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2013年11月28日 (木)

桔梗だより 平成25年11月号

10月の陰陽會の祭典および行事

102日 伊勢神宮 遷御の儀 遥拝式

1017日 神嘗祭遥拝式を斎行致しました。

      十三夜祭を斎行致しました。

251017_001
十三夜祭

1020日 皇后陛下御誕辰祭を斎行致しました。

1020日 恵比寿祭を斎行致しました。

 

11月の陰陽會の祭典及び行事予定

113日  明治祭

1123日  新嘗祭・日本景気復興祈願祭

伊勢神宮の変遷 ()

 

天武天皇は今まで王権が替わる毎に建て替えられていた王宮を、恒久の都を築くことで永代の宮(藤原宮)にしようとしました。しかしながら天武天皇は藤原宮の完成を見ることなく崩御、皇后である持統天皇が即位して、都の完成は持統天皇へと引き継がれました。

 

持統天皇四年(六九〇年)正月、皇后が即位して持統天皇が御位(みくらい)に就かれたこの年に、第一回伊勢神宮式年遷宮が挙行されました。そして天武天皇崩御で中断していた藤原京の工事は翌年には再開。式年遷宮の開始と藤原京の建設が同時進行しています。

 

今迄の王宮は板葺(いたぶき)か檜皮葺(ひわだぶき)でしたが、藤原宮は瓦葺で礎石の上に柱が乗ると云う、恒久的な造りになっていました。

 

また王宮だけでなく、藤原京は碁盤目状都市と云う恒久的な配置になっていました。つまり宮も京も他に遷都する事を想定していなかったと言えます。

 

そしてこのような恒久的な宮や京の在り方は、権力安定化の基礎を作り、その継続性に適していました。しかし一方では、従来の感覚から言えば、歴代遷宮がもたらす「天皇の権威」が新しくなる時の「更新と活性化」と云う意味合いを失うものでもありました。つまり「安定化」に伴う「活力低下」の恐れです。

 

このことを補う代替策として、皇祖神をお祀りする伊勢神宮の「式年遷宮」が始まったと考えられます。

 

つまり今までの「歴代遷宮」を引き継ぐ形で「神宮遷宮」が行われるようになった、と云う事です。

 

ところで伊勢神宮内宮の御祭神は天照大御神だとされています。その理由は次の通りです。

 

天孫降臨の際、天照大御神が天孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に三大神勅、天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅・宝鏡奉斎(ほうきょうほうさい)の神勅・斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅を下されますが、この中の宝鏡奉斎の神勅に基けば、天皇は宝鏡(三種の神器の一つである八咫の鏡)を殿内(宮中)に奉斎すべし、と下されました。ところが第十代崇神天皇の御代に、疫病の蔓延によって数多くの死者が出た事で、御鏡の神威を畏れて宮中の外にお祀りする事にし、そのレプリカを宮中で奉斎する事にしました。そこで御鏡が鎮まる場所が最終的に現在の伊勢となり、そこに宮を創建して伊勢神宮となったわけです。これが伊勢神宮内宮の御祭神が天照大御神であるとされる所以です。

 

皇祖神をお祀りする伊勢神宮は皇祖のご存在を明らかにすると共にその神威を象徴しています。皇孫としての天皇が自らの権威を保ち続けるには、皇統の原点である皇祖を恭しく鄭重にお祀りし、皇祖が常に活き活きと輝いているご存在であられねばなりません。

 

其の為には皇祖神を象徴する神宮は、神道の「常若(とこわか)」の精神で貫かれ、常に清々しく生気に満ち溢れていなければなりません。寺院の様に古い程価値を見出す建物では、古くなるほど劣化して新鮮さ、瑞々しさ、活力を感じさせる事が出来ません。また、古くなればなるほど、「穢れ→気枯れ→生命力を失う」が生じるとする「神道」の考え方にも馴染みません。

 

そこで建て替えを前提とした社殿にして、ある程度の年月が経過して痛みが出て清浄を欠く前に新しい社殿にお遷り頂く、という形式を考え出したと云う事でしょう。一定の年月で建て替えをすることで、皇祖神の御社は生命力を取り戻し、皇孫としての天皇の権威も一層輝きを取り戻すと云う事になります。

 

天皇の代替わりの度に行われ、権威の不安定さをもたらしていた歴代遷宮は恒久の都・宮にすることで安定性を確保し、その代わりに皇祖神をお祀りする伊勢神宮を一定の年月で建て替えすることで、恒久化したことで失われた「リセット(活力を取り戻す)」による権威の更新が担保されることになったと考えられます。

 

天武天皇から持統天皇へと引き継がれた藤原京と云う恒久の都が築かれるまでは、次の大王(おおきみ)は群臣による協議を経ての推挙に委ねられていた為、大王であっても次の代の決定に際して主導権を発揮する事は難しい事でした。

 

けれども天武天皇の勅命で編纂が始まったとされる古事記や日本書紀によって皇祖神から連綿とつながる皇統が明らかにすることで、日本の統治者としての正統性を確立させ、持統天皇の御代に始まった伊勢神宮の式年遷宮によって「皇孫」としての天皇の御位は「皇祖」によって根拠付けられる様になりました。

 

それまでの代替わり毎にリセットされていた歴代遷宮の不安定さから脱して、廿年毎に繰り返される式年遷宮によって、皇統の安定化を目指したと言えます。

 

天武天皇によってそれまでの「大王」と云う称号から「天皇」、つまり「天皇大帝(てんおうだいてい)=北極星(天帝)=神」と云う称号に改めたと伝えられています。天皇は近年言われているような「祭祀王」などではなく、「北極星の化身=神」であり、「現人神」そのものであられます。

 

何故なら同じく天武天皇から始められた「大嘗祭(新しく天皇の御位に就かれた時に行われる一代一度の祭儀)」によって、天帝となられるからです。大嘗祭は陰陽道による秘儀なのです。

 

大嘗祭では北斗と南斗に対して祭祀が行われます。北斗は天帝と同一視される太一(すなわち北極星)の周囲を回る天帝の車であり、南斗は廟に見立てられ、祖先に供物を捧げる升と観念されています。

 

このことは天の祭祀と祖先への祭祀と云う形で成り立っていた支那の皇帝の即位儀礼と共通していますが、天皇が「太一(北極星)=天照大神=天皇」と捉えられ、祀る者であると同時に祀られる対象であることに対して支那の皇帝は「太一=天帝=皇帝」として天下に君臨し支配する権威を天から与えられる「天子」であり、あくまで最高司祭者として祭る者に留まっていました。

 

先にも述べたように、このことから天皇は「祭祀王」ではなく、「現人神」であられるのです。

 

以上の様に、天武天皇以降、記紀編纂によって皇祖神と皇孫の関係から万世一系と云う皇統を明確にし、歴代遷宮から伊勢神宮の式年遷宮に切り替え、天皇の称号と共に陰陽道による秘儀によって北極星の化身となり、名実ともに日本を統治されるに相応しい実効性を発揮されることになりました。        (次回に続く)

参考文献「伊勢神宮と天皇の謎」武澤秀一著

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