最近のトラックバック

最近のコメント

2016年9月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
無料ブログはココログ

« 桔梗だより 平成25年9月号 | トップページ | ご入会ご希望の皆様へ »

2013年11月 5日 (火)

桔梗だより 平成25年10月号

9月の陰陽會の祭典および行事

99日 重陽祭を斎行致しました。

2599_001 

 

2599_002



 

916日 敬老祭を斎行致しました。

25916_001

 

919日  十五夜祭を執行致しました。

25919_002



 

 

923 第八回晴明桔梗まつりを斎行致しました。

 

259238_003_2


10月の陰陽會の祭典及び行事予定

1010日 産巣日祈願祭・恵比寿講

1017日 神嘗祭遥拝式・十三夜祭

1020日 皇后陛下御誕辰祭

 

伊勢神宮の変遷 ()

現在の式年遷宮の原型は、持統天皇の下で行われたのが最初になります。

それまでは歴代の天皇(大王・おおきみ)は代替わりの度に王宮を遷していました。当時の王宮は掘立柱で建てられていましたが、腐食しやすい代わりに建てるのも容易なやり方でした。

王宮を遷すにあたっては、近くの場合もあれば、遠方の場合もありました。

代替わりの度に王宮が変わるのは、日本だけに見られた特異な慣行で、歴代遷宮と呼ばれます。但し、代替わりでなくても王宮を遷す場合もありました。

それは天災・飢饉・疫病の蔓延・内乱など、治世を大いに揺るがすような事態が生じた場合、宮を遷すことによって治世を立て直す目的があったと思われます。

しかしながら、不文律ながら、代が替わる毎に王宮を遷すと云う事はゆるがせにできない原則でした。

ところが壬申の乱を経て天武天皇が近江から飛鳥に王宮を遷した際は、既存の宮室を増設しただけで遷すことはありませんでした。

そして天武天皇は碁盤目状都市、藤原京建設に着手し、其の恒久の都の中心に藤原宮を位置付けました。

天武天皇は都の完成を見ることなく崩御しましたが、次の持統天皇即位の年に、伊勢神宮最初の式年遷宮が行われました。

この歴史的事実を鑑みるに、今迄、天皇の代替わりの度に王宮を遷す「遷宮」が、藤原京(宮)の建設によって歴代遷宮は停止し、その代わりに伊勢神宮の式年遷宮が始まったとも言えます。

後に藤原京は平城京へ遷りましたが、これは歴代遷宮ではなく、恒久の都の遷都であり、遷宮とは異なります。

何故古来から定着していた歴代遷宮から、伊勢神宮の式年遷宮へと切り替わったのでしょうか?

 初期の大和王権に於ける皇位継承は、現行の皇室典範が定める処の「長男を第一位とする」と云う明確な規則はありませんでした。

逆に大和王朝以前の古代の王朝では、末子を継承者とした場合が多かったのです。何故なら、出来るだけ各王朝の存続期間を長くする為には、末子で継承していった方がより長く続くからです。

大和王朝になってからも、長男が原則と云う事は絶対条件ではありませんでした。次男、三男、或いは嫡男である必要も無く、兄弟間や正室による継承など、大王の血が流れている事(先代を遡ることも有り)、母親が有力な家系の出である事などが暗黙の内の皇位継承条件でした。従って後継候補は多数存在した為、最終決定に向けては紛糾する事もしばしばであり、内乱にまで及ぶこともありました。

 皇位継承の度に数多の群臣から推挙される必要があり、大王の座は代替わり毎に総入れ替えされていたのでした。

 このように皇位継承によって全てが入れ替わったことを内外に示す為に、新しい場所に王宮が建設され、新しい大王が遷り住むことが「歴代の遷宮」だったと言えます。

 他国に例を見ない我が国に於ける王朝の此の慣行は、未だに諸説あり、明確な理由は分からないようですが、一つには先帝の死の穢れを避ける為、権力の集中を避けて群臣の発言力を担保する為、父と子が別居する事が習いであった為、などが挙げられています。

 しかしながら、先月号にも書きましたが、我が国には「常若(とこわか)」と云う神道の考え方がありますように、古きものよりも新しきものに価値を見出す国民性から鑑みるに、王権が交代すれば、新しい場所に新しい王宮を建設し、新しい権威が目に見える形で示されることで、政治的権威・宗教的霊威が再生されることを目的としたのではないかと思われます。

かつての「歴代遷宮」は現代まで続く伊勢神宮の「式年遷宮」と相通じるものがあります。

 代替わり毎に歴代遷宮を繰り返すことは、確かに「リセット」と云う意味に於いては非常に有効な手段ではありましたが、皇位継承候補者が数多存在している中にあって、王権の継続を望む立場にしてみると、非常に不安定な要素を孕んでいます。

段々と政権基盤が安定してくると、直系への継承を画策する大王の力が強くなり、歴代遷宮は徐々に終息に向かい、舒明天皇から天武天皇に至る時には、同じ場所に宮を建て替える動きが出て来ました。(次号に続く)

参考文献「伊勢神宮と天皇の謎」武澤秀一著 

« 桔梗だより 平成25年9月号 | トップページ | ご入会ご希望の皆様へ »

桔梗だより」カテゴリの記事