最近のトラックバック

最近のコメント

2016年9月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
無料ブログはココログ

« 2013年11月 | トップページ | 2014年3月 »

2014年1月

2014年1月 1日 (水)

桔梗だより 平成26年1月号

12月の陰陽會の祭典および行事

1223日  天皇御誕辰奉祝祭

1224日  大正天皇多摩陵遥拝式執行

1231日  師走大祓式・除夜祭斎行

 

 

 

天長祭

251223_001



1月の陰陽會の祭典及び行事予定

元旦    歳旦祭

13日  元始祭

17日  昭和天皇武蔵野陵遥拝式

 

 

年頭に当たり     陰陽頭 舊事希軍

 新年明けましておめでとうございます。

 年頭に当たり先ずは聖寿の万歳をお祝い申し上げ、会員の皆様のご多幸を心より祈念致します。

 昨年は五月八日に熱田神宮創祀九百年大祭が、出雲大社に於いては六十年ぶりとなる「平成の大遷宮」が行われ、五月十日に御本殿遷座祭が、伊勢神宮に於いては廿年に一度の式年遷宮のクライマックスである遷御の儀が十月二日、五日にそれぞれ内宮、外宮で斎行されました。

 それぞれの御宮に於いて、御祭神が益々鎮まられまして、御神威が益々発揚されたことと存じます。

 政治の世界に於いては一昨年末に行われた政権交代によって自民党が与党に返り咲き、昨年巳年の始まりと共に保守にとっては待望の第二次安倍内閣が発足しました。

良きにつけ悪しきにつけ、物事や時代が一つのピークを迎えて終わりを告げ、新たなスタートを切るのが巳年と言うことでしたが、皆様はどのような年を過ごされましたでしょうか。

一年が過ぎ、安倍内閣の推進する経済政策の多くは、小泉政権の時の焼き直し的新自由主義に基づくものであり、保守にとっては受け入れ難いものが多く、消費税増税を決定してからと云うもの、安倍内閣の支持率は昨年末と比べると遥かにダウンして五十%を切ってしまいました。

十二月に通す頃の出来た「特定秘密保護法案」は、保守としては大賛成でありましたが、マスコミの歪曲報道によって、国民の多くは「国民の知る権利を奪われる」との穿った見方をさせられたことで、安倍政権に対する支持率低下に拍車をかける事になりました。

安倍首相の周辺は新自由主義者で固められていると言われており、今後打ち出される政策が真に日本を取り戻す事につながるかどうかが大変気掛りな処であります。

扨て、本年は午年(甲午)です。午年には歴史を動かす出来事が頻繁に起きています。大化の改新、本能寺の変、赤穂浪士の討ち入り、日露戦争などです。

「午」と云う字は「忤(ご)」の形を描いた象形文字で、「つきあたる」「さからう」の意味と云う意味があります。

午の上の部分は地表を表わし、下の横棒は陽気、縦棒は陰気が下から突き上げて地表に出ようとする様を表わします。そこから、相反する二つの勢力の間に衝突が起こり、運命が一変する可能性を孕んだ年と考えられています。

また草木の成長が極限を過ぎ、衰えの兆しを見せ始めた状態を表しているともされます。  

昨年の巳年は新たなスタートを切る切っ掛けの年でありましたが、本年午年は、二つの勢力の激突によって大変革をもたらす可能性のある年と考えられます。

戦後、GHQによる占領統治の後、アメリカの保護国としての地位に甘んじ続けてきた我が国は、アメリカの没落によってレジームチェンジの秋(とき)を迎えつつあると言っても過言ではありません。平成の御代も四半世紀を超え、今年は廿六年目を迎えました。

戦後の利権利得者らが、がむしゃらにしがみ付く戦後体制によって、我が国は真の自主独立を阻まれていますが、午年にあたり、愈々アメリカを後ろ盾にした戦後体制にもヒビが入りつつあるように思います。

国民の多くは、日々の生活に精一杯、或は政治には無関心であることと思いますが、変革の年には否応なく国民も時代の流れに巻き込まれることは致し方ありません。

激動の世の中にあっても、惟神(かんながら)の精神を持ち続ける事が出来るならば、全ては「天佑神助(てんゆうしんじょ)」で乗り越えられることでしょう。

人間が小賢しくあれこれ考えたところで、「一寸先は闇」であり、何一つ意の儘になる事はありません。しかしながら常に穢れを祓い、ご加護を頂くと云う随神の精神であるならば、自ずと視界は開けて行く事でしょう。

会員の皆様に於かれましては、清祓並びに各種御祈願等をお受け頂き、又各祭典にご参加頂きまして、御祭神のご加護の下、午年を悠々と乗り越えて行かれます事を心よりお祈り申し上げます。

 

当会の清祓・御祈願・授与品

 当会では各種御祈願を承っており、また各種授与品をお頒かち申し上げております。特に特殊病気平癒祈願として鹿算加持(ろくさんかじ)を数多くの皆様にお受け頂き、御祭神のご加護の下、それぞれの皆様が験(しるし)を頂かれております。また各種霊符は、より細かいご依頼にお応えしており、ご奉斎頂くと即時に験を頂かれた方もおられます。

 会員の皆様は、毎月一回以上の清祓を為さっておられますが、清祓で穢れを常に祓って頂いた上でご祈願或いは授与品を頂かれることで、一層の御祭神のご加護を頂かれることと存じます。

 陰陽道の方術とは、常日頃の清祓によって、転ばぬ先の杖の如く枉津日を最小限に留め、御祈願等によって禍を転じて福と為すことであります。全ての禍・枉津日は穢れから生じます。

 陰陽頭 舊事希軍は現世と異界の狭間に生きているからこそ、皆様を現世から黄泉の国まで、過去から未来を見通して穢れを祓い、総合的にサポートさせて頂く事が出来るのです。更に個人・企業から国家に至る迄、類希な能力を以て諸問題の解決に当たっています。

 本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます

 

 

桔梗だより 成25年12月号

11月の陰陽會の祭典および行事

113日  明治祭を斎行致しました。

25113_001


 

1123日  新嘗祭・日本景気復興祈願祭を斎行致しました。

 

 

 

12月の陰陽會の祭典及び行事予定

1223日  天皇御誕辰奉祝祭・天長祭

1224日大正天皇多摩陵遥拝式

1231日師走大祓式・除夜祭

伊勢神宮の変遷 ()

伊勢神宮は内宮と外宮と云う二つの宮から成っています。この二つの宮には意外な歴史がありました。

現在一般的に内宮と呼ばれる「皇大神宮」、外宮と呼ばれる「豊受大神宮」の二つの大神宮があります。

二つの神宮の名称には変遷がありました。平安初期の延暦二十三年(八〇四年)三月、外宮から朝廷に提出された報告書に於いて、外宮は「止由気(とゆけ)太神宮」と名乗っていました。少し遅れて同年八月には内宮から朝廷に報告書が出され、そこでは内宮は「伊勢太神宮」と名乗っていました。

つまり平安初期にあっての両宮の正式名称は「伊勢太神宮」「止由気太神宮」だったと云う事です。

ところで今日の内宮の正式名称は内宮は「皇大神宮」、外宮は「豊受大神宮」ですが、外宮には「皇」と云う字がありません。これは「皇」とは天皇、皇祖、皇統と云う意味合いであり、内宮と外宮には大きな差異が設けられている事を示しています。

現在では内宮と外宮は並称されると云う事が広く定着していますが、当初からこのように両宮が並称されていた訳ではありませんでした。先ず伊勢太神宮(=皇大神宮)を「内宮」と呼ぶことから始まり、その後止由気太神宮(=豊受大神宮)を「外宮」と呼ぶようになったそうです。

江戸初期、水戸光圀の下で編纂に着手された「大日本史」によると、内宮・外宮と並称されるようになったのは、平安中期・朱雀天皇の御世からだと言われています。

神宮を「内宮」と「外宮」のセットで構成する発想は道教に基いていると考えられると言われています。但し、本来の道教の思想では、内宮も外宮も死霊の世界に属し、内宮は山上に、外宮は洞窟の中にあると云う事だそうですから、道教の思想をそのまま取り入れたとは考えにくく、日本流に醇化されたと考えられます。

内宮、外宮のそれぞれの由来ですが、内宮は皇室の祖先神である天照大神をお祀りしており、垂仁天皇の御世に大和から伊勢の地に遷ったのは既に記した通りです。

外宮は天照大神の食事を司る豊受大神をお祀りしており、外宮では毎朝・夕二回、御饌(みけ)殿で天照大神に御饌を捧げています。

日本書記には外宮への言及が無く、古事記にはありますが、平安時代以降に書き入れられたというのが有力な説だそうです。

恐らくは豊受大神とは本来は伊勢の地の地主神であり、大和から遷って来られた天照大神をお迎えして、服属したと考えられます。

地主神(ぢぬしのかみ)とはそれぞれの土地におわす神の事であり、その土地を守護する神でもあります。

元々は地主神がお祀りされていた伊勢の地に、後から遷って来られた天照大神をお祀りするにあたって、地主神も鄭重にお祀りする事で争いを避けたと言えます。しかしながら神格は天照大神が上位であるとしたことから、地主神は天照大神に御饌を捧げると云う服属の形をとったと云う事でしょう。

その後、明治政府によって内宮上位が決定的にされるまで、外宮の神職らによって、地主神の勢力回復を目指した動きが展開されて行きます。                  (次回に続く)

参考文献「伊勢神宮と天皇の謎」武澤秀一著

平成廿五年を振り返って

今年は熱田神宮に於いては創祀千九百年と云う事で五月八日には「創祀千九百年大祭」が斎行されました。また出雲大社に於いては五月十日、「平成の大遷宮」と称して「本殿遷座祭」が盛大に斎行されました。更に伊勢神宮に於いては「第六十五回式年遷宮」が行われ、遷御の儀が内宮に於いては十月二日、外宮に於いては五日に斎行されました。

このように、神話の時代から続く日本の神々をお祀りする神社に於いて、それぞれ盛大に祭儀が執り行われた、非常に稀有な年でありました。

一方、政治の世界にあっては第二次安倍内閣が本格始動して、様々な動きがありました。年始早々、安倍首相によるTPP交渉参加と云う発言によって、保守陣営には動揺が走りましたが、その後の四月二十八日、天皇皇后両陛下のご臨席を賜る政府主催による主権回復の日の開催、安倍総理による硫黄島への訪問、ご遺骨収容を促進する為、滑走路移設を提案、支那・朝鮮を取り囲むべく、周辺諸国へ積極的な外交など、保守が安堵の思いをしたのも束の間、経済政策に於いてはTPP交渉妥結に向けた積極的な対応、国の形を変え、國體破壊にもつながる恐れの高い新自由主義政策の推進、デフレからの脱却もままならない状況下での消費税増税決定など、次々と日本の未来に暗雲を招き寄せるような政策が打ち出されています。

また、それらの国運を衰退させる政策と連動するかの如く、大型台風の襲来、暴風雨、竜巻、地震など天譴災異が頻発した一年でもありました。年初の桔梗だよりにも書きましたが、巳年には歴史的な事件が起きています。

源義経が壇ノ浦で平家を破り、平氏一門が滅亡したのが一一八五年の巳年、一九〇五年に日本海海戦の大勝利で日露戦争が終結、一九四一年には真珠湾攻撃で大東亜戦争開戦、一九八九年には昭和天皇が崩御され、時代が昭和から平成へ、そして二〇〇一年から二十一世紀が始まりました。

巳の時は、一日の半ばになろうとする時刻であるところから、物事の盛りの頃を意味しており、良きにつけ悪しきにつけ、物事や時代が一つのピークを迎えて終わりを告げ、新たなスタートを切るのが巳年です。

今年の巳年は確かに安倍政権発足によって新たな時代を迎えたやに見えましたが、実際には「戦後体制」が最後の悪あがきの如く中々その終焉を簡単には迎えさせじと云う、古い時代と新しい時代の綱引きが未だに決着を見せないまま、次の午年を迎えようとしています。扨て、来年は如何なる年となりますでしょうか。

« 2013年11月 | トップページ | 2014年3月 »