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2016年3月 3日 (木)

平成28年3月3日 桔梗だより 平成28年3月号号外(3月1日頒布)

諏訪大社本宮の御神体

 先月号で諏訪大社上社の祭祀とユダヤとの間に非常に深い関連性があることついて触れましたが、今月は諏訪大社本宮の御神体について考察してみたいと思います。

 諏訪大社本宮の御神体は、現在本宮の裏手にある守屋山だと一般的に言われていますが、諏訪大社の神職によれば、「本宮の御神体は、守屋山ではない」と明快に答えているとの事です。では御神体は一体何なのか、と言えば「諏訪明神に神体なく、大祝〔おおほうり〕をもって神体となす」と言われたように、諏訪大社では大祝が諏訪明神の化身、現人神〔あらひとがみ〕として神秘的な権威を有したと伝えられています。上社では諏訪氏が、下社では金刺氏が代々大祝を継承しました。大祝は人間ですが、祭祀によってミシャグチ神を降ろし、現人神になります。そしてその祭祀を司ったのが物部守屋の子孫と言われる神長官の守矢氏でした。然しながら神を祀るに際して御神体が無く、人間を依代にして神を降ろし神体と為す、というのも不自然に思われます。

 恐らくは「ミシャグチ神に対する祭祀」と云う本質は継承されてきたものの、長い歴史の中で様々な事象が混在し、明治の近代化などによって、真実が失われ変遷していったことで、本宮の御神体が何であるのかが人々の記憶から失われていったものと考えられます。

 ところで諏訪大社本宮幣拝殿とその裏手にある守屋山との位置関係からすると、守屋山を御神体とするには無理があります。本宮塀拝殿は御神体と言われる守屋山を拝しておらず、実際には東南の方向を向いています。東南の方向に何があるかと言えば、前宮があることから本殿は前宮だと言う説もあります。然しながら前宮は本殿と云う位置付けではなく、かつて大祝の居宅があった場所であり、現在では四月十五日に行われる御頭祭が行われるなど上社の祭祀の中心地でした。

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 実は本宮の幣拝殿の東南の方角には、前宮に至るまでの中間の場所に北斗神社が存在します。北斗神社とは北辰(ほくしん・天の北極を神格化したもの)を祀る神社です。

 諏訪大社本宮の本殿は北斗神社で、御神体は「北辰」ではないかと仮定してみます。

 北斗神社は急斜面にへばりついているような石段を百六十メートルも上った先にある小さなお社(やしろ)です。実際に参拝した方の記録によれば、お社の左端の灯籠には「奉献泰一社・物部安貞」と書いてあり、右側の身舎(もや)側面には「守屋氏」とあるそうですが、「泰一」とは「太一」と同じで北辰を意味し、物部氏が北辰を祀っていた事が分かります。

 またお社の壁には荒縄が掛けられているそうですが、荒縄は「蛇」を表わしていると考えられます。(注連縄を蛇の交尾とする説もあります。)北辰に存在する北斗七星の曲がりくねった形を蛇(辰)になぞられたとも言われています。また洋の東西を問わず、古代から蛇は神の象徴とされ、崇敬されてきました。

 日本においては、神の語源も「蛇」カ「身」ミを基にしていると言う説もあります。

 そもそもミシャグチ神は蛇体の姿で表現される事が多いことから蛇神であるともされています。ミシャグチ神を祀る神事の一つに元旦の朝、諏訪大社のすぐ横に流れる川に棲む蛙を掘り起こし、矢で串刺しにしてお供えとする蛙狩(かわずがり)神事が行われます。つまり蛇神の好物である蛙をお供えすると云う神事です。

 また中世までは前宮に於いて、十二月下旬に半地下式の土室が作られ、現人神の大祝や神長官以下の神官が参篭し、茅で作った三体の蛇を祀る土室(はむろ)神事が行われていたそうです。

 そして北辰を祀る神事ですが、これが今では原形をとどめることなく失われてしまったと推測されます。北辰を祀る神事がどの様なものであったのか、以下推測してみます。

 本宮幣拝殿の左側の境内、二之御柱の近くに、樹齢千年とも言われる「贄掛けの欅(にえかけのけやき)」と言われる欅の大木があります。説明書きには、昔この欅の枝に供え物(鹿や兎など)を掛けて祈願した事からこのように呼ばれているとあります。

 恐らく当初は欅ではなく、樅(モミ)の木であったと推測します。樅は四十メートルもの巨木になる事も有り、神聖な木で古来から信仰の対象になっていた事から「臣木(おみのき)」を語源とするとも言われています。また諏訪の御柱に樅の木を用いていることにも関連があると考えます。

 そして樅の木の枝に、北辰への供え物の鹿や兎などを掛け、木の頂上に北辰を降ろし、祈願したのではないでしょうか。そして恐らくは神事は冬至に行われていたと思われます。 

 何故なら冬至日は地球が最も北に位置し、北辰に一番近付くことで、北辰の加護を最も得られると考えたと思われるからです。

 さて、この形を想像して頂くと、何とクリスマスツリーになるのです!

Photo_2

 そもそもクリスマスツリーの由来は曖昧ではっきりとは分かっていません。古代のゲルマン民族が行っていた「ユール」と呼ばれる冬至のお祭りの時に、冬でも枯れない生命力の強い「樅の木」に飾りをしていたのがクリスマスツリーの始まりだと言われており、実はキリスト教とは全く無関係です。

 ところで欧米のクリスマスツリーの下には家族へのプレゼントなどが置かれていて、クリスマスが終わるとプレゼントが配られています。これはまるで神事が終了した後、お下がりのお供え物を頂く直会(なおらい)に通じるではありませんか。

 「北辰」と云うと、道教や妙見信仰など支那由来の信仰の様に思われますが、実は縄文時代の東北地方に住んでいた日本人(アラハバキ)が既に北辰(蛇)を祀る信仰をしていたことが明らかになっています。太古の日本で既に北辰は祀られていたのです。そしてクリスマスツリーの原型ではないかと思われる贄掛けの木は、古代祭祀の祭壇だったのではないでしょうか。

 以上の考察から、諏訪大社本宮の御神体は北辰(蛇神)であり、本宮幣拝殿の東南の方向にある北斗神社が本殿であると考る次第です。(続く)


参照・・・
from八ヶ岳原人 ・ウィキペディア

現代宗教研究 32 NO8

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