天皇の宮中祭祀と呼応する国民の家庭祭祀
我が国は古来より「神国」あるいは「神州」とされています。
古事記にも記されているように我が日本国(豊葦原瑞穂国)は造化の神々によって造られた国であり、神々の後裔(子孫)である日の御子即ち歴代天皇によって、万世一系の連綿と続いてきた皇統によって統治されてきた国柄です。
その天皇によって統治される日本国民も、同じ祖神を持つと云う一体感によって、皇室を中心とした総合的な一大家族制度を形成した国家が我が日本国です。
つまり天孫降臨によって神々と日本国民は固く結びついており、我が日本国民が「神裔」であると云う認識も生じて来たのです。
この様に我が国に在っては国の統治者である天皇もその臣民である国民に至るまで、一様に神の子孫であるという観念があることから、子孫としてその祖先の神々を祀ることも古来より当然の如く行われてきました。
古(いにしえ)から我が国の国風(くにぶり)として「敬神崇祖」、つまり神々を敬い、祖先を崇めることを決して疎かにはしてこなかったのです。
諸事に及んで宮中に範を求めることの多い我々日本国民は、この神祇尊重の心構えを決して忘れてはなりません。
日本人は古来から家に於いて神棚をご奉斎して天照大御神をはじめ氏神様を敬い、祖霊舎や仏壇によって祖先を崇め、季節の年中行事を通してそれぞれの祭儀を執り行い、鄭重にお祭りしてきました。
これは長い間の我が国民の伝統的な精神であります。
また人間の一生を節々に分け、母親のお腹に生命が宿った時の安産祈願に始まり誕生後の初宮など、幼い頃から敬神崇祖、共存共栄の精神を養うべく様々な人生儀礼を定めて其の都度神社にお参りし、健やかなる成長と感謝の念を氏神様に奉告してきました。
この敬神崇祖と云う神国の風儀の最大の実践者、厳修者こそが歴代の天皇ご自身であり、天皇のご日常は宮中祭祀を厳修すると云う敬神生活そのものの毎日であらせられるのです。
わが国は神のすゑなり神祀る 昔の手振り忘るなよゆめ
これは「神祇」と題してお詠みになられた明治天皇さまの御製です。
大意は「神々を祀る昔からの手振りを決して忘れてはならないし、神々の祭祀(まつり)は必ず斎み慎んで臨み、またそのことを怠ってはいけない」と言う事です。
手振りとは、風俗や習慣など外見的に視ることの出来る事柄(外に現れた形式)のことですが、神道に於ける祭祀と云うものはこの「形式」が大事な要素であり、その形式を誤ることなく違(たご)うことなく繰り返すことによって、その祭祀の内側に存在する最も大切な事柄である祭祀の根本的精神が次々に受け継がれ伝えられていくことになるのです。
皇室をはじめ日本国民が敬神崇祖の念をもって祭祀を欠くことなく務める事によって、過去から連綿と受け継がれてきた伝統を子孫へと間違いなく引き継いでいき、また折々の祭儀を奉仕する事でそこに新たな生命力をも加えて行く事によって、日本民族の益々の繁栄が約束されているのです。
この敬神崇祖の念がこれまでの日本人の心に絶えることなく存在してきたからこそ、幾多の国難に遭遇した際にもその場を見事に乗り越えてきたのであり、日本の歴史上最大の危機であった大東亜戦争後の我が国が、今日のような経済的に繁栄した社会を迎える事が出来たのです。
しかしながら昨今、この伝統的美風である我が国の敬神崇祖の観念が消滅しかけ、日本は国家存亡の危機に晒されています。
このような我が国の根幹に関わる日本人の精神面の未曽有の危機に際して、この国難を乗り越える為には、今一度原点に立ち返る以外に道は残されていません。
つまり私達日本民族は、民族の祖神である天照大御神が瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に発せられた国造りの理想を再認識し、その理想に基づく国造りをするの外ないと云う事です。
その理想とは、高天原で天照大御神を中心とした神々が協調する世界を地上で再現すると云う事であり、それは即ち、天照大御神と高御産巣日神(たかみむすびのかみ)の二柱の神によって下された「三大神勅」あるいは「五大神勅」を踏襲すると云う事です。
これらのご神勅は宮中祭祀、神道、また日本国の根幹を為しているものです。
そして天皇と国民の双方が敬神崇祖を怠るべからず、ということが示されているのが三大神勅の一つである「宝鏡奉斎(ほうきょうほうさい)・同床共殿(どうしょうきょうでん)の神勅」と五大神勅の一つである「神籬磐境(ひもろぎいわさか)の神勅」です。
宝鏡奉斎(ほうきょうほうさい)・同床共殿(どうしょうきょうでん)の神勅
吾が児、この宝鏡を視まさむこと、(あがみこ、このたからのかがみをみまさんこと)
まさに吾を視るがごとくすべし。(まさにあれをみるがごとくすべし)
ともに床を同じくし、殿を共にして、(ともにみゆかをおなじくし、みあらかをひとつにして、)
斎鏡と為すべし。(いはひのかがみとすべし。)
意味:御神鏡は天照大神の崇高な御霊代(みたましろ)として皇孫に授けられました。
天皇は御鏡を斎祭(いつきまつ)り、常に大神と御一体となられることで、天照大神は御鏡と共に今に御座(おわ)されるのです。
このご神勅は天照大御神をお祀りする天皇による宮中祭祀の在り方をお示しになられています。
神籬磐境(ひもろぎいわさか)の神勅
吾は即ち天津神籠及(あれはすなはちあまつひもろぎまた)
天津磐境を起樹て(あまついはさかをたてて)
当に吾孫の為に斎い奉らん、(まさにすめみまのみためにいはひまつらむ)
汝天児屋根、布刀玉命、(いましあめのこやねのみこと【忌部氏氏神】、ふとたまのみこと【中臣氏氏神】)
宜しく天津神籠をもちて、(よろしくあまつひもろぎをたもちて)
葦原中国に降りて亦吾孫の為に斎い奉れ。(あしはらのなかつくににくだりてまたあれみまのためにいわひまつれ)
意味:神籠(ひもろぎ)とは神々に降臨していただく依代(よりしろ)であり、磐境(いはさか)とは神域あるいは祭壇のことを云います。
瓊瓊杵尊が天降られるにあたって天照大神より天津神籬(あまつひもろぎ)・天津磐境(あまついわさか)を賜り、天児屋根命と布刀玉命は葦原中国に天津神籬を起こし樹てて、皇孫が天地共に極まりなく繁栄する様にお祀りしなさいと云うご神勅です。
国民は敬神崇祖の神まつりを怠ることの無い様にということをお示しになりました。
この二つのご神勅の通り、天皇は宮中祭祀によって国と国民の為に安寧と弥栄を祈り、国民は家庭祭祀によって天皇の安寧、国家の安泰を祈るという、天皇と国民が双方で祈り呼応し合う事で、日本と云う国、日本民族は天壌無窮(永遠)に栄え行くと言う事が示されているのです。
天皇陛下は宮中三殿にて宮中祭祀を執り行っておられます。
宮中三殿とは賢所(かしこどころ)・皇霊殿(こうれいでん)・神殿(しんでん)の総称です。
賢所に於いては皇祖天照大御神が、皇霊殿に於いては歴代天皇・皇族の御霊が祀られており、崩御・薨去の一年後に合祀され、神殿に於いては天神地祇(てんじんちぎ・国中の神々)が祀られています。
この形は国民が一般的にお祭りする三社宮と形を同じくしています。
三社宮の中心の扉の内には天照皇大神宮(神宮大麻)の御札、 向かって右に産土神(氏神様)の御札、左に崇敬する神社の御札をお祀りします。
つまり宮中三殿の内の賢所が家庭の三社宮の天照皇大神宮の御札に、皇霊殿が産土神(祖霊)の御札に、神殿が崇敬する神社の御札にそれぞれ呼応しているのです。
ご神勅にある通り、天皇と国民がそれぞれ呼応して天照大御神、祖先、天神地祇あるいは尊崇する神々をお祀りする事で、日本の国と国民は天壌無窮に栄え行くことをお示しになられているのです。
ところが近年、政教分離政策の下、宮内庁によって宮中祭祀は次々と簡略化、廃止されていき、国民の側にも敬神崇祖の観念が廃れてきたことから神棚を奉斎する家庭が次々と無くなってきています。
我が国の国難突破の為には、今一度この二つのご神勅を踏襲しなければなりません。
つまり天皇と国民が呼応する国柄であることから、宮中祭祀が次々と簡略化、廃止される状況にあるならば、国民の側が家庭祭祀を復活させ、しっかりと神まつりを行えば、自ずと宮中祭祀も復活の兆しを見せることでありましょうし、天皇陛下がしっかりと宮中祭祀を執り行って下さるならば、国民の神まつりも一層盛んになっていくことでしょう。
天皇、国民の双方が呼応した神まつりが為されることで、我が国は繁栄し続け、天孫降臨の時の高天原で天照大御神を中心とした神々が協調する世界を地上で再現するという国造りの理想が実現するのです。
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