞(いずみしのだごうまい)村の聖神社の神官藤村家が作った暦。売暦をしばしば行い、宝暦五(一七五五)年以降、発行を禁止された。

大坂暦…室町時代にあったが、永禄二(一五五九)年に丹生暦との相違が発覚し、頒布が差し止められた。


三島暦…奈良時代に伊豆三島に土地を賜った河合某が、その土地に天文台を立てて作暦したとされる。


大宮暦…埼玉県大宮氷川神社で版行した暦。室町時代には京都とは独立して関東一円に頒布されていた。


仙台暦…仙台藩が版行した暦。貞享の改暦以後、幕府に無許可で暦注を記載していた為、正徳五(一七一五)年、に発行禁止処分になった。


会津暦…会津諏訪神社が版行した暦。


薩摩暦…江戸時代薩摩藩が独自に版行を許された暦。


南部絵暦…南部地方で文字を知らない農民の為に絵で説明している暦。  (『旧暦で読み解く日本の習わし』青春出版社 参照)



現在、暦はカレンダーと云う洋風の呼び名で単なる日取りを見るだけの味気ないものになってしまっていますが、明治以前の暦注は庶民にとってもあらゆる物事の吉凶を記した非常に重要なものであり、更に暦を管理することは天下を統治する意味に於いて最も重要なものとされていました。

暦注の意味を再認識し、日々の生活に活かしていくことで、禍を防ぎ吉祥をもたらすことが可能になり、人生が円滑に送れるようになることでしょう。

(次号に続く)

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