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2014年5月

2014年5月 8日 (木)

桔梗だより 平成26年4月号

3月の陰陽會の祭典および行事

33日執行 桃花神事 執行

2633_002

 

321日 春季皇靈祭 斎行

 

4月の陰陽會の祭典及び行事予定

43日  神武天皇遥拝式

429日 昭和祭

伊勢神宮の変遷 ()

そして明治になってから二度目の式年遷宮を迎えた明治二十二年、「大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。(國體の本義より)」と云う我が国の國體を目で見える形で知らしめる様々な「儀式」が執り行われました。

明治六年に火災で焼失し仮殿の状態が続いていた宮中三殿が前年の明治二十一年に完成し、翌年の明治二十二年一月九日、新しく立派な宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)に皇祖・皇霊はじめ神々が遷座しました。

明治六年に二月十一日を初代神武天皇の即位日と定めて紀元節が発足し、明治二十二年二月十一日の紀元節には、欽定憲法を発布。前月に皇祖皇宗が遷座された宮中三殿にて、明治天皇が皇祖天照大御神、歴代天皇の御霊に皇室典範並びに憲法の制定を奏告されました。

御 告文(おつげぶみ)は次の通りです。

御告文
 
皇朕(すめらわ)れ、謹(つつし)み畏(かしこ)み、皇祖皇宗(こうそこうそう)の神霊に誥(つ)け白(もう)さく。
 
皇朕れ天壌無窮(てんじょうむきゅう)の宏保謨(こうぼ)に循(したが)ひ、惟神(かむながら)の宝祚(ほうそ)を承継し、旧図(きゅうと)を保持して、敢(あえ)て失墜すること無し。
 
顧(かえり)みるに、世局(せいきょく)の進運に膺(あた)り、人文の発達に随(したが)ひ、宜(よろし)く皇祖皇宗の遺訓を明徴にし、典憲を成立し、条章を昭示(しょうじ)し、内は以て子孫の卒由(そつゆう)する所と為(な)し、外は以て臣民翼賛(よくさん)の道を広め、永遠に遵行(じゅんこう)せしめ、益々国家の丕(ひき)を鞏固(きょうこ)にし、八洲(やしま)民生(みんせい)の慶福(けいふく)を増進すへし、茲(ここ)に皇室典範及憲法を制定す。
 
惟(おも)ふに此れ皆、皇祖皇宗の後裔(こうえい)に貽(のこ)したまへる統治の洪範(こうはん)を、紹述するに外(ほか)ならす。而して、朕か躬(み)に逮(および)て時と俱(とも)に挙行することを得るは、洵(まこと)に皇祖皇宗及、我か皇考(こうこう)の威霊(いれい)に倚藉(いしゃ)するに由(よ)らさるは無し。
 
皇朕れ仰(あおぎ)て皇祖皇宗及皇考の神佑(しんゆう)を祈り、併せて朕か現在及将来に臣民に率先し、此の憲章を履行して愆(あやま)らさらむことを誓ふ。
 
庶幾(こいねがわ)くは神霊此れを鑑みたまへ。

(現代語訳)

私は謹んで先祖の神霊に告げる。
 
私は天地の無限の摂理に従い、皇位を継承し、国を保持し、断じて失墜させることはない。
 
世情の変化・人間の発達に従うため、ぜひ先祖の遺訓を明らかにし、憲法を作って条文を示し、子孫に率先して守り、臣民が力を合わせるように、永遠に守らせ、ますます国の基礎を固くし、日本臣民の幸せを増すようにせねばならない。ここに皇室典範と憲法を制定する。
 
思うに、これはみな先祖が後裔に残された統治の規範を述べたものに他ならない。そして、私の代になって制定できたことは、まさに先祖の御霊に頼ってこそできたことだ。
 
私は先祖を仰ぎ見て、先祖の幸せを祈るとともに、併せて私自らが臣民の手本として率先して憲法を守ることを誓う。
 
どうか神よ、これを御照覧したまえ。

 

現在、占領憲法と言われている日本国憲法の改正に向けて議論が為されています。しかしながら多くの政治家の憲法に対する考え方は「国家が暴走しないように、国家権力を縛る法であり、国民の権利自由を守るもの」として位置付けています。これは憲法を単なる法律として捉えている考え方であると言えます。

このような観点から考えるならば、明らかに日本国憲法は単なる占領基本法、つまり占領期間中にGHQが日本統治をやりやすくする為に設けられた法律であると解釈できます。

然しながらそもそも憲法とは目に見えない国家の伝統や慣習がまとまったものであり、つまり国柄を示すものであるはずです。

右の大日本帝国憲法(明治憲法)が発布されるにあたり、明治天皇が奉告された御告文を読めば、憲法は我が国の伝統文化に根差した内容であり、更に過去から現在そして未来に亘って先祖の遺訓を護り伝えていき、国家が繁栄するよう天皇と臣民が力を合わせて、共に憲法を遵守して参りましょう、とあります。

現時点で自民党案・産経新聞案などの憲法改正案が発表されていますが、いずれも日本国憲法の手直しの域を出ないものであり、大日本帝国憲法の如く、格調高い、我が国の伝統文化に根差した案であるとは言い難いものであります。

明治二十二年、一月に宮中三殿への遷座、二月に明治憲法発布と皇室典範制定、六~七月に歴代天皇陵治定、十月に式年遷宮、十一月に皇太子(後の大正天皇)の立太子礼が目白押しで行われました。

明治国家形成と云う歴史的大事業は、神代から続く皇室の権威つまり「万世一系」を明らかにし、尚且つ「西洋文化に勝るとも劣らない文明開化」を成し遂げた事を内外に明らかにする必要がありました。皇祖の神威が一段と高まる式年遷宮を通して、万世一系を謳う憲法を根拠付け、憲法と一体となって明治国家を形成したと言えます。            (次回に続く)

参考文献「伊勢神宮と天皇の謎」武澤秀一著

 

建築にまつわる話(三)

 今回は地鎮祭についてお話します。一般的に、家を新築する場合、地元或いは崇敬する神社等に依頼して地鎮祭を執り行います。地鎮祭は「じちんさい」とも「とこしずめのまつり」とも読みます。つまり読んで字の如く、建物を建てる際に、その土地におわす神々に建物を建てる事の許しを得て、今後この場所が繁栄するように鎮め祀る為の祭儀です。

貴族らの信頼を得て、陰陽道が大変栄えた平安時代、平安貴族が家を新築する際には必ず陰陽師の指導によって、所謂地鎮祭を執り行っていました。

土地には「土公神(どくうじん・つちぎみのかみ)」と呼ばれる存在があり、家宅の竈(かまど)・門・井戸・庭の何れかに宿る神とされています。土公神は新築の際等、三尺よりも深く地面を掘り返す場合、「犯土(はんど」と言って、祭儀を執り行わずに地面を掘り返すと必ず祟りを起こす危険な神格だったからです。

犯土によって生じる「土の気」の害が及ぶ範囲は最小でも約百四十㎡、最大では約四町にも及びます。自分の家だけでなく隣家・周辺地域にまで及ぶのですから恐ろしい限りです。

土公神の祟り(穢れ)によって土の気(枉津日・まがつひ)が生じ、病気等の禍が生じます。しかしながら祟りによる病は薬の処方だけでは治らず、必ず、陰陽師による土公神を鎮める祭儀が必要でした。(続く)

参考文献「平安貴族と陰陽師」繁田信一著

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