平成28年3月3日 桔梗だより 平成28年3月号(3月1日頒布)
2月の陰陽會の祭典および行事
2月3日 追儺式斎行
3月の陰陽會の祭典及び行事予定
3月3日 桃花神事
3月20日 春季祖霊祭・春季皇霊祭遥拝式
民主主義に悖(もと)るなかりしか
今年に入って突如、甘利明経済再生担当相に金銭授受疑惑が報じられ、自身が政権発足当初から手掛けていたTPP交渉の最後の華である調印式出席を目前に控えた一月二十八日、建設会社の関係者から大臣室などで現金を受け取っていたことを認め、辞任しました。
甘利大臣辞任後の一月三十、三十一日に報道各社が行った全国世論調査では、当然のことながら、甘利明・前経済再生担当相の辞任は「当然」とする声が多数を占めました。
ところが肝心の内閣支持率は、驚いたことに逆に前回を上回り、五割を超えていました。その理由は、安倍首相には甘利大臣に対する任命責任を問わないと言う事から起きた現象でした。
第一次安倍内閣の際には大臣が次々と失脚する度に支持率が低下し、最終的には参院選に大敗して安倍首相は体調不良により辞任に追い込まれましたが、第二次安倍内閣発足以降、大臣の辞任や自民党議員のスキャンダルなどでダメージを受けても、左程に内閣支持率が下がらず、五割程度を維持し続けていると言うのが特徴です。
このように安倍政権がどのような政局的に不利な状況にあろうとも不動の状態にあり、野党の支持率は一向に上がらない事を揶揄して、マスコミなどでは「一強多弱」と称するようになりました。
安保法案可決の際には、野党議員が安倍首相に対して「独裁者」「ヒトラー」になぞらえるなど、国会に於いて議論をすると言うよりも罵倒すると言った状況でした。
国会の質疑を見ていても、野党の質問は常に的外れか、闇雲に反対するだけで、建設的な議論が行われていると言う印象を受ける事は極希です。そこを突かれて、安倍首相からは反対に「反対ばかりしないで、対案を出せ。」と迫られる始末です。
このような現在の政治状況を客観視すれば、安倍政権は首相の思う儘に推し進められ、野党は全く付け入る隙も無く唯々諾々として、仕方が無いと言う諦めムードが漂っています。
嘗ての民主党が第一次安倍内閣をあの手この手で切り崩して、政権を奪取しようとしていた勢いは何処にもありません。民主党を是とするつもりは毛頭ありませんが、あの時の野党の活力・活気が無いと云う事です。
現時点では、次の参院選で野党が躍進するどころか、風前の灯である社民党をはじめ、民主党、維新の党も両党のイザコザばかりが報道されて、どちらにも国民の関心は無く、恐らくは議席を失う可能性の方が高いと思われます。但し、自民党に反対する勢力の一部が共産党に流れていることから、共産党だけは伸びる可能性も否定できないと思われます。
然しながら、与党自民党・公明党に対する「野党」という観点から言えば、凡そ自民党に対抗或いは凌ぐ勢いは全く無いでしょうし、このままでは全滅の恐れもあります。
更に言えば、国会の質疑を見ていて明らかに言えることは、大阪維新の会の議員達が安倍首相に対して蜜月関係にあるかのような発言を相互にしていることから、安倍政権は大阪維新の会との連立政権も視野に入れているとなれば、与党には最早敵無し、という状況にもなりかねません。将に「一強多弱」です。
安倍首相は民主主義によって選出された上で政権を担い、政策を推し進めているのですから、独裁者と云うのは的外れですが、「そのように見える」と云うのはそう思わせる原因があるからです。
つまり現政権は「強いリーダーシップ」と「独裁者」の区別がつかない様な、日本の議会制民主主義の危機的状況に陥っていると云う事です。
一つには、国会議員の質が劣化し、政治家に活力・気力が失われ、与党内でも活発な議論が行われる事無く政権の言いなり、所謂「政高党低」と言われる状況であり、片や野党は政策的、政治的課題に結論を出せないことで政権に対してまともな意見をする事が出来ず、反対か揶揄しか出来ない無能集団と化していることで、見た目には安倍首相がやりたい放題やっているように見えているからです。
この様な安倍政権に対して、議会制民主主義を是とする人達から見れば与党にせよ野党にせよ、活発な議論の末に政策決定が為されていないことから、議論の無いままに政策決定される事に疑問を感じ、安倍首相を担ぐ人達は強いリーダーシップだと賛美し、逆に安倍政権に反対をする人達は独裁者だと謗るという具合に、それぞれ三者三様の捉え方をしているのではないかと考えます。
議論を蔑ろにして議会制民主主義に悖る事態が国民の政治的無関心を生んでいる最大の原因であり、更にマスコミが政局を取り上げるばかりで政治については殆ど記事を書かなくなった事で、マスコミだけが情報源の国民は、常に政局によって情動的に扇動されるだけなので、所謂「風まかせ」の選挙に陥り、政治家も国民も「数の論理」に右往左往していると言えます。
安倍首相が強いリーダーシップを発揮しているのか、それともやりたい放題やっているのかは、見る視点で異なりますが、少なくとも野党が謗るような「独裁者」でないことは確かです。
独裁とは期限の無い、無制限の権力を持つことであり、民主主義による選挙で選ばれ、選挙によって是非を問う事が出来る以上は独裁とは言えません。この事から、当選したと云う事は国民が選んだと云う事なのですから、国民は認めなければなりません。
但し、政権をとる前に国民に対してはやらないとしていた事を、突如翻して始めたTPP交渉など、国民に隠していた政策を強行する事は、独裁とかリーダーシップとか云う事では無く、民主主義に悖る行為です。
また野党は揚げ足取りや反対に終始するのではなく、「何が国益なのか、何を国民が望んでいるのか、何が国民の為になるのか」と云う事を真剣に考え、政策課題にして行動に移すべきであります。
昨今、「国民目線」と言う言葉を耳にしますが、「国民目線=国民と同レベル」だと勘違いしている政治家が多過ぎます。国民の要求通りに動く事は、単なるポピュリズム、つまり衆愚政治です。
政治家は国民との直接対話(たとえ挨拶だけでも)をしなければ、何を望んでいるのか、何を考えているのかを汲み取ることは出来ません。然しながら昨今は、国民との直接対話を全く古い時代のやり方であると言う間違った考えが蔓延しており、国会で博識を披露する事が政治家の仕事だと勘違いしている議員が多いのではないでしょうか。
真に国民の事を考えるなら、国民との直接対話をしながらも、断じて政治家は一国民のレベルになってはならず、また、国益の観点からは常に全体を考え、物事を俯瞰し、大局を見据え、百年、千年先を見て、国民に未来を示す事が必要です。政治家の信念や政治信条だけを一方的に滔々と述べたり、単に選挙目当てで握手だけして回っても、真に国民の心を掴む事など出来ないのです。
国会議員が地元に帰って地元民の声を真剣に聞くと共に、国の未来を示せば、国民の選挙に対する意識も高まります。政治家の地道な日常活動の中に民主主義は定着し、政治家と国民が共により良い日本を造って行こうとする意識を高める事が出来るでしょう。
近年、あらゆる選挙に於いて投票率の低さが問題になっています。現在の安倍政権も、投票率は非常に低い中での政権誕生となりました。つまり日本人の一部の人々の支持による政権によって日本全体を左右する政策が実行されている事になります。
此の度、選挙年齢が十八歳に引き下げられましたが、若者が政治に対して興味を持てるようにするのは大人の責任でもあります。
「民主主義国家の政治家のレベルは その国民のレベルを表す」と言われますが、現政治を憂うならば、国民が先ず意識を高く持つことが重要です。また政治家も有権者も理想や夢を持って、大いに日本の未来を語り合うべきでしょう。
二月二十三日の時点で、民主党と維新の党が合流すると云う事、次の参院選で、共産党が一人区での候補者を取り下げると言うニュースがありました。自民党に対抗する一大野党勢力を結集する事が出来るかどうか、これからの動きが注目されるでしょう。
与党も野党も単に政局で動くのではなく、日本の未来・国民について真剣に考えて行動することを切望致します。
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