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2016年8月

2016年8月 3日 (水)

桔梗だより 平成28年8月号(8月1日頒布)

8月の陰陽會の祭典及び行事予定

815日  戦没者慰霊と世界平和祈願祭

 

聖上の「譲位」

七月十三日午後七時のNHKニュースで、唐突に〈天皇陛下が、天皇の位を生前に皇太子さまに譲る「生前退位」の意向を宮内庁の関係者に示されていることが分かりました〉と報じました。

臣下の立場で皇室に関することをとやかく申し上げることは、甚だ畏れ多いことにございますが、この度のNHKの報道内容には強い違和感と疑念を感じるところがあり、国の根幹に関わる重大問題であると考え、敢えて今回の桔梗だよりで取り上げる事に致しました。

さて、今般のNHKによる「天皇陛下が生前退位のご意向」という衝撃的な内容もさることながら、かくも重要な事柄が、天皇皇后両陛下が葉山御用邸でご静養中(七月十一日~十四日)に、しかも安倍首相はアジア欧州会議に出席する為、翌十四日午前には羽田から出発予定というタイミングで、宮内庁長官の言葉としてではなくNHKと云う一報道機関によって「宮内庁関係者の話による」と言う出所を曖昧にした内容で報道された事に、強い疑念を感じると共に、事の是非云々と云う事よりも、このまま「譲位」を良しとする世論形成がマスコミ主導で為される事に対して、強い危機感を覚えるものであります。

今回のNHKの報道は、各社マスコミを出し抜いて為されたことで、この一報を受けて各社マスコミは報道直後に宮内庁に駆け付け、報道内容の真偽を確かめたところ、宮内庁次長の山本信一郎氏は報道内容を全面的に否定をした上に、陛下にはそのお気持ちが無い、と明確に答えています。また、菅官房長官も十四日午前の会見で「全く承知していない。」とコメントしました。

ところが、宮内庁が公式に報道内容について否定し、政府も承知していないにも拘らず、NHKはこの報道内容を取り下げたり、修正したりしていないことから、報道各社をはじめ論客は「天皇陛下の譲位のご意向」は事実と言う見方を強めています。

しかも宮内庁は報道内容に対して全面的に否定したものの、NHKに対しては一切抗議していないこともあり、「天皇陛下のご意向」として既成事実化しつつあります。

そもそも、「生前退位」という言葉も違和感を禁じ得ません。本来ならば「譲位」と言うべきでありましょう。

今回の報道を受けて、各論客が様々な観点で自論を展開していますが、「今上陛下のご意向」を重視すべきであるとの論調が大半で、「譲位」に関して的を得た論考は、東大名誉教授の小堀桂一郎氏による「摂政の冊立が最善」(七月十六日産経ニュース)と、麗澤大学教授の八木秀次氏による「『生前退位』は選択肢の一つ、 望ましくない陛下のご意向の既成事実化」(iRONNA【いろんな】)の二つであると考えます。

大筋は、歴史的にも譲位・退位が為された事実は少なくないが、多くの場合政治権力者など外部勢力によって強要されたり、時の天皇が影響力を温存する為に恣意的に行われてきた経緯があり、更には譲位・退位された後の今上陛下の称号、お立場、ご公務、御所、元号、宮廷費の諸問題に加えて、皇太子殿下が天皇陛下の御位に就かれた場合、皇太子は空位となり、秋篠宮文仁親王殿下を皇太弟とするなど新しい称号を設けるのか、崩御の際の大喪の礼や陵墓、践祚大嘗祭などの継承儀礼の問題など、議論すべき内容が余りにも多岐に亘り、これらの諸問題を皇室の伝統に則って解決可能かどうかも覚束ないというものです。

小堀桂一郎、八木秀次両氏は、「譲位」を前提で議論を進め、今迄にない前例を作ることは、事実上の國體破壊の危機ではないかと危惧するとしています。

このような國體破壊の危機を招きかねない「譲位」ありきの議論を進めるのではなく、既に過去の事例として、大正天皇が即位された後、玉体が不自由になられたことで、皇太子であられた裕仁親王殿下(後の昭和天皇)が摂政に就任され、天皇の職務を代行される事になった先例にならい、必要な宮中祭祀と国事行為は摂政宮殿下にお任せになれば良いというものです。

八木秀次氏は次の様に述べています。

~『皇室典範義解』の記述のもとになったのは、皇室典範制定過程における伊藤博文の発言で、伊藤は、譲位の慣行は仏教の影響であり、いったん即位すれば、終身在位が当然であり、自由に譲位することはできない。摂政の制度があれば、譲位を制度として設けることは不要だと述べている。~

両氏の見解はまことに筋が通ったものであり、新たな前例を作ることの危険性と難解さに比べて、皇室の伝統に則った先例に従えば、すぐにでも解決できる問題であるとしています。

更に言えば、八木秀次氏は、出所不明の「宮内庁の関係者」からの情報としながら、「天皇陛下のご意向」で政府に制度変更を促している点は、国民統合の象徴であられる天皇陛下のお立場を危うくするものであるとまで言及しています。

NHKは「天皇陛下による生前退位のご意向」があるとし、数年内の譲位を望まれており、天皇陛下御自らが広く内外にお気持ちを表わす方向で調整が進められているとまで報道しました。

この内容からすれば、既に譲位は既成事実とされ、譲位に向けて制度改正は進められているのだと言う印象を受けざるを得ません。

そして宮内庁は「陛下には全くそのお気持ちは無い」という否定的な公式見解を示したことで、一体どちらが正しいのか国民は戸惑うばかりです。

然しながら陛下のご意向で現行制度を改正すると言うようなことは本来あってはならないことであり、もし「ご意向」がまかり通るようなことになれば、前例があるとして、後世、外部勢力によって天皇の「ご意向」を悪用され、政治的な問題に影響を与えないとは言い切れません。

これらの一連の報道から見えてくることは、今回のNHKによる突然の「生前退位」報道は、今上陛下の「ご意向」を利用した世論形成にあると考えます。

つまり、「天皇のご意向」であると言う「生前退位」についての報道をNHKと云う公共放送で流す事で、今迄そのような事を考えた事も無い国民に「生前退位」についての世論喚起を促し、皇室制度について無知な国民に、今上陛下の御体調を憂うというだけの感情で湧き立たせ、国民に「生前退位」こそが最上の策であると言う世論を固定化させることに狙いがあったと考えます。

事実、日本経済新聞社は早速七月二十五日、「天皇の生前退位」について世論調査を行い、次のような結果を明らかにしました。

「生前退位を認め新しい制度をつくるべきとする意見が七七%にのぼった。併せて、女性天皇や女性宮家について検討するべきかを訊ねた結果は、「どちらも検討すべき」が五九%、「女性天皇は検討すべき」が二一%、「女性宮家は検討すべき」が五%という順だった。つまり、「女性天皇について検討するべき」と考えている人は八〇%にのぼることがわかった。「(女性天皇、女性宮家)どちらも検討すべきでない」とする回答は八%と、一割以下だった。」 (日本経済新聞2016725日朝刊2面:「本社世論調査」)

この内容は、「天皇の生前退位」にかこつけて、女性天皇、女性宮家と云う全くお門違いの論調を再び持ち出して、世論喚起を促しているのは明らかです。

また、既に「生前退位」にまつわる皇室典範の改正の議論の際には、皇位継承資格者の拡大や女性天皇、女系天皇、女性宮家についても同時に改正すべきであるなどと言う論調も出て来ています。

と、ここまで書いて、七月二十九日午前七時のNHKニュースで、突如「天皇陛下のお気持ち」が八月に表明される事になった、という報道がありました。

天皇陛下がお気持ちを述べられるなど、前例の無いことです。先のNHKの突然の報道から、余りにも異例な事が続いています。

以下、斯様な事を臣民たる者が述べる事は甚だ不敬であり、許されざることではありますが、そこを曲げて敢えて申し上げねばならぬと想起し、申し述べる事に致しました。

天皇と云うお立場は、明らかに臣下の者とは異なり、「現人神」であらせられます。つまり、人としての肉体をお持ちのままで、「神其のまま」であらせられるということです。

そして「神其のまま」とは「随神(かむながら)」、つまり皇祖天照大神のご本質そのままであらせられ、天皇は「皇祖神の御道」に随って治らせ給い、少しの「我意」を用い給うことがあってはならないということでもあります。

簡単に申せば、天皇に「私心」があってはならないと云う事です。そして皇祖神の御道である随神の道、つまりは神道に則していなければならないということでもあります。

天皇は他の人間、つまり皇族・臣民或いは外国人に利用される事は断じてあってはならず、また他人の意志に基づく事なく、御自らが「神其のまま」で皇祖神の御道、惟神の道のまにまに治ろしめ給うのみであらせられねばなりません。

そして「治らす」とは道から外れぬ事であり、「随神」とは、ただ神のみ、神其のままという義であります。

日本が神国である所以は、皇祖天照大神が霊界の高天原に於いて治ろしめされておられることを、皇祖天照大神と御一体であられる万世一系の天皇が現国(うつしくに・豊葦原)を治ろしめされることで、天壌無窮に栄えると御神勅を賜ったことにあります。

天皇が「譲位・退位」を望まれておられるとするならば、それは「私心」であり、「天皇のお気持ち」によって政治が動かされるようなことがあれば、その時点で「権威」としてのご存在から「権力」としてのご存在に変化する事となり、「皇祖神の御道・随神の道」から外れることになり、それ即ち「國體の危機」であります。

後世に禍根を残すような事は断じてあってはならないと考えます。

「…神ながらの道は神の踏み給ふ道にして、皇上の踏み給ふ道であり、皇族の踏む道、臣民の踏むべき道である。斯の道は神に基づき、神に斎き皇に身奉す人々の普く踏むべき根本道である。…是れ王者又は政権を手に入れたる者が其の政権を失はざるが為に踏むべきものとする道と異なる所である。」(惟神の大道・筧克彦著)

(参照 惟神の大道 筧克彦著)

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