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2012年10月

2012年10月31日 (水)

病気と怪我の仕組み

病気と怪我の仕組み

ここでは、人間が病気や怪我の時、そして最期身罷る時には、魂はどのような状況にあるかということを説明いたします。

陰陽道・神道に於いては、人間の生命や活力の根源は魂であると考えられています。

つまり人間は単に肉体だけの存在では無く、肉体は魂の器であると考える事が出来るのです。

母親のお腹に肉体としての生命が宿り、十月十日の間肉体がどんどん成長していきますが、魂が入るまではただの肉体の存在であり、人間としての存在ではありません。

一般的には大体7か月くらいまで成長すると、子供が親を選んで肉体の中に魂が入り、その後出産を経て魂が宿った状態で赤子として生まれて来ます。

そして肉体が死を迎えるまでの間、健康な時には肉体の胸のあたりに鎮まっている魂は、病気や怪我などの状態に陥ると、肉体に鎮まる事が出来ずに一時的に抜け出た不安定な状況になります。

更にこの一時的に抜け出てしまった魂が肉体に戻れなくなった時、肉体の死を迎える事になるのです。

この様な観念から、神道、陰陽道に於いては特に病気や怪我の時などの一時的に抜け出た不安定な状態の魂を肉体に鎮めて安定させる為の祭祀が鎮魂行事であり、更に魂を振るわせて活力を与える祭祀が魂振行事です。

悪霊にとり憑かれたり、穢れの多い人、物、場所に関わったり、精神的に落ち込んでいたり、日蝕・月蝕などの穢れである天文現象に遭遇したりなどして次第に肉体に穢れが溜っていくことで、生命力の活力を失い、肉体が病気になったり怪我をしたりします。

すると、魂が肉体から一時的に飛び出てしまいます。

病気や怪我で傷付いた肉体を治す為に、医療によって様々な治療を施しますが、西洋医学でも東洋医学でも肉体から飛び出た魂を鎮める事は出来ません。

鎮魂と云う祭祀によって飛び出してしまった魂を肉体に鎮め、魂振と云う祭祀によって魂に活力を与える事で、医療の効果が上がり比較的早く、元の健康な肉体に戻る事が出来るのです。

病気や怪我によって肉体に何らかの損傷が起きている場合は、医療によって修復する必要があるのは当然であり、祭祀だけでは肉体を治癒する事は困難です。

このことから病気や怪我の場合は、鎮魂と魂振と云う祭祀と医療の両方を行う事で、より一層早く、元の元気な肉体に戻る事が出来ると言えます。

特に病気や怪我でない場合に於いても、常に鎮魂の祭祀を行う事で、肉体に活力を与え、生命力に溢れる人生を送る事が出来ると共に、万一病気や怪我に見舞われたとしても、重篤(じゅうとく)な状態に陥る事無く、比較的簡単に元の状態に戻ることが出来るのです。

鎮魂と魂振の代表とも言える宮中の祭祀である鎮魂祭は、即位の際の大嘗祭(だいじょうさい)と毎年秋の新嘗祭(にいなめさい)の前夜に天皇陛下が必ず行われる祭祀です。

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宇気槽の儀

鎮魂の儀では、宇気槽(うきふね)と呼ばれる箱を伏せ、その上に女官が乗って桙(ほこ)で宇気槽の底を10回突く「宇気槽の儀」が行われます。かつてこの儀は、天鈿女命(あめのうずめのみこと)の後裔である猿女君(さるめのきみ)の女性が行っており、「猿女の鎮魂」とも呼ばれていました。

魂振の儀

鎮魂の儀の後、天皇の装束を左右に10回振る魂振の儀が行われます。これは饒速日命(にぎはやひのみこと)が天津神より下された十種の神宝(とくさのかむだから)を用いた呪法に由来しています。『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』には、饒速日命の子の宇摩志麻治命(うましまちのみこと)が十種の神宝を使って神武天皇の心身の安鎮を祈ったとの記述があり、「所謂(いはゆる)御鎮魂祭は此よりして始(おこ)れり」としています。

・・・・・・・・・・・

天皇は即位の礼に始まり、毎年行われる新嘗祭前夜の陰陽道による鎮魂の儀で穢れを祓い魂を鎮め、魂振の儀によって魂に活力を与え、生命力を蘇らせ、霊威を高めておられるのです。

魂振の身近な例ではお祭りの際に担ぐ御神輿を振る「神輿振り」です。激しいお祭りでは壊れる方が良いとされるほどに御神輿を振り動かしますが、神輿を振り動かす事で神輿に乗っておられる神の霊威が高まり、豊作や疫病退散などの願いが叶うと考えられてきました。

また農耕社会の我が国に於いては、神輿を担いで大地を踏み固めたり、相撲の力士が四股(しこ)を踏んだりする大地の魂振も大地の霊力を高める神事として行われています。

当会で執り行っている清祓(浄化)、病気平癒祈願は鎮魂の祭祀であり、鹿算加持並びに特殊祈願は魂振の祭祀です。

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                    (知識ゼロからの神道入門 幻冬舎 より一部抜粋)

2012年10月14日 (日)

(5)祖霊舎の祀り

(5)祖霊舎の祀り

家族の誰かが身罷(みまか)った場合には、その人の御霊はその一家の祖霊と合祀され、やがては守護神となって子孫や一家を守護(まも)ってくれると云う我が国古来からの祖霊祭祀があります。

子孫は先祖に対して日々のお祀りはもとより、個々の先祖の年祭(年忌)を鄭重に奉仕して祟り神とならない様に鄭重にお祀りしなければなりません。

その為に日毎に祖霊へのお祀りを行う事は神棚のお祀りと同様ですが、祖霊舎のお祀りで大切な祭儀は、正辰(せいしん)祭と云う故人の帰幽の当月当日つまり祥月(しょうつき)命日にその故人を追慕して執り行うお祀り、春秋の彼岸の時季に執り行う春季霊祭・秋季霊祭並びにお盆の時期の御霊(みたま)祭です。

御霊祭に関しては、帰幽後一年以内にお盆を迎える場合には、新御霊祭(あらみたままつり)として、

一年祭を迎えるまでの不安定な荒ぶる御霊を鎮め祀る為に特に鄭重に執り行う必要があります。

これらの祭儀は恒例の祖霊祭であり、その日々には神職を招いて鄭重な祭祀を執り行う事が重要です。

年祭(式年祭・年忌)

祥月命日に特別の祭祀である正辰祭を執り行う事は当然ですが、一年祭を経た後の年祭は、三年目(満年数、以下同様)の三年祭を始めとして、五年祭・十年祭・二十年祭・三十年祭・四十年祭・五十年祭・百年祭と順次斎行し、百年祭以降は百年毎に行われます。

これらの祭儀は重儀ですから鄭重に祭儀を行う必要があります。

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春秋二季の霊祭

春分の日には春季霊祭、秋分の日には秋季霊祭を執り行います。

春秋の祖霊祭は祖先をお祀りする日であり、皇室では皇霊祭が執り行われます。

春秋の祖霊祭に於いて先祖代々の御霊に対して子孫が追慕追悼(ついぼついとう)の誠を捧げると共に、祖先の加護をお祈りします。

御霊祭・新御霊祭

御霊祭とは仏式で言うところのお盆つまり盂蘭盆会(うらぼんえ)にあたります。

今では仏式の方が一般的になってしまいましたが、元々は幽世(かくりよ)から祖霊をお迎えして鄭重にお祀りし、日々の加護と子孫の繁栄をお祈りすると云う神道の祭祀が仏教と融合した行事がお盆となったものです。

帰幽して初めて迎える御霊祭りを新御霊祭と云い、特に鄭重にお祀りしなければなりません。

帰幽して一年以内の御霊は、たとえ幽世である常世の国あるいは黄泉の国に帰っていたとしても、極めて不安定であることから荒霊(あらみたま)の状態であると云えます。

この荒霊はいつ何時祟り神に転じるとも限らないので、折々の霊祭を通して鄭重に鎮め祀る必要があるのです。

鄭重に鎮めに鎮めてお祀りすることで、御霊が祟り神にならないようにしなければなりません。

様々な霊祭を通して鎮め祀ることで、次第に御霊は鎮まっていき、荒魂は和魂に、和魂は幸魂に、やがて百年祭を迎える頃には幸魂は奇魂になり、子孫を見守る存在となっていきます。

荒ぶる霊魂(人霊)を放置していると、災厄をもたらす疫神(疫鬼)となりますが、神霊として鄭重に鎮め祀ると災厄を防ぐ神へと転じ、やがては守護神となるのです。

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2012年10月12日 (金)

会葬者の心得

【会葬者の心得】

1)通夜祭

通夜祭は主に近親者や故人と特に親しい関係にあった人たちが集まって営まれます。

しかし遺族から通夜祭の時刻を知らされた場合には、通夜祭への参列を請われたと考えて万障繰り合わせて参列することが望ましいと云えます。

帰幽の知らせと葬場祭の日時のみを告げられた場合は、告別式への参列だけに留めるのが一般的です。

一般の通夜祭の参列者は祭儀の始まる十分くらい前に着く様に心がけます。

会葬の心得

通夜祭・葬場祭に参列することを会葬と云います。

会葬の心得として、弔問者は出来るだけ正式の喪服で会葬することが望ましいでしょう。

受付けで記帳し、玉串料を差し出します。表書きは「玉串料」「御榊料」又は「神饌料」のいずれかにします。

神式では通夜祭、葬場祭に限らず祭儀の前に基本的に清めの手水を行います。多くの場合、受付けや斎場入口に用意してありますので、手水を行ってから斎場に入ります。

斎場に入ったら、先ず遺族にお悔やみの言葉を申し述べます。

通夜祭・葬場祭の席次は予め決めてありますので、会場係の指示に従って着席します。

通夜祭・葬場祭では仏式の焼香に当たる、玉串奉奠(ほうてん)が行われます。

その際の二拝二拍手一礼の拝礼は、「しのび手(両手を打つ手前で止め、音を立てない拍手)」で柏手を行います。

参列者が大勢の場合は拝礼だけの事もあります。

玉串奉奠、拝礼の後は喪主、遺族へ一礼してから退出します。

直会(なおらい・通夜振る舞い)は弔問に対するお礼と清めの意味でもてなされます。招かれた時は辞退せずにお受けします。退席する時には喪主への挨拶を忘れない様に静かに辞去します。

2)葬場祭

葬場祭に招かれた場合、通夜祭と同様に受付で記帳し、手水を受け、指示に従って着席します。

会葬者は通夜祭同様玉串奉奠、拝礼を行います。

出棺前にご遺体との最後のお別れが行われますので、故人と特に親しかった会葬者はご遺族に続いて別れ花を柩に納めます。

火葬祭・埋葬祭の心得も同様です。

3)御霊祭(みたままつり)

御霊祭は葬儀の翌日に葬儀が無事済んだことを霊前・墓前に奉告する翌日祭から、帰幽した日から数えて十日目に営まれる十日祭、以後十日目毎に二十日祭、三十日祭、四十日祭、五十日祭と続きます。

そして五十日祭以後は、百日祭、一年祭、三年祭、五年祭、十年祭と続き、以後は五十年祭まで十年目毎に行われ、その後は百年祭と、二百年祭と百年毎に年祭が続きます。

これらの御霊祭の中でも、五十日祭、百日祭、一年祭、三年祭、五年祭、十年祭は特に重要な祭儀ですから、鄭重に盛大に行われる必要があります。

これらの御霊祭は霊前・墓前の両方で行われるのが本義です。

御霊祭の後は故人を偲びながら自宅や料理屋で直会を行います。

御霊祭への案内を受けたら出欠の返事はなるべく早く出すようにしましょう。

服装は五十日祭を過ぎたら派手な服装でなければ特に喪服を着用する必要はありません。

その都度、「御榊料」あるいは「御供物料」を持参します。

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2012年10月10日 (水)

祖霊の祭祀

1)祖霊の祭祀

今日、「祖霊の祭祀」としてのお彼岸やお盆と云うと、仏教行事のように思われがちですが、それらは元々我が国古来の祖霊の祭祀(先祖祭)の日のことでした。

特にお盆の時には祖先の御霊が子孫の家に帰ってくると云われていますが、このような考え方は本来の仏教には無く、むしろ我が国固有の習俗に由来するものであり、仏教伝来と共に我が国の祖霊の祭祀と習合していったものであります。

祖先の御霊をお祀りする事は多くの家々で為されていますが、江戸時代の寺請(てらうけ)制度の名残から、宗旨・宗派は異なれども仏教の形式で「ほとけ様」として仏壇に祀られている場合が多いと思います。

けれどもその一方で、神道の形式で「神様」として祖霊舎(みたまや)に祀られている場合も少なくなく、神と仏(神道と仏教)とでお祀りする形式は異なっていても、どちらも祖先の御霊をお祀りしている事に違いはありません。

家庭の中に、伊勢の神宮(天照皇大神宮・神宮大麻)をはじめとして氏神神社や様々な神々を神棚に奉斎(ほうさい)し、更に先祖を祖霊舎に奉斎すると云う敬神崇祖の日常生活こそ、我が国古来の考え方の中から生まれて来たものです。

今日、神棚も祖霊舎・仏壇も無いと云う世帯が増え、古来から受け継がれてきた敬神崇祖の念が途絶えつつある中、神々や先祖を形にして鄭重にお祀りすると云う我が国固有の伝統文化について改めて認識することは重要な事であると考えます。

2)守護神としての祖先神

日本人は祖先が自分達子孫を守って下さる、といった観念をごく自然に持っています。

この事が高じて、亡くなった直近の父母や祖父母が守護や指導霊として守っている、と云うようなことを霊能者や新興宗教の類の人たちが良く口にしますが、実際にはそのような守護霊・指導霊など存在しないので、これは誤った観念です。

守護神としての祖先神とはこの守護霊・指導霊と云うような架空の存在である直近の先祖の御霊が直接的に子孫を守護すると云ったことではありません。

子孫が先祖代々の祖霊を様々な鎮魂儀礼つまり春秋の祖霊祭、御霊祭(みたままつり)、年祭などを通して鄭重にお祀りする事で、次第に御霊が荒ぶる御霊である荒魂(あらみたま)から和魂(にぎみたま)に鎮まっていき、やがては幸魂(さきみたま)、奇魂(くしみたま)となり、子孫が行う儀礼と呼応して子孫を見守る守護神となっていくのです。

そして百年祭を迎える頃には、産土神(うぶすながみ)の一部となり、その産土神から再び分かれて人間として誕生するということになります。

このことから誕生の際の安産祈願から始まり、初宮、七五三、十三詣りなどの人生儀礼に際して、産土神社への奉告と健康への願いを込めた祈願をすることが慣わしとなっているのです。

生まれ出たところの本である産土神に祈願する事で、生児の霊魂が強化され、生命力がついてくると考えられています。

3)祖霊舎(みたまや)

一家の祖先や肉親の御霊をお祀りする設備が祖霊舎であり、神棚と別に分けてお祀りするのが本義です。

神棚と祖霊舎の関係は、神棚が上位で祖霊舎が下位となります。

神棚よりも一段低い場所や神棚の下にお祀りします。

祖霊舎は仏式で言うところの仏壇にあたります。神徒壇(しんとだん)とも言います。

遷霊祭で霊璽に遷し留めた御霊を一般的には五十日祭又は百日祭まで仮祖霊舎でお祀りしますが、合祀祭にて祖霊をお祀りしている祖霊舎に合祀した後、霊璽は祖霊の霊璽と共にお祀りします。

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              (仏壇屋滝田商店より)

4)霊璽

霊璽は仏式で言う位牌にあたり、祖霊舎の中にお祀りします。

霊璽は御霊代(みたましろ)のことで、霊形(たまがた)・神主(たましろ)・霊主(たまぬし)とも言います。

遷霊祭で霊璽に遷し留めた御霊の魂はあくまでも一部であり、御霊の本体は幽世(かくりよ)つまり常世(とこよ)の国あるいは黄泉(よみ)の国に帰ります。
何故なら御霊は分霊祭でいくつにでも分霊することが可能だからです。

祖霊のお祀りは霊璽を通して子孫の儀礼を受ける事になります。

1              (仏壇屋滝田商店より)

             

(5)祖霊の祀り

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Ⅲ.神葬祭後儀 (6)一年祭

6)一年祭

一年祭は帰幽の一年後の同日に霊前・墓前で行われる祭儀です。

霊前祭の内でも節目に相当する五十日祭・百日祭と一年祭は特に重要であり、別けてもこの一年祭は一層鄭重に厳修しなければなりません。

神籬(ひもろぎ)の幣(へい)は当会独自の幣(死霊の幣)を用います。

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Ⅲ.神葬祭後儀 (5)百日祭

5)百日(ももか)祭

帰幽の日から数えて百日目に、霊前・墓前に於いて行われる祭儀です。

遺族は忌明けの後も毎日祖霊舎や墓前の拝礼を欠かさず行い、過ぎ去り行く日々の中の節目となる日の祭儀には、神職の奉仕の下、厳粛・鄭重に祭祀を営むことが大切です。

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Ⅲ.神葬祭後儀 (4)祖霊舎に合祀の儀(合祀祭)

4)祖霊舎に合祀の儀(合祀祭)

五十日祭終了後(百日祭もしくは一年祭の場合もあります)に忌明の祓ひを行い、その後仮祖霊舎に祀られていた霊璽を祖霊舎に合祀(ごうし)する祭儀です。

この祭儀は闇の夜に行われるのが本義です。

これ以降は霊祭(みたままつり)となります。

祖霊舎に合祀された故人の御霊は、これ以降は祖霊の一柱(ひとはしら)として代々の祖霊と共に祀られて、一家の守護神として折々の祭祀が鄭重(ていちょう)に奉仕され、追考の誠が捧げられます。

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Ⅲ.神葬祭後儀 (3)忌明の祓ひ・忌明後祓除の儀

3)忌明(いみあけ)の祓ひ・忌明後祓除(きあけごふつじょ)の儀

忌は概ね五十日を以て完了するところから、一般的に五十日祭の翌日に神職と遺族だけで営む祭儀です。

仮祖霊舎以下家人や家内の各所を祓い清め、その後神棚や祖霊舎に貼った白紙を取り除いて、これ以後神社を始め神棚や祖霊舎の参拝・拝礼は平常通りに戻ります。

忌明け後は通常の柏手で拝礼します。

忌明とは喪中の一定の日数の明けることです。

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Ⅲ.神葬祭後儀 (2)毎十日祭

2)毎十日祭(十日祭・二十日祭・三十日祭・四十日祭・五十日祭)

帰幽の日から数えて十日目、二十日目、三十日目、四十日目、五十日目と、十日目毎に霊前・墓前に於いて執り行う祭儀です。

五十日祭(いそかさい・いかさい)は最後の十日祭でもあり、概ねこの日を以て忌明(きあけ・いみあけ)とします。

更にこの五十日を経た後に、これまで仮祖霊舎にお祀りされていた霊璽を祖霊舎に合祀する場合も多く、毎十日祭の中でも五十日祭は大変重要な祭儀です。

一般的に五十日祭まで、しのび手(音を立てないように柏手を打つこと)で拝礼します。

故人に所縁の人を招いて祭儀を執り行い、酒肴振舞いをします。

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2012年10月 9日 (火)

Ⅲ.神葬祭後儀 (1)霊前日供の儀・翌日祭

1)霊前日供の儀・翌日祭

【霊前日供の儀】

霊前日供(にっく)とは遷霊後、霊前に対して、毎日朝夕の二度、又は毎朝一度、故人が生前好んだ常饌又は生饌(洗米、塩、水など)を日供としてお供えして奉仕することです。

ご遺体(ご遺骨)を葬儀の当日に埋葬した場合は、墓前をもお祀りし、霊前・墓前それぞれに追考(供養して孝行の道を尽す)の誠を尽さねばなりません。

この日供奉仕は霊璽を祖霊舎に合祀する、合祀祭まで連日行います。

【翌日祭】

翌日祭は葬儀の翌日に、神職を招いて霊前・墓前(葬儀の当日に埋葬した場合)それぞれに於いて執り行う祭儀で、葬儀が無事終了したことを奉告する祭儀です、

現在は省略したり、身内だけで簡単に行われることが多くなりました。

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Ⅱ.神葬祭本儀 (9)帰家祭

9)帰家(きか)祭

帰家祭は火葬祭、あるいは埋葬祭が終了し、喪主以下一同が帰家(帰宅)した後、仮祖霊舎の霊前に於いて葬儀が滞りなく終了したことを奉告する祭儀です。

本来は家族・親族、世話役などは火葬祭・埋葬祭には参列せず留守を預かる役にまわります。留守役の家族らは祭壇を取り払い、家の内外を平素の状態に整え、また家に残った一部の神職が穢れを除く祓いを行い家の内外を清めて一同の帰宅を待っています。

しかしながら近年では家族・親族、世話役も含めて葬儀の流れで火葬祭まで参列するケースが大半です。

いずれにしても葬儀から帰宅した際には、一同は家の門口にて手水の後、神職による大麻(おおぬさ)・塩湯(えんとう)による祓い清め(帰家清祓・きかきよはらへ)を行ってから家に入ります。

帰家祭は新しく用意された仮祖霊舎に霊璽や遺影を飾る奉幣献饌(ほうへいけんせん)から行われ、斎主は祭祀を奏上し、一同拝礼、玉串奉奠で終了します。

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Ⅱ.神葬祭本儀 (7)墓所地鎮祭  (8)埋葬祭・納骨祭

7)墓所地鎮祭

新しく墓所を築くにあたっては、その工事に先立って地鎮祭を行い、土地の神をお祀りします。

墓所の工事が終わった後に、葬儀に先立って墓所地鎮祭を行うのが本義です。

既に定まった墓所がある場合は、祓除(ふつじょ)だけを行い、地鎮祭は行いません。

8)埋葬(まいそう)祭・納骨祭

埋葬祭は葬場祭の後に、喪主以下の家族・親族や故人と特別に縁故のある人々などが、霊柩に付き従って墓所に至り、柩を埋葬し、その後に行われる祭儀です。

墓所を祓い清めた後に、土葬の場合はご遺体を納めた柩をそのまま、火葬の場合はご遺骨を埋葬します。

柩を埋葬あるいはご遺骨を納骨した後、斎主の祭詞奏上、一同拝礼、玉串奉奠が行われます。

参列者が一握りずつ、土をかける事も行われています。

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Ⅱ.神葬祭本儀 (6)火葬祭

6)火葬祭

火葬祭は火葬場のかまどの前で執り行います。

先ず修祓(しゅばつ)の儀にて祭員、家族・親族他一同を祓い清めた後、かまどを祓います。

柩をかまどの前に安置して、斎主が祭詞奏上した後、一同拝礼、玉串奉奠を行います。

しかしながら火葬場に於いてはあまり時間をとる事が出来ない為、場合によっては修祓の儀を終えて柩をかまどに入れた後、斎主による祭詞奏上、一同拝礼、玉串奉奠と云う場合もあります。

火葬祭は埋葬に先立ってご遺体を火葬に付す際に行われる祭儀であり、火葬の儀を終了後直ちにご遺骨を奉じて墓所に至り、埋葬を行います。

本来は出来るだけ早い機会に埋葬することが望ましいのですが、近年は火葬が済んだ後にご遺骨を家にて安置の後、五十日祭頃に埋葬するケースが多いようです。

但し、遅くとも百日祭までには埋葬することが望ましいでしょう。

火葬祭によって葬儀終了の一つのけじめともなります。

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Ⅱ.神葬祭本儀 (5)葬場祭(告別式)

5)葬場(そうじょう)祭(告別式)

神葬祭で行われる葬儀を葬場祭と云います。

故人に対して最後のお別れを告げ、故人の在りし日の面影を慕い、その威徳を称賛する人生儀礼の最後を飾る最も厳粛な祭儀です。

神葬祭は神社で葬儀が行われることはありません。従って自宅や斎場を使用します。

斎主が奏上する祭詞には故人の経歴、人柄、功績などが盛り込まれ、安らかな眠りを祈り、祖先の御霊と共に喪家と遺族を守護して下さるようにと祈願致します。

葬場祭が終わると柩の蓋を開けて故人と最後の対面をします。この対面の時、祭壇に飾ってあった生花をそれぞれの手で柩に入れご遺体を飾ります。最後の対面が終わると柩の蓋を閉め、釘打ちの儀式をします。

喪主、遺族、近親者の順序で小石で二回、軽く釘を打つのが普通です。

しかしながら近年はご遺体に対する配慮から釘打ちの儀式を行わないケースがあります。

その後霊柩を奉じ、葬列を整えて墓所、又は火葬場に向かいます。

今日の葬儀では殆どが火葬である為、埋葬の為に葬場から直接墓所に向かう土葬の例は極めて稀です。

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2012年10月 8日 (月)

Ⅱ.神葬祭本儀  (4)発柩祭(出棺祭・棺前祭)・発柩後祓除の儀

4)発柩(はっきゅう)祭(出棺祭・棺前祭)・発柩後祓除(ふつじょ)の儀

本来は通夜祭・遷霊祭までを喪家(そうか)で行い、葬場祭は斎場で行われます。

斎場に於いて葬場祭を行うに先立って、柩(ひつぎ)が喪家を出発する際に、その事を柩前(きゅうぜん)に告げる為に行われる祭儀であり、「出棺祭」あるいは「棺前祭」とも言われます。

故人にとっては住み馴れた数多くの思い出がある我が家との別離の儀式でもあります。

庭前か門前に燎(かがり)を焚き、柩前には榊を挿し立て、斎主が発柩の祭詞を奏上し、玉串奉奠(ほうてん)の後、霊輿(れいよ)又は霊柩車に移して葬列を整え斎場に向かいます。

出棺に際して、故人の御霊を遷し留めた霊璽は、葬場や火葬場には持参しません。

「通夜祭」を喪家で、「葬場祭」を斎場で執り行う場合は、「発柩祭」は喪家にて、順番としては「通夜祭」と「葬場祭」の間に執行されます。

この場合の「発柩祭」は、斎場へと発柩するための祭儀であり、ご遺族の方々はその儀を終えてから斎場へ向かいます。

近年は通夜祭から発柩までの祭儀は同一の斎場で続けて執行される事が多く、この場合の「発柩祭」は、斎場から火葬場へと発柩する祭儀となります。

もし喪家で葬儀を行った場合は、喪家から発柩の後、葬儀が執行された部屋で「発柩後祓除(ふつじょ)の儀」を行い、家族・親族、建物内を祓い清めます。

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2012年10月 7日 (日)

Ⅱ.神葬祭本儀 (3)遷霊祭

3)遷霊(せんれい)祭

遷霊祭は故人の御霊を霊璽(れいじ)・御霊代(みたましろ)に遷し留める祭儀で「移霊祭」とも称します。霊璽に遷し留められた故人の御霊は五十日祭もしくは百日祭の頃の合祀祭が執り行われるまでは仮祖霊舎に安置され、合祀祭によって一家の祖霊舎(みたまや)に合祀・安置されることで、祖霊の中に加わり末永く家の守護神として祀られます。

御霊が遷し離された後のご遺体は程なく埋葬または火葬され、火葬された場合はご遺骨として墓所に納骨されます。

遷霊祭は神葬祭の意義を考える際に、その前後で意識が二分されると云う非常に重要な祭儀と言えます。つまり、遷霊祭に至る迄の諸祭儀には、再び御霊が帰り来て故人の生命が蘇ることをひたすら願うと云う意識が強くあることに対して、遷霊祭を行って故人の御霊を霊璽に遷し留めると云う事は、その人の死を確定する事であり、これ以降の諸祭儀はご遺体・ご遺骨を永遠の安住の地である墓所に葬る為の祭儀へと変化するのです。

遷霊祭は本来発柩(はっきゅう)に先立って、深夜に灯火を滅した浄暗裡(じょうあんり)、つまり真っ暗闇の清浄な中に斎行されるものです。

出棺が夜間に行われる場合は問題ありませんが、昨今は出棺の前夜の通夜祭に引き続いて、あるいは通夜祭の中に遷霊祭を取り入れて行われる場合が少なくありません。

神葬祭で用いられる霊璽とは仏式で言うところの位牌にあたりますが、所謂位牌とは全く異なるものであります。

霊璽には諡号(おくりな)、つまり成人男性の場合「大人(うし)」、成人女性の場合は「刀自(とじ)」などが墨書されます。

男性の場合、「大人」以外には「若子(わかひこ)・童子(わらこ)・郎子(いらつこ)・彦・老叟(おおおきな)・翁・大翁・君・命・尊」、女性の場合「刀自」以外には「童女(わらめ)・郎女(いらつめ)・大刀自・媼(おおな)・大媼・姫・媛」など死亡年齢や業績に応じた諡号が贈られることもあります。

また裏には帰幽年月日と享年を墨書します。

仏式に於ける位牌には遷霊祭を行いませんのでただの象徴ですが、霊璽は遷霊祭と云う祭儀によって単なる象徴ではなく、故人の御霊をご遺体から霊璽に遷し留めた依代(よりしろ)となります。

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遷霊祭を執り行う事によって、生前は一体となっていた魂と魄が分けられ、御霊は遷し留められた霊璽によって祖霊舎で祀られ、ご遺体・ご遺骨である魄は墓所で祀られることになります。

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ところで人が帰幽すると陽の気は魂(こん)となり、陰の気は魄(はく)になって、生前一体であった魂魄(こんぱく)が分離します。

「魂」と云う字は「云」と「鬼」から成っています。

「云」は雲で雲気のことを表わしており、人の魂は雲気となって浮遊すると考えられています。

死者にかける衣を魂衣とも言います。

「魄」と云う字は「白」と「鬼」から成っています。

白は髑髏(どくろ)のことで、精気を失ったものを魄と言います。

「魂気は天に帰し、形魄は地に帰す」(礼記)とあるように、人間が死ぬと魂魄は分離しそれぞれは天地に帰ります。

つまり霊璽では魂を祀り、墓所では魄を祀ると言う事になります。

魂魄双方を鄭重にお祀りする事で御霊は益々鎮まり、祟りなす荒ぶる神に転じないようにしなければなりません。

陽の気である魂と陰の気である魄の双方を祀ることで陰と陽のバランスをとることになります。

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2012年10月 5日 (金)

Ⅱ.神葬祭本儀 (2)通夜祭

2)通夜祭

通夜祭は古代の葬送儀礼に於ける「殯斂(もがり)」の遺風であり、夜を徹して故人の蘇りを願う祭儀です。

命が果てた後、葬儀を執り行うまでの間、喪主以下家族・親族一同が故人の傍(かたわら)に控えて生前同様の礼を尽し、鄭重に奉仕すべき神葬祭の諸祭儀の中でも殊更に重要な祭儀であり、葬場祭(告別式)の前夜に行われます。

昨今、通夜とは単なる葬儀の前夜祭のように捉えられていますが、それは大きな間違いであり、本来の通夜祭とは故人の家族・親族一同が終夜に亘って柩の傍に集まり控えて、その面影を慕いつつ、その功績を称え偲び、再び御霊が肉体に帰り来て生命が蘇る、つまり常世の国もしくは黄泉の国に行きかけた御霊が帰ってくることをひたすら祈り願う為に行われる祭儀です。

生饌(せいせん)ばかりでなく故人が生前好んだ品を御饌(みけ・常饌)として供え、誄歌(しのびうた)を奏でて故人を追慕します。

また生前、魂(こん・御霊)は霊糸線(れいしせん)によって魄(はく・肉体)と繋がっていますが、肉体が死を迎えると約24時間かけて霊糸線が切れて魂は魄から離れます。

このことから肉体の死後すぐに葬儀を行って土葬したり火葬したりせずに、通夜祭として葬儀の前に24時間置く意味は、御霊が肉体から完全に離れる為の時間が必要だと言う事です。

この霊糸線が切れる為の時間をとることなく、肉体に何らかの刺激を与える事は、たとえ見た目は死して何の感覚も無い様に思われても、当人にしてみれば生身の体同様の刺激を感じる訳ですから、大変な苦痛を与えられることになります。

ですから昨今、医療技術の進歩によって脳死と判断された場合に臓器移植が行われるようになりましたが、本来の肉体の死を迎える前に、将に生きながらにして臓器を切除されると云う耐え難い苦しみを与えられると云うことになります。

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2012年10月 4日 (木)

Ⅱ神葬祭本儀  (1)産土神社に帰幽奉告の儀

 (1)産土神社に帰幽奉告の儀

人の霊魂はその死と共に産土神社の許に帰ると云う「産土信仰」から、忌服に関わりの無い者を喪家(喪中の家)の使者として産土神社に遣わし、誰某の帰幽(死没)のことを連絡し、産土神社に於いてはその使者の参列の下に直ちに帰幽奉告の儀を執り行います。

これに先立って、出来る限り死没に関わらない人が、先ず神棚及び祖霊舎に家族の誰某の帰幽の旨を奉告し、拝礼を済ませた後、扉を閉じて白紙を張ってその前面を覆い、概ね五十日祭を経た忌明の祓いを済ませるまでは神棚の拝礼を取り止めます。引き続き祖霊舎に祀られた祖霊に対しても、同様に死没奉告の拝礼を行います。

また、病気平癒等の祈願をしていた場合は、その祈願をした神社等に帰幽の旨を奉告し(遠方の場合は遥拝で可)、立願を解いて下さい。

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Ⅰ神葬祭前儀  (3)柩前日供の儀

(3)柩前日供(きゅうぜんにっく)の儀

納棺の儀から出棺までの毎日、朝夕の二回、故人が生前に好んだ食べ物または洗米・塩・水などを日供としてお供えし、喪主以下家族・親族一同が揃って拝礼し、生前同様に故人を慕いつつもてなす儀です。

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Ⅰ神葬祭前儀  (2)納棺の儀

 (2)納棺の儀

納棺の儀は、慎んで故人のご遺体を棺に納める儀式です。

喪主以下家族・親族が殯室に集まり、ご遺体を沐浴(湯水で体を清める事)させ、髪を整え、新しい衣服に改め(一般的には白木綿の小袖)、顔を白布で覆い、褥(しとね・敷物)を敷いた棺の中に納め、礼服その他故人が生前に愛用した様々な品物を共に棺の中に納めた後に蓋をしてその上を白布で覆います。

ご遺体を棺に納める前に、神職が先ず棺を祓い、納棺祭詞を奏上した後、ご遺体を入棺致します。

納棺が終わると棺を正寝(表座敷)に移し、柩前に遺影や勲章その他故人を顕彰した品々を飾り、常饌(じょうせん)あるいは生饌(せいせん・調理していない神饌)をお供えし、喪主以下一同が拝礼して、発柩するまでの間喪主以下家族・親族らが交代しながら柩の傍近くに控えます。

尚、神葬祭に於ける拝礼は忌明けの祓いまでの間、全ての祭儀で忍び手(音を立てない柏手)にて拝礼します。

※葬祭場にて納棺の儀を執り行うケースもあります。

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Ⅰ神葬祭前儀  (1)枕直しの儀

Ⅰ神葬祭前儀 

 (1)枕直しの儀

故人に対する最初の儀礼として、その死を憂い、生前の高き徳を偲びつつ、今後の葬儀の段取りを整える儀式です。

ご遺体を殯室(ひんしつ・遺体を安置する部屋)に遷して、首位を北方(もしくは東方または室の上位)にして安置し、顔を白布で覆い、枕頭(ちんとう)に白色の枕屏風を立て、灯を点し、守刀(まもりがたな)又は守鏡を枕元に置きます。

守刀は小案(小机)の上に柄を向こう側にして、刃をご遺体に向けないようにします。

前面には案を設け、常饌(じょうせん・生前の好みの食べ物、生臭物でも忌みません)もしくは洗米・米・塩・水などを供え、家族、近親者、親しい知人が慎んで傍らに控えて、静かに故人の安らかな眠りを祈ります。これが枕直しの儀と言います。

本来は全ての祭儀に神職を招くのが原則です。

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ところで本来は喪にあたっては喪屋を建て、そこにこもって一連の葬儀の祭儀が行われます。

母屋とは別の家にこもるのは別火のためで、家の神を穢さぬ為であり、喪にこもる人は他人と飲食を共にせず、家族の中に他人が居ればこれと部屋を異にして飲食します。

又忌服にかかっていない者が、もし喪家(そうか)の食をとると、七日間神社参拝を遠慮し、耕作に従わない地方もあります。

血縁の者は喪家に集まって火食をともにし、葬儀にあたります。これを「元火を食う」と言います。外部との交渉は近隣の者が集って手伝いをし、その食事の煮炊きは喪家と火を異にして喪家の食をとらないとか、喪家の者は手伝いに一任して口を出しませんでした。

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3.神葬祭の祭儀

3.神葬祭の祭儀

神葬祭は多くの祭儀によって構成されています。

神社に於ける通常の祭儀のように画一化された一定の規定も無く、地域による慣習や風習などによってその形態は複雑多様です。

また近年は自宅で葬儀を営むケースが少なく、葬祭社に委託し葬祭場で納棺祭から行われたり、火葬が一般的であることで葬場祭の後すぐに埋葬祭が行われず、五十日祭と併せて行われることも多く、順序が前後する事もありますが、一般的な祭儀の流れは大体同じです。

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2.神葬祭の歴史

2.神葬祭の歴史

葬送の儀礼や祖先崇拝の考え方は、現在では仏教が主流となっていますが、日本民族固有の葬儀は記紀に覗う事ができます。

最古の記述としては『日本書紀』巻四「神出生章」伊弉冉尊を紀伊国熊野の有馬村に葬(かく)し奉ったことを

「土俗(くにびと)、此の神の魂を祭るに、花(はなある)の時には、亦花を以て祭り、亦鼓吹幡旗(つづみふえはた)を用て、歌ひ舞ひて祭る」

と記述されています。

口語訳:いざなみの命が、海の神 風の神 山の神 野の神、三十五柱の神をお生みになり、中でも火のかぐつちの神(火の神)をお生みになったことによって、ついにおかくれになりました。そして今の三重県南牟婁郡と伝えるところに葬った。土地の人はこの神の魂を祀り、鎮めるために、花の時期には花を、また秋には収穫した穀類を、更に海の物 山の物などをお供えし、楽器をならし旗を立て歌舞いをして、命の御心を慰め鎮めました。

また『古事記』には天若日子(あめのわかひこ)の葬送について

「喪屋(もや)を作りて、河鴈(かわがり)を岐佐理持(きさりもち)とし、鷺(さぎ)を掃持(ははきもち)とし、翠鳥(そに)を御食人(みけびと)とし、雀を碓女(うすめ)とし、雉を哭女(なきめ)とし、如此(かく)行ひ定めて、日八日、夜八夜を遊びたりき」

とあります。

口語訳:そこにお葬式のための仮小屋の喪屋を作って、川辺にいる雁を死者の食器の係りとして、鷺を葬儀場の掃除の係りとし、翆鳥を食膳の係りとし、雀を米つき女とし、雉を泣き女とし、その役割で葬儀を行うものときめて、八日の間、夜を日についで歌い舞うわざを営みました。

これらの古典の記述からも我が国に於ける葬送の儀礼は、神代の時代から連綿と続いてきたことが分かりますが、仏教伝来と共に奈良時代以降、葬祭の儀礼は僧侶に委ねられ、更に江戸時代になると寺請制度が施行されたことから、庶民の葬儀は殆どが仏葬一辺倒となってしまい、いつしか葬儀と言えば仏式と云うのが半ば常識のように考えられるようになってしまいました。

その後明治元年三月に「神仏分離令」が発せられ、同年四月十九日神道事務局は諸国の神職に対して、これまで神職及びその嫡子だけにしか認められなかった神葬祭を家族全員に改めるように通達を出し、更に明治三年から四年にかけて神葬祭を一般に至るまで自由に行いたいとの願い出が諸藩に受理されて、全国的に広まっていくことになりました。

このようにして官幣社・國弊社の宮司以外は神職が氏子に対して自由に神葬祭を執り行う事が出来るようになり、更には戦後国家神道が廃されて以降は、神社はすべて宗教法人となったことで凡ての神職が神葬祭を執り行う事が出来るようになりました。

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1.神葬祭

1.神葬祭

近年、葬儀の在り方、先祖の祀り方について様々な考え方が現れてきて、日本の伝統的な祖霊信仰から逸脱し、現代人の勝手な解釈で葬儀が行われたり、祖霊のお祀りを簡略化あるいは放棄しているケースがしばしば見受けられます。

葬儀の方法や先祖の祀り方はその地方独特の慣習などがありますので、一つの方法を固定的に決めつけることは出来ませんが、伝統文化として引き継がれてきている形であるならば問題の無いことと思います。

いずれにしても人の生命は悠久の時代の神々や祖先から戴いて受け継がれてきたものであり、人が身罷(みまか)った時にはその御霊(みたま)はそれぞれの祭儀を通して鎮め奉ることで祖先の許へ導かれて祖霊の一員となり、やがては氏神様となられます。

また遷霊(せんれい)祭によって霊璽(れいじ)・御霊代(みたましろ・仏式での位牌に相当する)に故人の御霊が遷され、やがて祖霊舎(それいしゃ・みたまや)に祀られ、祖霊の一員となられて子々孫々の繁栄と幸福を齎(もたら)す見守る神となられます。

人が誕生する前の安産祈願に始まり、誕生後の初宮など人生の折々に行われる人生儀礼の中で、その最後を飾る最も大切な儀礼が「葬儀」であり、神道の形式に則って行われる葬儀が神葬祭です。

神葬祭は天神地祇(あまつかみくにつかみ)を対象とした敬神の祭祀ではなく、故人(死者)を対象とした先祖崇拝の祭祀です。

江戸時代に伊勢豊受大神宮の祠官(しかん)であった中西直方(なかにしなおかた)は、次のような歌を詠んでいます。

日の本に生れ出でにし益人(ますびと)は 神より出でて神に入るなり

この世の私達は元々神から生れ出たのだから、死によって神の御許に帰っていくのだと云うことです。神道の死生観は日本独自の信仰として育まれてきた先祖観を生成発展の産霊(むすび)の信仰で説明するものです。

神葬祭の本義は産土神(うぶすなのかみ)の御許に帰る帰幽奉告の儀から始まり、故人の御霊を亡骸から霊璽に移し、仮祖霊舎に安置する遷霊祭を営み、葬儀の後は翌日祭、十日毎の5回の毎十日祭が霊前、墓前でそれぞれ営まれ、忌明けの五十日(いそか・いか)祭、あるいは百日(ももか)祭、一年祭に清祓の儀を行い、仮祖霊舎に祀ってあった霊璽を祖霊舎に合祀(ごうし)し、一年祭までの間には新御霊祭(あらみたまさい)・新盆祭あるいは春秋の彼岸の霊祭を営み、先祖累代の祖霊に対し子孫である我々が、追慕追遠の誠心を捧げて孝敬の誠を致すのが慣わしとなっています。

帰幽奉告祭から始まる一連の神葬祭の祭儀は、一年祭を迎えるまでの間、死後直後の荒魂(あらみたま)を数々の葬送儀礼で鎮め祀り、節目節目のお祀りを鄭重に執り行う事で荒魂を鎮めに鎮める為に営まれる祭祀です。

一年祭までの間の御霊は常世や黄泉の国に帰ろうとも、いつ祟り神に転じるともわからない不安定な御霊である為に、数々の祭祀を鄭重に執り行う事で少しずつ鎮まって頂き、一年祭、三年祭、五年祭と年祭を営み、且つ又、正月、盆、更には春秋の彼岸の霊祭によって御霊を鎮め祀ることで、やがては和魂(にぎみたま)・幸魂(さきみたま)となし、百年祭に至っては奇魂(くしみたま)となして神上がられ、氏神様となられるのです。

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神葬祭の流れ

1.神葬祭

2.神葬祭の歴史

3.神葬祭の祭儀

.神葬祭前儀

(1)枕直しの儀

(2)納棺の儀

(3)柩前日供の儀

.神葬祭本儀

(1)産土神社及び立願した神社に帰幽奉告の儀

(2)通夜祭

(3)遷霊祭

(4)発柩祭(出棺祭・棺前祭)・発柩後祓除の儀

(5)葬場祭(告別式)

(6)火葬祭

(7)墓所地鎮祭  (8)埋葬祭・納骨祭

(9)帰家祭

.神葬祭後儀

(1)霊前日供の儀・翌日祭

(2)毎十日祭

(3)忌明の祓ひ・忌明後祓除の儀

(4)祖霊舎に合祀の儀(合祀祭)

(5)百日祭

(6)一年祭

祖霊の祭祀

主要参考文献

「家庭の祭祀事典」西牟田崇生編著 国書刊行会

「神事の基礎知識」藤井正雄編・著 講談社

※招魂続魂(しょうこんしょくこん)祭

この祭儀は神道ではなく陰陽道独自の祭祀です。

如何なる葬儀、納骨に関わらず、彷徨える御霊を幽世(かくりよ)にお返しする祭儀です。

2012年10月 3日 (水)

神葬祭と祖霊の祭祀

人間は単に肉体だけの存在では無く、魂魄(こんぱく)、つまり目に見えない霊魂と肉体である魄(はく)とで構成されています。

肉体が死を迎えると、誕生以来霊糸線によって肉体と繋がっていた霊魂は凡そ24時間で肉体から離れます。そして魄としての肉体は火葬されて遺骨となってお墓に埋葬され、霊魂は御霊(みたま)として神道式では祖霊舎(みたまや)で祀られることになります。

魄としての肉体は死後火葬により遺骨だけとなっても、また土葬により腐敗消滅しても、霊魂だけは肉体から離れて存在し続けます。

そして肉体から離れた当座の霊魂は非常に荒々しい状態であり、このような霊魂すなわち御霊は、放置すれば山野に盤鋸して激しく祟りを為し、逆に鄭重に鎮め祀ることで次第に鎮まりまして、やがて一年祭を迎える頃には子孫を守護して下さる祖霊となられ、百年祭の頃には氏神となられるのです。

特に帰幽後一年祭を迎えるまでの御霊は特に荒々しい為、鄭重に鎮め祀ることが大切です。

このことから神道に於ける神葬祭並びに祖霊祭とは魂鎮(たましず)めのお祀りであると言えます。

現世(うつしよ)に生きている者が幽世(かくりよ)の御霊を鄭重にお祀りして呼応し合う事で、祖霊は子孫を見守る存在となっていくのです。

帰幽直後の御霊を神葬祭で、その後は祖霊として毎年のお盆やお彼岸と云う年中行事や式年祭(祥月命日)を通して鄭重にお祀りすることが我が国の伝統的な祖先崇拝の形です。

特に一年祭・三年祭・五年祭・十年祭・二十年祭・三十年祭・四十年祭・五十年祭・百年祭以降百年毎の年祭を鄭重に祭儀を行う必要があります。

神葬祭の流れ

会葬者の心得

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