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時局噺

2013年11月24日 (日)

新嘗祭の本義

1123日は戦後、勤労感謝の日とされ、

其の本義を知る人が少なくなってしまいました。

勤労感謝の日とは、元々は宮中祭祀の一つである新嘗祭の祭日でした。

 

しかし、新嘗祭とは一体如何なるものなのかを国民の多くは知りません。

 

大方の国民は新嘗祭=収穫感謝祭との理解をしているようですが、

実はもっと壮大な祭儀であることを理解して頂きたいと思います。

 

1123日、宮中をはじめ全国津々浦々の神社で新嘗祭が斎行されています。

 

天皇陛下は宮中でこの年の新穀を

皇祖神天照大神をはじめ天神地祇に献じて収穫を感謝され、

神々と共食する新嘗祭を御親祭されます。

 

新嘗祭は春の豊作を祈る祈年祭(としごいのまつり)に対応する

最も重要な祭儀です。

宮中祭祀の中でも古代から連綿と継承されてきた唯一の祭祀とされています。

 

斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅

「吾が高天原に所御す斎庭の穂を以て、亦吾が児に御せまつるべし」

 

Photo

古代から全国の稲米の作られる所では全て新穀のお祭りが行われてきました。

日本人は稲作の折目節目に神々をお祭りし、米作りを行ってきたのです。

一般にあっては其の神々に感謝する最も重要なお祭りが新嘗祭です。

 

7世紀の天武天皇の時代まで毎年の新嘗祭も大嘗祭と呼ばれるなどして

区別なく用いられていましたが、

天武二年(673)から、毎年の新嘗祭と区別して、

即位に伴う一代一度の大嘗祭のみを「大嘗祭・践祚大嘗祭」と呼ぶようになりました。

 

宮中では新嘗祭に先立ち、前日の22日夜、

鎮魂祭が綾綺(りょうき)殿にて執り行われます。

 

鎮魂祭(ちんこんさい、みたましずめのまつり)とは、

宮中で新嘗祭の前日に天皇の鎮魂を行う祭儀です。

鎮魂祭では天皇の「鎮魂・みたましずめ」「魂振・みたまふり」の秘儀が執り行われます。

 

鎮魂祭はかつては旧暦11月の2度目の寅の日に行われていました。

この日は太陽の活力が最も弱くなる冬至の時期であり、

また一年間、御稜威を垂れ給いた天皇の霊威は冬が近付くにつれて

冬の陽光の様に衰えてきます。

鎮魂祭は活力が衰える事で肉体から遊離しようとする魂を招き寄せ、

玉体深くに鎮めて、その霊威を復活させる秘儀です。

 

鎮魂祭は初代神武天皇の御時に

物部氏の祖、宇摩志麻治命(うましまじのみこと)が

十種神宝(とくさのかむだから)を以って、

天皇の鎮魂をしたのが始まりです。

 

この祭儀に天皇陛下のお出ましはありません。

この日は掌典職(しょうてんしょく 宮中祭祀を担当する部門)によって

綾綺殿(りょうきでん)に祭場を設けられ、

玉体の守護神である神々をお迎えして掌典長以下が祭儀を奉仕し、

ご神饌(しんせん・お供え)をお供えして鎮魂祭が執り行われます。

 

鎮魂祭は天皇の御玉緒(たまのお)に対する「鎮魂(みたましずめ)」と

御衣(おんぞ)に対する「魂振(みたまふり)」の秘儀が中心となっています。

 

「鎮魂」は玉体から遊離した天皇の御魂(みたま)を玉体に鎮め納める秘儀であり、

「魂振」は玉体に鎮め納められた御魂を振起して、

霊威を蘇らせ、復活させる秘儀であります。

 

鎮魂祭は大直日神(おおなおびのかみ)と

天皇守護の八神、神産日(かみむすびのかみ)・高御産日神(たかみむすびのかみ)・

玉積産日神(たまつめむすびのかみ)・生産日神(いくむすびのかみ)・

足産日神(たるむすびのかみ)・大宮売神(おおみやのめのかみ)・

御食津神(みけつかみ)・事代主神(ことしろぬしのかみ)をお奉りします。

 

鎮魂の儀では誓槽(うきふね)と呼ばれる箱を伏せ、

その上に女官が乗って桙(ほこ)で

槽の底を10回突く「誓槽の儀」が行われます。

これは神話岩戸の場面に於いて

天鈿女命(あめのうずめのみこと)が

槽に乗って舞ったという伝承に基づくとされています。

 

鎮魂の儀の後、柳筥(やないばこ)に納められた

天皇の御衣を左右に10回振る魂振の儀が行われます。

これは饒速日命(にぎはやひのみこと)が天津神より下された

十種神宝(とくさのかむだから)を用いた秘儀に由来します。

 

鎮魂祭は鎮魂と魂振によって

翌日の新嘗祭(又は大嘗祭)と云う重要な祭儀に臨まれるにあたり

天皇の霊威・活力を最高度に高める為に執り行わるという意味合いもあります。

 

新嘗祭は天皇が斎主(いわいぬし)となられて、

神嘉殿(しんかでん)にて御親祭になります。

 

神々にお供えする御神饌の主な物は

米と粟の御飯(おんいい・蒸し飯)・御粥(みかゆ・炊き飯)、

それに新米で醸した白酒(しろき)・黒酒(くろき)の御神酒です。

 

副食として、生魚四種・干魚四種・菓子(くだもの)四種・

その他汁着(しるづけ・煮付物)・熱羮(あつもの・吸い物)があります。

 

祭儀は庭燎(にわび)が燃える浄闇(じょうあん)の中、

「夕(よい)の儀」(悠紀殿の儀)(午後6時)と

「暁(あけ)の儀」(主基殿の儀)(午後11時)の

2回に亘って斎行されます。

 

天皇は采女(うねめ)二人の介添えによって全ての祭儀を行われます。

お一人で本殿に進まれ、神座と相対して御座に正座され、

「お手水」の後、ご神饌を神々へ共進されます。

これを「神善御親供(しんぜんごしんぐ)」と言います。

 

古代そのままに竹折箸を用いて

柏の葉で作られた葉椀(くぼて)の中の御神饌を葉盤(ひらて)に盛り

約二時間近くかけて神々へ供えられます。

 

天皇は此の後拝礼して「御告文(おつげぶみ)」を奏上され

新穀の豊穣を感謝し、皇室・国家・国民の繁栄を祈願されます。

 

その後、新嘗祭の眼目である「御直会(おなおらい)」が始まります。

これは天皇が神々と共食される祭儀で、

先ず三度拍手の後「オオ」と唱えられ、

すこぶるご低頭されて頂戴されます。

 

最初に御飯を三箸食され、

次に同様の作法をされて白酒四度、黒酒四度、

その度に杯を換えられます。

 

天皇はこの神人共食の祭儀によって神々の霊と一体化し、

天皇の霊威、活力が力強く蘇り、再生するのです。

 

天皇の霊威、活力が蘇ることで国家の再生が為されると云う事なのです。

従って単なる収穫感謝の意味合いではなく

国家の再生を目的とした祭儀であることを考えるべきであります。

 

全ての祭儀が斎了するのは24日の午前1時を過ぎた頃です。

参考文献

「日本神道入門」 日本文芸社

 ウィキペディア 

2013年8月16日 (金)

戦後68年目  平成25年8月15日

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本年の終戦の日は、例年同様に靖国神社に於ける

畏れ多くも天皇陛下のご親拝並びに首相の参拝も無いまま過ぎ去りました。

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一方、千鳥が淵に於ける戦没者墓苑に於ける戦没者の方々を追悼する式典には

畏れ多くも天皇皇后両陛下並びに総理以下閣僚、ご遺族の方々の参列が為されたのであります。

現在毎年815日に挙行されている「全国戦没者追悼式」は、全国戦没者追悼式の実施に関する件として、昭和2748日に閣議決定されたことが始まりです。

その閣議決定されたことの中に、次の様にあります。

 

二 本式典の戦没者の範囲は、支那事変以降の戦争に因る死没者(戦災死者等を含み、軍人軍属に限らない。)とする。
 

三 本式典は、宗教的儀式を伴わないものとする。

 

「戦没者」の範囲を曖昧にすることで昭和殉難者が含まれているかどうかをわざと曖昧にすることで、苦肉の策で昭和殉難者の方々をも慰霊してきたのではないかと考えますが、

いずれにしても宗教的儀式を伴わない慰霊祭など、全く無意味であります。

つまり、この式典に於ける「全国戦没者之霊」と墨書された白木の柱には何の意味も無いのです。

政府主催の式典にケチを付けるつもりはありませんが、招魂も何もされていない無機質な只の柱に過ぎません。

此処に戦後日本の抱える象徴があると思えてなりません。

只の象徴的存在に過ぎない白木の柱に何の意味があるのでしょうか。

恐らく、この白木の柱は厚生労働省の役人による製作物であり、式典後には、何の敬意も払われずにゴミとして処分される柱であります。

斯様な柱に、畏れ多くも天皇陛下がご親拝あそばされるのであります。

畏れ多くも天皇陛下がご親拝になられた、白木の柱と言う「戦没者の象徴」が、只の焼却処分になると言う現状を、ドウ受け止めるべきか、一国民として憂慮する次第であります。

昭和27年から続く、無機質で無意味な式典は、現在でこそ場所の特定が為されていませんが、かつての自民党が与党時代に超党派で議連が立ち上げあられ、民主党政権下で特に声高に設立が叫ばれた、特定の宗教によらない全国戦没者追悼式の常設版である国立追悼施設設立に向けての布石に外なりません。

東京大学名誉教授の小堀桂一郎氏は「靖國神社と日本人(PHP新書)」の中で次のように述べています。

「・・・それが招魂の祠であって、〈元の天〉に帰った霊魂は子孫の招きによってここに降りて祭を受ける。〈もし偽りを以て祭らば神(かみ)是(これ)を請(う)けんや〉であって、この祭り方は神祭の礼式に則った正しいものでなくてはならない。〈神は非礼を享けたまはず〉である。」

 

つまり、御霊をお祀りする時には神式の作法に則った恭しいものでなければならないと言うことです。

我が国には明治天皇の思し召しによって創建された、国の為に散華された英霊をお祀りする為の靖国神社がすぐ隣にあるにも拘らず、占領基本法である日本国憲法で定められた「政教分離原則」によって、英霊に対する顕彰さえままならない状況に置かれているのです。

 

日本が真に独立する第一歩は、畏れ多くも天皇陛下におかせられましては、このような無機質・無意味な慰霊祭ではなく、真に英霊が鎮まります靖国神社に御親拝頂くことであり、首相はじめ閣僚、全国会議員が参拝する事が当たり前になることでありましょう。

無宗教の慰霊祭など止めて、真に戦没者の御霊を慰霊する事が出来る、靖國神社の慰霊祭を国で行う祭祀にするべきなのです。

 

そして天皇皇后両陛下のご親拝を仰ぎ、首相はじめ全ての閣僚が公式参拝し、国民挙げて慰霊することが、真の戦没者慰霊祭となるのです。

 

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ところでほとんど知られていませんが、靖國神社の境内には「鎮霊社」と言うお社があります。

鎮霊舎は靖国神社の境内、元宮の隣にあります。

昭和407月にご創建され、毎年713日に例祭が執り行われています。

この御社には幕末の嘉永6年以降、戦争・事変にかかわって戦没したものの、本殿にお祀りされていない日本人の御霊と、同時期以降の世界の戦争・事変にかかわって戦没した全世界各国すべての戦没者の御霊をお祀りしています。

この中には、慶応4年の戊辰の役で官軍に敗れ、会津若松の飯盛山で自決した会津藩白虎隊の少年隊員や、明治10年の西南の役で自決した西郷隆盛ら、所謂朝敵とされた方々も含まれています。

諸外国の人々では湾岸戦争や最近のヨーロッパ・ユーゴのコソボ自治州での紛争の犠牲者など全戦没者が含まれます。

つまり先の大戦で亡くなった非戦闘員の方々も、また明治と云う時代を迎える際に、朝敵となってしまわれた方々もすべて招魂されて、靖國神社にお祀りされているということなのです。

ところで、陰陽道では人間は魂(こん)と魄(はく)との二つから成ると観念しています。

そして魂は陽の気で精神を司るもの、魄は陰の気で肉体と五感を司るものとされ、人が死ぬと魂は天に帰り、魄(肉体、骨)は地に帰るのです。

ですから神社でお祀りするのは魂であり、お墓でお祭りするのは魄と言う事になります。

靖國神社をお墓のように考えている人が希にいますが、そこにお祀りしているのは「英霊」と言う魂であり、魄の方はご遺族がそれぞれの先祖代々のお墓でお祭りされています。

そして魂は天に帰るのですから、「神」としてお祀りすることができるのです。

また魂は招魂と言う祭儀を行う事でお祀り出来るので、魄の部分は不要なのです。

逆に魄は地に帰るものであり、「死」の穢れそのものなので、魂と一緒にすることは出来ません。

ちなみに神社で葬儀を行わないのは穢れを持ち込むことが出来ないからです。

さらに魄を祭るお墓は、子孫が絶えてしまえば消えてなくなってしまう可能性がありますが、神社によって魂をお祀りすることで、地域の共同体などによって永遠にお祀りし続けることが可能になります。

日本人は古来から、英雄でも不遇の死を遂げた人でも、その御霊を神社を創建して神式でお祀りすることで、永遠に国の守りとしてお働き頂ける様にしてきたのです。

靖国神社の英霊は『醜の御楯』(しこのみたて・天皇の楯となって 外敵を防ぐ者)となり、散華されても尚、諸外国から日本を護り続けて下さっている事を、子孫である私達は決して忘れてはならないのです。

2013年1月15日 (火)

安倍総理による靖国参拝について  平成25年1月15日

天皇陛下のご親拝は昭和501121日を最後に途絶えており、また首相の参拝は昭和60815日から小泉首相が平成13813日に参拝するまで途絶え、その後も近隣諸国からの内政干渉により、首相参拝が困難な状況が現在まで続いています。

しかしながら現在に於いても、例大祭の勅使参向と内廷以外の皇族の参拝は行われています。

つまり陛下が勅使を差し向けると言う事は、ご親拝と同等の大御心と同じであると拝察するものであります。

ところで首相の靖国参拝が困難になったことのきっかけは、中曽根元首相による近隣諸国を慮る誤った配慮によるものです。

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ウィキペディアによると、次のように記されています。

・・・・・・

中曽根は1985年(昭和60年)815日以後は参拝をしていないが、これは訴訟を理由とするものではなく、翌1986年(昭和61年)の終戦記念日前日の814日の官房長官談話によれば、公式参拝が日本による戦争の惨禍を蒙った近隣諸国民の日本に対する不信を招くためとしている。中曽根は後に、自身の靖国参拝により中国共産党内の政争で胡耀邦総書記の進退に影響が出そうだという示唆があり、「胡耀邦さんと私とは非常に仲が良かった。」、「それで胡耀邦さんを守らなければいけないと思った。」と述べている

・・・・・・

第一次安倍内閣に於いて、安倍総理は靖国神社への参拝を曖昧にしたまま、ついに総理就任中参拝することなく、退陣に追い込まれてしまった事は痛恨の極みでありました。

そしてこの度、満を持して第二次安倍内閣が誕生し、早期の内に靖国参拝を期待する保守の声は止みません。

総理就任後直ちに参拝するべきとの考えがあることは理解できますが、安倍首相に近い方面から漏れ聞いたところによりますと「安倍首相が突発的に参拝をして英雄になるのは簡単であるが真の目的は、常に誰が首相になっても参拝できる状況を築き上げる、そして、最終的には天皇陛下にご親拝戴ける様に道筋を付けたい」との趣旨であるとの事であります。
つまり首相の靖国参拝は突発的に参拝する事は誰でも出来、またそうすることで英雄の如き扱いを受けるのでありますが、それでは真の解決には繋がりません。

今後、続くであろう後の総理そして天皇陛下におかせられましても、何の憂いも無くご親拝頂けることが最も肝要なことであり、その為に安倍総理なりに時期を見計らっているのであるとのことであります。

安倍内閣が組閣されて間もないにも拘らず、靖国参拝を持ち出して直ちに参拝しないことを以て安倍首相が腰砕けになったかのような論調を論ずるのは、敵の策に乗ずるものであります。

また逆を言えば、保守の振りをした工作員が、この旨を以て安倍批判を展開しているに過ぎないのであります。

真の保守であるならば、今後未来永劫靖国神社へ畏くも天皇陛下にご親拝戴くこと、また首相並びに全閣僚が正式参拝する道筋をつける事に協力し、実現していくことが最も重要であろうと考える次第です。

靖国神社へ参拝したかどうかが政治問題になる様な時代に終止符を打たなければなりません。

2012年3月11日 (日)

平成24年3月11日 東日本大震災発災一周年に寄せての声明

昨年の3月11日14時46分、我が国は未曾有の大震災を経験しました。

幾万もの国民の生命が一瞬にして奪われ
被災民の多くは、家族を失い、家を失い、そして生業を失ったのであります。

加えて、翌日若しくは翌々日には福島第一原発に於ける
電源消失に伴い、冷却機能が停止したことでの
圧力容器破損事故・放射能拡散へと悲劇は続きました。

その後の被災地での復興作業は、残念ながら無能なる民主党政権による
相次ぐ失策によって、或いは故意に全く進んでいません。

進むどころか、今も尚瓦礫の撤去も為されないまま放置され
その受け入れ先もまだ決まっていないのであります。

震災後一年で34万人もの国民が非難し続けており
その多くは、職に就く事も出来ずにいます。

そもそも此の大震災が発災した原因は
治世の乱れによるところ大であり、治世の乱れによって穢れが生じ
その穢れの具現化されたかたちが、天譴と言う大震災でありました。

コノ治世の乱れを生みだしたのは、私達日本人ひとりひとりであります。

「政権交代」「国民の生活第一」「子ども手当」・・・などに騙され
公を忘れ私に走ると言う多くの国民によって
民主党に政権を明け渡してしまったのですから
天の戒めである天譴を重く受け止めて、國體を護れとの
天と大地の声を真摯に受け止め多くの犠牲になられた方々の
魂の為にもこの日本を見事に立ち返らせ世界に輝く
神国日本の姿を取り戻していくべく
残された私達は、全身全霊で邁進して行かなければなりません。

また、甚大なる震災被害と原発事故との教訓を活かし
更なる技術革新を成し遂げて、日本の復古再生の道筋をつけて
未来の子子孫孫らに栄えある明るい日本を残していく必要があるのであります。

犠牲になられた御霊の安からむことを願って・・・。

2011年6月17日 (金)

難局打開の秋(とき)来る  日本国民としての自覚

我が国は戦後、GHQにより民主主義の名の下に、自由主義或いは個人主義がもたらされた。国利民福の精神が強く人々の心を支配してゐた間は、個人の積極的な経済活動は著しく国富の増進に寄与してゐた。

ところがその後、自由主義・個人主義なる思想の普及と共に、経済活動に於いて利己主義が公然と正当化されるようになった。この傾向は経済活動に留まらず、左翼思想と一体となって政治、道徳、教育その他百般の文化に影響を与え、國體破壊を以て理想的社会を実現し得ると考えると云う妄想を生ぜしめたのである。

元来、内閣総理大臣以下閣僚は二千六百有余年の歴史と文化を護り、後世に引き継ぐ責任と義務が課せられており、天皇陛下より陛下の赤子(せきし)である国民の生命と財産をお預かりしてゐる身である、と云う事を忘れてはならない。

そして国会議員及び地方の首長並びに地方議員にあっても、その役割は陛下の赤子をお預かりしてゐると云う事であり、その責任は重大なものであることを自覚せねばならない。

また国民一人一人にあっては、有史以来の祖先から引き継がれてきた遺風と歴史を、後世に引き継ぐ責務があるのである。

しかしながら近年の国会議員をはじめ地方議員、官僚、国民も含めて、天皇陛下の臣民であると云う自覚が無い為に公を忘れて私心に囚われてゐる。

今般発災した東日本大震災によって、幾万もの尊い国民の命が奪われ、家族或いは家屋を失い、更に誤った政治判断の結果、福島第一原発の甚大なる事故を招き、多くの同胞(はらから)の生活を奪った。

本来であれば被曝を避けるべく、迅速なる非難を以て対処せねばならぬところ、無能無策なる政策の下、多くの福島県民の家屋、財産、生業、犬猫などの愛玩動物並びに馬、牛、豚などの家畜の避難すらままならなかった。

更に福島第一原発周辺に於ける地震、津波による犠牲者のご遺体の収容も為されておらず、それらは腐敗、白骨化しており、身元の判明もつかぬまま今も尚、放置されたままである。

更に被災地では十分な支援物資が届かなかったことによって餓死者が出るなど、凡そ平成の近代国家とは思えない状(さま)を呈してゐる。

今、我が国に於ける政府の機能は全く果たされてゐないのである。

ところが内閣総理大臣以下全閣僚、そして国会議員、地方議員更には国民にあっても、この異常事態に終止符を打とうとする者は誰もおらないのである。

さらに今、我が国は支那・朝鮮・露西亜の三国より領土は侵され、将に侵略されむとしており、有史以来未曽有の国難にあると云う自覚を多くの国民は全く理解しておらないのである。

我が国は有史以来、二六七一年の伝統文化を有する世界最古の皇室を戴く民族であると云う自覚の下に、今こそ一億国民は総決起して、この国難突破に全力で当たらねばならないのである。

明治維新以来、近代国家を進めてきた我が国ではあるが、それは我々の祖先が、支那、露西亜、米、英を相手取り、幾万もの英霊の血を流した結果が、今現在の日本の礎となっておることを決して忘れてはならないのである。

総理及び全閣僚は靖國神社に参拝し、我が国を防衛する為に進んで散華された英霊方のお蔭で今の日本がある事を感謝すべきなのである。ヘラヘラしてゐる場合ではない。

そして内閣総理大臣は、祖先から受け継がれてきた国土、伝統文化、天皇陛下の赤子である国民を護る重大な責任があるのである。

更には大震災で犠牲になられた多くの国民の無念と地震、津波によって引き起こされた原発事故を乗り越えて、日本の未来に向けて勇気をもって進んでいく責任があるのである。

単に原発を廃止或いは推進すると云う論ではない。今般の事故を引き起こしたあらゆる原因を徹底的に究明することなく、次なるエネルギー政策と称して再生可能エネルギーを開発しようとも、所詮何らかの欠陥が生じ、別の問題が浮上してくることは明らかである。

しかしながら震災発災後、三か月を経た今でも、被災地の復興の目途も立たず、瓦礫の処理さえ滞っており、避難住民に十分な義捐金が届かない為、避難場所から出られず仮設住宅に入ることも出来ずにゐるのである。

国民は今の菅内閣を一体いつまで放置しておくのか。

このような無能極まる内閣の存在を許してゐる国民もまた同罪である。

内閣総理大臣は不祥事、天災が起きた時、自らの政(まつりごと)に誤りがあった事によって引き起こされたことであり、天皇陛下に対して申し訳が立たないと共に国民に対しても済まぬと云う自覚を持つべきである。

そして速やかに責任をとって職を辞すべきなのである。

また同様に国会議員全員にあっても、自らが至らないばかりに起きた事であると云う自覚を持つべきである。

議員は党利党略で政を行う事を即刻止めよ。

党利党略がある限り、国難突破は成されないのである。

議員が政に重大な責任を持つと同様に、国民もまた議員を選出する時には、真剣に選ぶ責任があるのである。

議員たちは先人たちの遺業に恥じることの無いよう自らの職責を全うせしめ、国民に範を示し、政に当たらねばならないのである。

国民は自らが選んだ議員が一体何をしてゐるのかを、よく監視すべきである。

そして国民もまた先人たちに恥じることの無きよう、自らの生業に励むべきなのである。

初代神武天皇より歴代天皇は、国民を元元(おほみたから・大御宝)と慈しまれて、常に民安かれ、国安かれと祈ってこられた。

国民は天皇を親のように慕い、天皇と国民は親子のような家族的な感情で結ばれ、日本国民は一大家族のような関係を築いてきたのである。

国民の身の上を案ずるのは天皇の職務であり、本来総理大臣以下閣僚は天皇を補佐して政を統括する役職である筈だ。

内閣総理大臣以下全閣僚、国会議員、地方議員は、天皇陛下及び皇祖皇宗そして国民に対して、今の国難を招いたことに申し訳が立たぬと云う自覚を持つべきである。

そしてあくまでも陛下の臣下の者として、国益の追求と国民を護るべく職務に当たるべきである。

その自覚が無いことによって公を忘れ、私心に走り、党利党略に明け暮れ、己の保身にのみ邁進しておるのである。

顧みれば我が国は万国広しと雖も、世界に比類なき使命国である。

使命とは即ち天から来るものであり、故に天に属さざる者は使命を有する事は無い。同時に使命無き民、使命無き国は亡民、亡国である。

世の中には人であれ国であれ畏れ無きままに、恰も自らに使命があるかの如きを口にする事があるが慎むべきことである。

使命国とは精神、教育、文化、政治、経済、凡てに於いて世界を牽引する使命を持った国であると云う事である。

しかしながら我が国は、戦後レジームの中でこの使命を放棄し、経済活動のみに邁進し、そのえげつなさを享受し続けたのである。

今こそ、戦後レジームの総括の秋(とき)である。

我が国本来の使命に立ち返り、凡てに於いて世界に貢献し、世界人類に範を示す責務があるのである。

一億国民もこの内外の未曽有の国難に断固立ち向かい、日本国民としての使命を自覚せねばならぬ秋が来たのである。

今般の災禍が起きた事は、偏に私の不徳の致すところであり、私の責任であること大なり。

私が至らぬばかりに支那・朝鮮の傀儡政党である民主党による政権交代が起き、鳩山・菅内閣が成立したことで未曽有の天譴災異を招き、一億国民同胞(はらから)に対して慙愧の念に耐えず、また支那・朝鮮・露西亜による我が国への領土侵略と云う有史以来の危機を迎えてゐることにあっては、皇祖皇宗と祖先に対し、この場を借りて深くお詫び申し上げる次第である。

嗚呼、この悲涙君知るや。

この国難を何としても突破せねば、皇祖皇宗に対しても国民に対しても、済まぬでは済まぬのである。

我々一億国民は三月十六日に渙発された、平成の玉音放送(平成の詔勅)によって、陛下の優渥なる大御心に応える様、万難を排し、この難局を打開せねばならないのである。

私はその自覚を新たにし、皇祖皇宗並びに有史以来の祖先に対して、国難突破に全力で当たる事をお誓い申し上げる次第である。

                                       陰陽頭 舊事希軍

2671年3月16日 東北地方太平洋沖地震発災を受けての天皇陛下の詔勅(全文)

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2011年6月 1日 (水)

今こそ自民党谷垣総裁は決断せよ!  平成23年6月1日

今週末の6月3日、自民党・公明党両党が政府に対して不信任案を提出する可能性が高くなって来ました。

谷垣総裁は優柔不断な態度を繰り返し、この一か月、不信任案を出すのか出さないのか、曖昧な態度を取り続けました。

しかしながら菅政権の震災対応は次々とほころびを見せ、最早菅政権が一日でも長く続けばそれだけ復興も後手後手になるとまで言われ、「真の復興は先ず菅政権打倒から」と言うスローガンで保守系の議員らを集めて決起集会まで開催された次第です。

ところで谷垣総裁が不信任案を提出するかどうかを思案している様を見て、公明党は業を煮やしてせっついている有様です。

公明党は単に与党に返り咲く為には民主党と連立を組んでも埒が明かないとさっさと見切りをつけ、前の友党の自民党に抱き着いてきたのでしょうけれども、谷垣総裁は此の期に及んで公明党に不信任案提出のハッパをかけられ、公明党との信頼関係を無くすことなどを恐れるなどとは、菅直人が首相に相応しくない以上に、谷垣氏が自民党の総裁であることの方がより一層相応しくないと言えます。

自民党の結党の理念「自主憲法」「自主国防」「自主外交」の三本の柱は、今や雲散霧消して、自民党が保守政党であるのかどうかすら分からない状況まで陥ってしまっています。

そもそも民主党への政権交代が起きた理由が、民主党と自民党の違いが国民にははっきりとは分からなかったからだと言う事を、今の自民党議員の方々は理解しているのでしょうか。

また民主党と同じく支那、南朝鮮に朝貢外交政策を採る公明党とまたぞろくっつこうとする自民党を国民が支持すると考えているのでしょうか。

菅政権打倒の為にとりあえず公明党と手を組むことは致し方ないとしても、その後の自民党の在り様をしっかりと国民に分かるように示すことがなく、また単純に数の論理なる政局で公明党と連立を組むようなことになれば、未来永劫自民党は真の日本国民から見放されることになるのは明らかです。

今、我が国が支那、朝鮮の属国になりかけていると言う国家存亡の危機意識を、どれだけの保守系の議員が理解しているのか甚だ心もとない限りですが、少なくともこのまま菅政権が続けば、支那、朝鮮の属国になる事は時間の問題です。

この崖っぷちの危機を何とか方向転換する為には、先ずは不信任案を提出し、

権力にしがみつく菅直人を首相の座から引きずり下ろすことしかありません。

その後は真の保守政権誕生に向けての準備を着々と進め、真の独立を果たしていくべく、政治家も国民も一丸となって、戦後66年間の反日左翼に支配され続けた空白の時間を取り戻していくことです。

日本復活の第一歩は、不信任案提出、そして菅直人に首相を辞めてもらう事からです。

その後の自民党が保守政党として出直すのか、それとも相変わらずリベラル左派でまとまろうとするのなら、その時は国を建て直す気概のある保守議員は、さっさと自民党に見切りをつけ、保守政党として新党を結党すべく立ち上がるしか、日本を護る事は出来ないと確信するものであります。

国民は見ています。

今こそ、自民党は決断する時であります。

2011年2月15日 (火)

救國の志士よ、参(ま)ひ来たれ  平成23年2月15日

保守の本質

言論や頭の中で「日本はこのままでは駄目になる」と言ったり、考えたりしている人々は山のようにいます。

しかしながら本気で「日本を再建しよう」と考えている人はどれだけいるのでしょうか。

既存の保守を自称している言論人や団体は「日本はこのままでは駄目になる」とか「支那に乗っ取られてしまう」と言う事をネタにして、地位や名声を得ることに腐心したり、保守の人々を食い物にしています。

彼らは本気で日本を変えようと思っているのではなく、自らの運動に酔いしれて自己満足しているだけなのです。

デモ・街宣活動の問題点

最近のあからさまなNHKの売国的な放送内容や民主党の売国的な政治によって、多くの日本人が日本の危機的状況に目覚めつつある中、保守系の団体の呼び掛けに応じてNHK解体、打倒民主党、亡国法案阻止などの街宣・デモ活動や集会、講演会に参加して、保守の人々の気運を高める機会は飛躍的に増大しました。

特に昨年9月の尖閣問題を機に支那の侵略を許さないとする国民運動には数千人規模の目覚めた人々が参集しました。

このようなデモや街宣によって集まった人々は回数を重ねるごとに増えてはいますが、これらの新たに増えた人々は、今まで保守的な考えを持ってはいても、外に出てまで国民運動に参加しなかった人々であると言えるでしょう。

例えば日の丸や君が代に対して好意的であり、特に祝日に国旗を掲揚しなくても、侮蔑的な扱いをすることもありえないような人々です。

また日本の未来に対して多少なりとも今のままでは不安を感じており、尖閣問題が起きた時には、当然のごとく領土侵犯であるとして支那に対して怒りを感じる人々です。

だからこそ、尖閣問題を取り上げたデモに、数千人もの家族連れの日本人が集まったと考えられるのです。

ところが尖閣問題のような支那の領土侵犯に対してさえ興味を示すことの無い、所謂リベラルな思想の人々は、いまだに我が国が亡国の危機にあることを理解できず、反日マスコミのプロパガンダによって、支那が日本を豊かにしてくれると思い込み、支那人観光客を呼び込もうと必死になっています。

しかし彼らもまた普通の日本人であり、反日ではない潜在的に保守であると言えるのです。

つまり彼らは戦後の日教組教育や反日マスコミの反日プロパガンダを真実であると信じ込み、一向にその呪縛から解き放たれることのない人々です。

彼らは反日勢力に利用されている人々であり、彼らとて日本が支那の属国になれば良いなどと考えているわけではないでしょう。

潜在的保守の発掘

今、我々保守が最もやらねばならない重要なことは、我々保守の言論を一人でも多くのリベラルな国民へ正しく伝え、私たちの仲間を増やすことであります。

デモや街宣活動は支那、朝鮮、露西亜などの敵を威圧したり、売国法案阻止の為に政府に対する抗議としては最も有効な手段であると考えますが、残念ながらリベラルな国民に今の現状を認識してもらい、新たな同胞を増やすための手段とはなりえません。

つまりデモや街宣活動を繰り返してもリベラルな国民の心を動かすことは出来ないのです。

彼らを惹きつけ、心を動かす原動力となる活動の方法を考えなければいけません。

今更、皇室、英霊、日本人の美徳について語っても、リベラルな国民は興味を抱くことはないでしょう。

現在の保守の言論人が語ることに惹きつけられているのは、日本の現状を憂いている人だけなのです。

その他のリベラルな国民に今後、どう訴えていくかが大きな問題であります。

この課題をどう解決するかが、我が国存亡の危機を脱する最大の鍵であります。

反日勢力の狡猾

反日勢力そして日本侵略を企てる支那勢力は、現在の保守が及びもつかないほど狡猾です。例えば、あの反日極左であり売国奴であった院展の平山郁夫は、一貫してシルクロードシリーズを描き続けました。

それは一見イデオロギーなど存在しないように思われる芸術を通して、巧妙に支那のプロパガンダを大衆に扇動し続けたのです。

つまり支那が虐殺を繰り返し、人権を無視して侵略したチベットやウィグルを、美化した「シルクロード」と言う言葉の魔法で覆い隠し、支那の風景や仏像として描き、そして支那のシルクロードを通じて日本にあらゆる文物、文明が伝来したかのように芸術を通して日本国民に洗脳したのです。

さらに平山自身が広島での被爆者であると言う事も売りにして、芸術を通して「反戦平和」なるものを訴えてきました。

平山郁夫は二重に売国をしてきた人物と言えるのです。

このように反日勢力は文化人などを利用してイデオロギーとしての政治的な問題を芸術や文化と言う、一見すると美しいもので良いものあるかのような見せかけによって、支那の侵略の手引きの一翼を担わせているのです。

最近では反日マスコミが韓流と称して、韓国ドラマや韓国芸能をメディアが異常なまでの過熱した報道を繰り返すことも全く同様の理由です。

リベラルな国民に保守の仲間となってもらうためには、同様に文化面や芸術面などソフトパワーで積極的に訴えていくことが効果的であります。

イデオロギーを正面に打ち出しても、逆に敬遠されることの方が多く、心を惹きつけることは難しいからです。

日本復古の鍵

日本復古とは「神代に帰る」ことを指し、つまり天照大御神と高御産巣日神がお示しになられた五つのご神勅に基づいて生きていく事にほかなりません。
成すべきことは、國體の基本である五大神勅の踏襲です。

第一、「天壌無窮の神勅」

日本の国は天照大御神の直系の子孫たる万世一系の天皇が統治されるべき国であると言うことをお示しになられました。

その為には「天皇に主権を奉還する」必要があります。

日本は神代の時代からご神勅に基づいて天皇によって統治されてきたのであり、国民の代表が統治すべき国ではありません。

戦後GHQの画策により、我が国は天皇による統治が不可能となってしまったことで、このご神勅を踏襲できなくなってしまいました。

その為、今日、日本は滅亡の危機を迎えていると言えるのです。

さらに戦後の宮家の廃絶や皇室に男子のご出生が極めて少ないと言うことから、皇統断絶の危機も迫っています。

男系男子の皇位継承を確実にして、天皇を支えるべき皇室の藩屏の再建を図るための解決策として、早急に旧皇族の皇籍復帰による皇統の安定を計る必要に迫られています。

第二、「宝鏡奉斎・同床共殿の神勅」

八咫鏡を常に天皇と共にし、お祀りしなさいとお示しになられました。

八咫鏡は第10代崇神天皇の時代、天照大神の神威の強さを畏れて宮中の外に祀ることにし、代わりに新たに形代が作られ、それを宮中でお祀りするようになりました。そして第11代垂仁天皇の時、高天原からもたらされた八咫鏡は現在の伊勢神宮に御奉斎されて現在に至っています。

つまり崇神天皇以来、八咫鏡の御分霊を宮中で御奉斎している事になります。

けれどもこれでは真にご神勅を踏襲しているとは言えません。

10代崇神天皇の御代に形代をお祀りするようになった後、第30代敏達天皇の時に排仏派で神道を奉じる物部氏と崇仏派の蘇我氏が対立し、第31代用明天皇の御代には崇仏派の蘇我氏が排仏派の物部氏を破った事で、その後仏教勢力が台頭していきました。

それまで日本は独自の文字としてアヒルクサ文字やホツマ文字などの神代文字を使用していましたが、仏教の普及と共に急速に漢字を普及させ、すべての文化が支那から輸入されたものであるかのように日本の古代史を改竄されてしまいました。

このように天皇家の根幹である神道が、外来の宗教である仏教によって退けられる事態になったことは、まさに同床共殿のご神勅の踏襲がなされていなかったことによるものと言えます。

さらに現代に至っては、天皇家を取り巻く人々に悉くキリスト教に関わる人達が多く、彼らによって天皇の宮中祭祀を蔑ろにされていると言う憂うべき状況から脱する為には、改めてご神勅を正しく踏襲して頂く必要があると考えます。

そこで現在伊勢神宮に祀られている、高天原からもたらされたとされる八咫鏡を宮中に御奉斎し、常に「同床共殿」にて天皇がお祀りされることで、天皇は天照大神の真の御神徳をお示しになることが可能になります。

ですから現在、宮中で御奉斎されている八咫鏡の御分霊を伊勢神宮で御奉斎すると言う、本来のあるべき姿に戻す事が必要と考えます。

第三、「斎庭の稲穂の神勅」
我が国民は米を以て主食とするようにとお示しになられました。

日本人の食生活は戦前までは米食が基本でしたが、戦後は世界中の料理が紹介され、あらゆる食材が輸入された事で、一般家庭においても世界中の料理が並ぶようになりました。

その結果、洋食中心の食生活になったことで米離れ→米余り→減反→農家の減少→自給率低下→食料大量輸入、と言う悪循環が起きてしまいました。

戦後、私達日本人が「米」を疎かにしてきた結果、自らの首を絞める事態を引き起こしてしまいました。

日本がこれからも飢えることなく生きていく為には、「米」は日本人にとって最も適した食であることを再認識し、この「斎庭の稲穂の神勅」をしっかりと踏襲するほかありあません。

その為には減反政策を直ちに廃止すると共に、農家に米作りを奨励し、日本人の主食は米であると言うことを国民に知らしめることが重要と考えます。

第四、「神籬磐境の神勅」
我が国民は敬神崇祖の念を怠る事の無いようにとお示しになられました。

敬神崇祖を復活させる事で、万世一系の天皇の弥栄を祈念して君臣一体の国柄を取り戻し、祖先をお祀りすることで先祖から引き継いできた祖国を大切に守ろうとする心を培うことが出来るでしょう。

第五、「侍殿防護の神勅」
国家の平和と国民の安全が危機に陥るような事があったら、それぞれの立場で覚悟を決めて力を尽くすようにとお示しになられました。

國體を護持する為に、先ず日本国憲法第九条を破棄し、国難に遭遇した際、自衛隊が日本国軍として動けるようにし、国防を推進する必要があります。

正しい歴史認識を持ち、誤った自虐史観(司馬史観、東京裁判史観、従軍慰安婦、南京大虐殺など)を一掃して、我が国は誇りある国であると自信を持って思えるようになれば、必然的に祖国を守る必要性を認識する事は出来るようになるでしょう。

古来、顧みれば、我が民族は天照大御神より賜りたる五つの御神勅を有するものであり、また万世一系の天皇を戴いている比類なき民族であります。

この天照大御神と高御産巣日神の五大神勅を正しく踏襲するならば、間違いなく我が国は恒久的に平和な国となり、また世界をも変える原動力へとなって行くことでしょう。

そして日本国民が五大神勅に基づいて生きる為には、初等教育において肇国神話を学ぶ必要があります。

世界のあらゆる国でその国の成り立ちを教えているにも拘らず、我が国の初等教育に於いてはほとんど日本の神話に触れる授業はありません。

このことは日本人と言うアイデンティティを失わせるための謀略であり、実際戦後の日本人は祖国意識をほとんど持たない、ただの人種としての日本人という意識しかありません。

また自国に対しての愛国心が薄れてしまっているせいで、諸外国から日本に対する非難を受けると、どこが悪いのかを検証することもなく、ひたすら謝るばかりです。

我が国の肇国神話を初等教育でしっかりと学び、天皇と国民との関係、日本が神国である所以など正しく理解することで、日本人としての本分を全うできるものと考えます。

浄明正直

今、日本が国家存亡の危機に瀕するまでに至った理由は、戦後我が国がGHQによる穢れ、つまり東京裁判史観をはじめとする自虐史観を受け入れたことで、ほとんどの国民は枉津日(まがつひ・ケガレ)の状態にありからです。

その穢れのために正しい判断が出来なくなっているのです。

日本復古の為には、先ず戦後の穢れを祓い、自虐史観を払拭しなければなりません。

陰陽道にはこの枉津日の状態を祓う方術があります。

方術によって穢れを祓い、日本復古の一翼を担おうではありませんか。

消え行く日本を見届けるのが我々の本分ではなく、消え行く日本の中で、一つでも二つでも日本を遺すことこそ我々の本分なのであります。

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救國の志士よ、舊事希軍の下に参ひ来たれ!

共に日本復古の為に己の本分を尽くそうではありませんか!

たちあがれ日本人!

2010年11月26日 (金)

没後四十年 三島由紀夫氏追悼会 憂国忌 平成22年11月25日

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「果しえていない約束」 三島由紀夫
 私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。
このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。
日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。
それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。
(昭和45年7月7日「サンケイ新聞」から抄録)

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            会場入り口に飾られた三島由紀夫大人命と森田必勝大人命の遺影と霊璽

没後四十年 三島由紀夫氏追悼会「憂国忌」プログラム

午後四時開場    BGM ワグナー「トリスタンとイゾルデ」
             三島由紀夫の演説(事件当日)

午後五時 開会の辞

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第一部  鎮魂祭・式次第(斎主 高山亨・乃木神社宮司 祭員 乃木神社神職 伶人 乃木雅楽会)

先 修祓の儀
次 招魂の儀
次 献饌の儀
次 斎主祭詞奏上
次 祭主追悼文奉読(松本徹 三島由紀夫文学館館長)
次 辞世吟詠     (横山精真 岳精流宗家。尺八 奥本林山)
次 玉串奉奠     (出席発起人 最後に参加者全員起立)
次 撤饌の儀
次 昇魂の儀
次 退下

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第二部 シンポジウム「あれから四十年、日本はどこまで堕落するのか」

パネリスト  井尻千男・遠藤浩一・桶谷秀昭・西尾幹二 
        (司会)宮崎正弘

閉会の辞 三輪和雄

「海ゆかば」合唱

三島由紀夫辞世     
益荒男が たばさむ太刀の 鞘鳴りに 幾とせ耐へて 今日の初霜

散るをいとふ 世にも人にも 先駆けて 散るこそ花と 吹く小夜嵐

森田必勝辞世
今日にかけて かねて誓ひし 我が胸の 思ひを知るは 野分のみかは

われわれ楯の会は、自衛隊によつて育てられ、いわば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。その恩義に報いるに、このやうな忘恩的行為に出たのは何故であるか。かへりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官としての待遇を受け、一片の打算もない教育を受け又われわれも心から自衛隊を愛し、もはや隊の柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後つひに知らなかつた男の涙を知つた。

 ここで流した我々の汗は純一であり、憂国の精神を相共にする同志として共に富士の原野を馳駆した。このことには一点の疑ひもない。われわれにとつて自衛隊は故郷であり、生ぬるい現代日本で凛烈の気を呼吸できる唯一の場所であつた。教官、助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。しかもなほ、敢てこの挙に出たのは何故であるか。たとえ強弁と云はれようとも、自衛隊を愛するが故であると私は断言する。

 

 われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずにして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。

 

 政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力慾、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見てゐなければならなかつた。

 われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されてゐるのを見た。しかも法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によつてごまかされ、軍の名前を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因をなして来てゐるのを見た。

 

 もつとも名誉を重んずべき軍が、もつとも悪質な欺瞞の下に放置されて来たのである。自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負いつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与へられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与へられず、その忠誠の対象も明確にされなかつた。

 われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤つた。自衛隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。自衛隊が自ら目ざめることはなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によつて、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽くすこと以上に大いなる責務はない、と信じた。

 

 四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には楯の会を結成した。楯の会の根本理念は、ひとへに自衛隊が目ざめる時、自衛隊を国軍、名誉ある国軍とするために、命を捨てようといふ決心にあつた。憲法改正がもはや議会制度下ではむずかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動の前衛となつて命を捨て、国軍の礎石たらんとした。国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。

 政体を警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によつて国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであらう。日本の軍隊の建軍の本義とは、「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しないのである。国のねぢ曲がつた大本を正すといふ使命のため、われわれは小数乍ら訓練を受け、挺身しようとしてゐたのである。

 

 しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起こつたか。総理訪米前の大詰といふべきこのデモは圧倒的な警察力の下に不発に終わつた。その状況を新宿で見て、私は「これで憲法は変わらない」と痛恨した。
 

 その日に何が起こつたか。政府は極左勢力の限界を見極め、戒厳令にも等しい警察の規制に対する一般民衆の反応を見極め、敢えて「憲法改正」といふ火中の栗を拾はずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである。治安出動は不要になつた。政府は政体維持のためには、何ら憲法と抵触しない警察力だけで乗り切る自身を得、国の根本問題に対して頬つかぶりをつづける自信を得た。

 これで、左派勢力には憲法護持の飴玉をしゃぶらせつづけ、名を捨てて実をとる方策を固め、自ら護憲を標榜することの利点を得たのである。名を捨てて、実をとる!政治家にとつてはそれでよからう。しかし自衛隊にとつては、致命傷であることに、政治家は気づかない筈はない。そこでふたたび、前にもまさる偽善と隠蔽、うれしがらせとごまかしがはじまつた。

 

 銘記せよ!
 

 実はこの昭和四十四年十月二十一日といふ日は、自衛隊にとつて悲劇の日だつた。創立以来二十年に亙つて、憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとつて、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正は政治的プログラムから除外され、相共に議會主義政黨を主張する自民党と共産党が、非議会主義的方法の可能性を晴れ晴れと払拭した日だつた。論理的に正に、その日を堺にして、それまで憲法の私生児であつた自衛隊は、「護憲の軍隊」として認知されたのである。
 これ以上のパラドックスがあらうか。

 

 われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。われわれが夢みてゐたやうに、もし自衛隊に武士の魂が残つてゐるならば、どうしてこの事態を黙視しえよう。自らを否定するものを守るとは、なんたる論理的矛盾であらう。男であれば男の矜りがどうしてこれを容認しえよう。我慢に我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば、決然起ち上るのが男であり武士である。われわれはひたすら耳をすました。

 

 しかし自衛隊のどこからも、「自らを否定する憲法を守れ」といふ屈辱的な命令に対する、男子の声はきこえては来なかつた。かくなる上は、自らの力を自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかつてゐるのに、自衛隊は声を奪はれたカナリヤのやうに黙つたままだつた。われわれは悲しみ、怒り、つひには憤激した。諸官は任務を与へられなければ何もできぬといふ。しかし諸官に与へられる任務は、悲しいかな、最終的には日本から来ないのだ。シヴィリアン・コントロールは民主的軍隊の本姿である、といふ。

 

 しかし英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである。日本のやうに人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。この上、政治家のうれしがらせにのり、より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を歩まうとする自衛隊は魂が腐つたのか。武士の魂はどこへ行つたのだ。

 魂の死んだ巨大な武器庫になつて、どこへ行かうとするのか。繊維交渉に当つては自民党を売国奴呼ばはりした繊維業者もあつたのに、国家百年の大計にかかはる核停条約は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約の再現であることが明らかであるにもかかはらず、抗議して腹を切るジェネラル一人、自衛隊からは出なかつた。

 

 沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か?
 アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年のうちに自主性を回復せねば、左派のいふ如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終わるであらう。

 われわれは四年待つた。最後の一年は熱烈に待つた。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。
 

 しかしあと三十分、最後の三十分待たう。
 共に起つて義のために共に死ぬのだ。

 

 日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまつた憲法に体をぶつけて死ぬ奴はゐないのか。

 

 もしゐれば、今からでも共に起ち、共に死なう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇へることを熱望するあまり、この挙に出たのである。

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本年は三島由紀夫烈士および森田必勝烈士の没後40年の年となりましたが、
奇しくもこの節目の年に我が国は、有史以来の国難の年となりました。

今や支那は我が国を併呑しようとしております。

三島由紀夫烈士の檄文を読むと、今我が国で起きている国難を将に予見していたのではないかと驚くところも多々あります。

三島由紀夫烈士がもし今生きていたならば、この惨劇を見て、どのような表現で嘆かれることでしょうか。

命を懸けて我が国の真の独立を絶叫して壮絶な死を遂げた両烈士に
恥じることのない国家再建を果たさなければ両烈士に対し
あの世で顔向けが出来ません。

是が非でもこの国を守り抜く決意を新たにする時が来たのであります。

2010年11月15日 (月)

時局噺

菅談話に関しての声明 平成22年8月

今夏の参議院選挙は天魔両軍の戦い 平成22年3月

田母神論文の正当性 平成21年2月

危険!ヨガ・瞑想 平成18年4月

天皇皇位継承問題 平成17年12月

菅談話に関しての声明 平成22年8月

今年は、日韓併合100年の節目の年であります。

間の悪い事にこの節目の年に支那・朝鮮の傀儡反日左翼政権である民主党が現在の政府であります。

昨年の衆議員選挙で自民党が大敗北した事で政権交代が起こり現政権が誕生したのであります。

この民主党政権は、国民の生活第一と謳っておりながら国益を全く無視した政策を推進しております。

彼等の真の目的は国家解体でありまして所謂、亡国・国家解体法案(外国人地方参政権法案、人権擁護法案、選択的夫婦別姓法案)の可決を試みようとしましたが、平成22年8月現在に於いては手を着ける事は出来ずにいます。

天佑神助の甲斐あってか、今夏の参議院選挙に於いて民主党が大敗北した事で暫くはこの法案は、影をひそめる見通しとなりましたが、今年の日韓併合100周年を受けて現菅内閣は、我が国にとって屈辱の日であります。

大東亜戦争終戦の日8月15日(朝鮮に於いては光復節・日本の統治から開放された日)に日韓併合100年謝罪談話を発表するとの事であります。

我が国が朝鮮を併合したのは、明治43年8月22日に日韓併合条約が調印され併合しました。

条約には、下記の通りの内容が明記されております。

第一条 韓国皇帝陛下は韓国全部に関する一切の統治権を完全且永久に日本国皇帝陛下に譲与す。

第二条 日本国皇帝陛下は前条に掲げたる譲与を受諾し且全然韓国を日本帝国に併合することを承諾す。
以下省略。

そして同年8月29日施行されました。

日韓が併合されてから昭和20年8月15日までの間我が国は、朝鮮総督府を設け朝鮮半島に於けるインフラ整備に全力で当りました。

道路網、鉄道網の整備、ダムの建設、港湾施設、炭鉱、治水、砂防、電力、ビル建設、都市整備、工業団地の整備、通信電信電話網の整備など多くのインフラ整備に我が国の国費を以て推進しました。

また食料自給率の向上の為に開墾や干拓し灌漑用水の整備にも力を入れました。
その結果、反あたりの米の生産量は3倍にも達し、日本に作物を輸出するほどにまでになりました。

そして、教育にも力を入れ小学校を5200校もつくり識字率が4パーセントと低かった朝鮮人にハングルを普及させ61パーセントまで向上させる事に成功しました。

その結果、朝鮮人のこれまでの平均寿命は24歳でしたが飛躍的に延び、2倍以上となり、朝鮮人の人口も倍増しました。

これらの目覚しい発展は、日本の統治つまり朝鮮総督府によって為されたものであります。

我が国は、朝鮮を併合しましたが他の白人国家のように搾取を繰り返すような侵略はしていないかったのであります。

マスコミや自虐史観を持った人達は、日韓併合で朝鮮を植民地支配したと云っていますが植民地ではなく統治していたのであります。

搾取目的の植民地支配であればインフラ整備や教育を施すでしょうか?
それどころか、我が国はご皇族である梨本宮方子女王殿下と李垠殿下がご成婚ないさいました。
(梨本宮方子女王殿下は、昭和天皇のお妃候補のお一人でありました。)

一体、何処の国に卑下したり植民地化した国にご皇族のような国家の大切な方を嫁がせる国がありましょう。

上記のような統治であったのが真実であります。
何一つ、恥じるような事はしてはいないのであります。

寧ろ、現在の朝鮮に於ける近代化は我が国の功績意外なにものでもないのであります。

民主党が主張している個人賠償に関しては、1965年の日韓基本条約で完全解決がなされているのであります。

それを蒸し返して、朝鮮人に対して謝罪しなければならないと言う事を基本とした談話を発表すれば、また我が国は多額の新たな補償をせびられることでしょう。

断固これに抗議し、阻止の為に全力で当たる必要があります。

日韓併合100年謝罪談話を阻止できなければ私達の血税が使われ、国民の大きな負担となることは明らかであります。

国家予算の減少が叫ばれる昨今、何故今ここで言われなき賠償を支払わなければならないのでしょうか?

民主党は朝鮮に善い顔をしたいだけなのであります。

この様な談話を断固反対することを声明いたします。