桔梗だより 平成28年2月号(2月1日頒布)
1月の陰陽會の祭典および行事
1月3日、元始祭を斎行
1月7日 昭和祭を斎行
1月10日 恵比寿祭を執行
2月の陰陽會の祭典及び行事予定
2月3日 追儺式
2月11日 紀元祭
2月17日 祈年祭
諏訪大社参拝
一月十五日、ある目的の下、諏訪大社に参拝し、国家安泰を祈願致しました。その目的とは、丙申、閏年の今年、日本列島に大地震が起きる可能性も否定できない事から、何とか大事に至らないよう、出来るだけ諏訪の神々にお鎮まり頂く為です。
先月号の桔梗だよりでご紹介しましたが、諏訪大社の四社(本宮・前宮・秋宮・春宮)は中央構造線とフォッサマグナが十字にクロスした場所にあり、この二つの構造線の鎹(かすがい)の役割によって、日本列島が地殻変動〈大地震〉で分断されないように四社の社殿の四隅に御柱(みはしら)を曳き立てています。
さて、写真は諏訪大社本宮の正面の鳥居前です。本宮は、鬱蒼とした山の麓に、杉などの巨木に囲まれて、鳥肌の立つようなご神気を湛えていました。
諏訪大社には本殿が無く、背後の守屋山が御神体だと言われています。守屋山と云う名称から、旧約聖書の創世記で、主がアブラハムに息子イサクを生贄として捧げるように命じられた「モリヤの地」の象徴ではないかとする説があります。
実は諏訪大社では、他の日本の神社とは全く異なる数々の「奇祭」が執り行われています。御柱祭をはじめ、毎年四月十五日に上社の前宮で行われる御頭祭(おんとうさい)は有名です。
現在の御頭祭は約一・五メートルの御贄柱(おにえばしら)という木の柱と、剥製の鹿の頭が三頭供えられる以外は、一般的な神事と何ら変わりないそうですが、明治以前は異なっていました。
その理由は、明治以前は古代から代々神事を司る神職が引き継いで執り行っていましたが、明治以降は神社本庁から神職が派遣されるようになり、それぞれの氏族の世襲が廃止されてしまったからです。
では明治以前はどの様な祭祀だったかと言えば、神饌に鹿の頭を七十五頭、その中には必ず耳の避けた鹿があり、白鷺、白兎、雉子、山鳥、鯉、鰤、鮒などの肉、 米、海老、魚などを供えたそうです。
そして神官たちが供え物を下ろして食べ、酒を酌み交わします。その後、御贄柱を 飾り立て、神の代わりともされる、紅の着物を着せられた御神(おんこう、おこう)という八歳ぐらいの子供がこの柱に縛り付けられます。
神官がこの御神を小刀で刺そうとした瞬間、諏訪の国司の使者の乗った馬が登場してそれを止めさせ、御神は解放され、祭りは終わります。
拝殿の左手方向の境内には、樹齢千年とも言われる大欅があります。その説明には「古くは贄(にえ)・御狩(みかり)の獲物(お供物)を掛けて祈願したことから『贄掛けの欅』と呼ばれ境内最古の樹木のひとつである。」とありました。現在のような社殿が無い時代には、恐らくこの大欅に鹿や兎などの獲物を枝に掛けて、祭儀が執り行われたであろうと想像できます。
ところで、この一連の祭儀の様子は、旧約聖書に描かれている場面に酷似しています。
旧約聖書では主がアブラハムの信仰心を試す為に、大事な息子のイサクを生贄として捧げるように命じました。アブラハムは悩みましたが、主の命であるならば逆らう事は出来ないと決心し、忠誠心を以て息子を生贄に差し出したところ、主の御使いが息子を殺す事を止めさせたと言う件です。これらのことから、諏訪大社はユダヤ教との関連を指摘されています。
現在、諏訪大社の御祭神は建御名神(たけみなかたのかみ)とその妃である八坂刀売神(やさかとめのかみ)とされていますが、実は元々は、ミシャグチ神と云う縄文時代から伝わる諏訪地方の土着の神々であるとされています。諏訪大社の祭祀を明治まで司って来た守矢神長家の話によれば、ミシャグチ神は自然万物に降りてくる精霊であるとしています。
歴史民俗学で有名な柳田國男によれば、ミシャグチ神とは塞の神(サエノカミ)つまり境界の神であり、悪霊の侵入を防ぐ為に村境や峠、辻などに祀られる神だとしています。他の多くの研究者も調べた有名な神だそうですが、結論が出なかった正体不明の神だと云う事でもあります。
守矢神長家の話からも、諏訪の神々は元々「ミシャグチ神」と呼ばれる精霊で、ミシャグチ神を降ろしたり、神上げしたりする祭祀を執り行っていたところ、出雲から侵入した建御名方命が諏訪大明神となって現在の諏訪大社の始まりとなり、それまで行われていた祭祀と明治に至るまで、渡来系の神である建御名方命が持ち込んだユダヤ教と思しき祭祀と習合して、奇祭と言われる祭祀が連綿と続いてきたと考えられます。
先住民であった洩矢(モリヤ)の人々は出雲系の人々と共生し、建御名方命の子孫である諏訪氏が大祝(おうほうり)という生神(いきがみ)の位に就き、洩矢(モリヤ)神の子孫の守矢氏が神長 (じんちょう)という筆頭神官の位に就きました。
縄文時代から続く正体不明のミシャグチ神ですが、神長官守矢氏の伝えるところによれば、この御柱はミシャグチ神の依り代であるということから、御柱にミシャグチ神を降ろし、中央構造線とフォッサマグナがクロスする、巨大なエネルギーがぶつかり合って止まった将にその場所を、御柱と云う鎹(かすがい)を曳き立てて、ミシャグチ神を降ろして動かぬように鎮め祀ったと考えられます。
ところで、春宮では一月十五日に筒粥神事が行われ、その結果、世の中を占ったところ二〇一六年は「三分六厘(五分が満点)」と出ました。神職の話では「ボチボチ」だとか。東日本大震災発災の年、「三分五厘」と出て、神職は「今年は怖い一年。過去二十年間で最も悪い結果が出た。春は早めに訪れるが途中で予想外のことが起き、足をすくわれる相。」と青ざめたそうですが、その時とあまり変わらない様な気もしなくもないですね。
そして諏訪大社の東方向で中央構造線とフォッサマグナを鎮める為に祀られたのが、「東国三社」と呼ばれる香取神宮(千葉県香取市)、鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)、息栖(いきす)神社(茨城県神栖市)です。
東国三社についても、諏訪大社同様参拝の必要を感じているので、参拝後に改めて書く事に致します。
参照(ウィキペディア・ 神長官守矢資料館のしおり)
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