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陰陽道

2012年9月 4日 (火)

天皇というご存在

天皇とは単なる矮小化された祈りの存在、祭祀王ではありません。

天皇とは現人神(あらひとがみ)であられ、これは明御神(あきつかみ)であられます。

ヤマトタケノミコトが「吾是現人神之子也」と名乗られたとも言われています。

「現人神」を説明すると「人間でありながら 、同時に神である」という存在になります。

それ以前は「大王(おほきみ)」と云う称号を用い、「スメラミコト」「スベロギ」と称して来ました。

「スメラミコト」とは「スメ」は「スム」(澄む=穢れが無い)に通じ、神の領域を示す意味を表わしています。

7世紀後半の天武天皇の時に「天皇」と言う尊号を初めて用いられ、以来「天皇号」が使われています。

語源は道教の天皇大帝(てんこうたいてい)です。

天皇大帝とは「北極星を意味する天の支配者」と云う意味であり、それは「天の命を受けた者」と云う事になります。

「天皇」とはつまり北極星の化身としての宇宙最高の神と言う意味を持ちます。

そして何故天皇は、神となり給えるのかと言うと、天皇は、皇太子から即位によって天皇と云う称号を与えられ、御一代に只一回のみの祭典である「大嘗祭」によって、北極星の力を玉体に宿したご存在となられ、国家と国民の繁栄と安寧を無私の心で願われるご存在となられるのであります。

Photo

やがて、ご崩御なさられた後にも大葬の礼などの祭祀によって、国家鎮護の神として祀られ、国家国民の繁栄と安寧を見守るご存在となられるのです。

このことから単に天皇とは神道の祭祀王(神主の最高位)ではなく、大嘗祭を経て真に北極星の化身としての「天の命を受けた者」としての現人神となられるのであります。

そして天皇とは代々(よよ)天津日嗣(あまつひつぎ)の高御座(たかみくら)に坐(ま)して、食国(おすくに・日本)の天の下の大御業(おほみわざ)を恢(のべ・広め)給へるご存在であられます。

天壌無窮の神勅

天照大神乃賜天津彦彦火瓊瓊杵尊八坂瓊曲玉及八咫鏡・草薙剣三種宝物又以中臣上祖天兒屋命・忌部上祖太玉命・猿女上祖天鈿女命・鏡作上祖石凝姥命・玉作上祖玉屋命凡五部神使配侍焉。
因勅皇孫曰豊葦原千五百秋之瑞穂国是吾子孫可王之地也、宜爾就而治焉行矣、寶祚之隆當與天壌無窮者矣。

このご神勅の意味は、日本の国は天照大神の直系の御子孫たる代々の天皇が統治されるべき国であり、この皇統を維持することで未来永劫の恒久的な発展することをお示しになっています。 

天皇の御位が万世一系の皇統であることは肇国の大本であり、この天壌無窮の神勅に明示されています。

2011年12月18日 (日)

陰陽道による霊符

符呪とは陰陽道の呪文を書きつけた霊符呪術のことで、
現在神社などで頒布される「御札」や「御守」の原形です。

御札や御守は、現在では神社などでお頒かちされるものと思われていますが、
元々は陰陽道による呪術の一つでした。

また符呪と同様に道教由来の霊符もあります。

霊符は様々な作法を踏まえて書いた上、陰陽道による方術で呪(しゅ)をかけて調製します。

これらの符呪、霊符は目的別にそれぞれ用いられます。

家内の怪奇現象を鎮める為の霊符をはじめ、長寿、病気平癒、息災、開運、招福、良縁、子授け、破邪、敬愛など、実生活に関わる様々な霊符を調製しております。

【霊符の一例】 

001_2

2010年11月10日 (水)

陰陽道

陰陽道は、6~7世紀に支那から朝鮮を経て日本に入ってきたと言われていますが、支那にも朝鮮にも陰陽道という言葉は存在しません。
陰陽道は日本にもともとあった古神道と、支那から伝来した陰陽五行思想とが融合し、
より高度に発展させ醇化することで日本の文化に溶け込み現代の人生儀礼や季節の行事として民間にまで幅広く浸透しているものです。

陰陽道が発祥の現代に残る人生儀礼や季節の行事には次のようなものがあります。

人生儀礼としては帯祝い(安産祈願)、出産祝い、お七夜(命名式)、初宮参り、お食い初め、初節句(雛祭り・端午の節句)、七五三(三歳:髪置きの祝い、五歳:袴着の祝い、七歳:帯解きの祝い)、髪上祝い(十三参り)、元服(成人式)、厄年(厄祓い)、賛賀(還暦・古稀・喜寿・傘寿・半寿・米寿・卒寿・白寿・上寿・茶寿・皇寿)などがあります。

季節の行事としては、正月の屠蘇、七草粥、どんど焼き、追儺(節分)、雛祭り、端午の節句、名越の大祓(茅の輪行事)、七夕、八朔(中元の元)、重陽(菊の節句)、亥の子餅、七五三、師走の大祓などです。
 
民間には上記のような人生儀礼や季節の行事がありますが、宮中においても同じように陰陽道を起源とした行事が多々あります。
 
1月1日四方拝・歳旦祭、1月3日元始祭、1月4日奏事祭、2月17日祈年祭、6月30日節折(よおり)、大祓、10月17日神嘗祭、11月23日新嘗祭、12月31日節折、大祓などです。

このように陰陽道を起源とする我が国の伝統文化は数多く存在し、また仏教やキリスト教などの影響を受け、現代でも形を変えつつ、日本の伝統文化に溶け込んでいっています。
陰陽道が無ければ、日本の伝統文化は何も存在し無いと言っても過言ではないでしょう。
 
これらの陰陽道を起源とした様々な行事は、すべて罪や穢れを祓うための行事なのです。
神道の根本である禊祓いは神道の専売特許のように思われていますが、これは陰陽道の方術による祓いの形が原型にあるものです。

陰陽寮は明治3年に明治天皇の意向により廃止されてしまったことで、元々陰陽師の仕事であった出張祭典やご祈願が神社の神職や寺の僧侶などに移行してしまいました。

そもそも神社の神職の仕事は、神社に鎮座している祭神を鄭重にお祀り申し上げ、ご奉仕することが仕事でありました。
祭神に願い事を取り次いだりする御祈願や、場所を移動して神籬に神霊を招魂し、願い事を取り次いだりする、所謂地鎮祭や上棟祭などに代表される出張祭典の類は出来ませんでした。

ましてや基本的に葬儀を執り行うと言う「死」の「穢れ」にまみれた寺の僧侶が神事を執り行うなど、有り得ない事なのです。
現代に於いては時代の流れで神職が神葬祭などを執行することもありますが、そもそも神道に於いて、「死」は最大の「穢れ」であり、祭神にご奉仕する立場の神職が「死」を扱う葬儀を執行するなどと言うことはあってはならないことだったので、「穢れ」という葬儀はすべて寺の僧侶が請け負っていたのです。

このことから考えても、「死」の「穢れ」を祓うことが出来るのは陰陽師だけであると言えるでしょう。
陰陽道の祭祀によって死後の世界も動かす事ができるのであって、神職や僧侶などによって死後の世界に踏み込む事はできないのです。
彼らはそのような能力や方術を持ち合わせていないのです。
 
当会では陰陽頭・舊事希軍によって、平安時代に隆盛を誇った陰陽道を現代に蘇らせ、様々な方術を執り行っています。