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日本人の死生観

2012年11月 9日 (金)

日本人の死生観

1】「人は死後神となり子孫を見守る」と云う祖霊信仰

日本人は祖先を敬う気持ちがとても篤(あつ)い民族です。お盆を始めとして正月の歳神様をお迎えする行事や春秋の祖霊祭など先祖を敬う神事が数多くあります。

「ご先祖様のお蔭で幸せに暮らせる」「先祖を粗末にすると祟る」とうい考え方は日本人の心に深く伝わっています。

そもそもお盆は仏教の概念ではありません。

仏教の発祥の地であるインドや日本人が持ち帰ってきたところの支那に於いては先祖崇拝は行いません。日本に持ち込まれた仏教がそれまであった日本の神道の祖霊信仰と習合して生まれた行事です。

神道に於いて「死」とは「穢れ(気枯れ・生命力の枯渇)」とされて、忌み嫌われていました。

けれども日本人は古来から、身罷(みまか)った人の魂つまり死霊が丁寧に祀られ鎮まることで、祖霊の仲間入りをして、年月を経て氏神に変化していくものであると考えてきました。

豊かな自然に恵まれた日本では、人間は自然に宿る神の御霊を分け与えられて生きていると考えていました。

そして生前は神と共に生き、身罷るとその御霊は産土神(うぶすながみ)に導かれて祖霊の世界に帰って行き、百年祭を経る頃には氏神となって子孫を見守る存在になるのです。

身罷った後の御霊は子孫によって日々や折々の神事によって丁寧に祀られ、鎮められることで清らかな御霊となり、神となって幽世(かくりよ)から子孫を見守り、正月やお盆、春秋の祖霊祭などの折々の神事によって子孫のところに帰ってくるのです。

子孫たちは自分の家に帰ってくる祖霊を迎える為に「御霊祭(みたままつり)」を行っているのです。

2】人の「死」とは

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人の魂は精神的にも肉体的にも健康な時には胸のあたりに鎮まっていますが、病気や怪我などによって一時的に肉体から離脱してしまいます。

ところが肉体に鎮まることが出来ずに魂が抜け出てしまった時に、肉体の「死」を迎えます。

人間は単に肉体だけの存在では無く、魂魄(こんぱく)、つまり目に見えない霊魂と肉体である魄(はく)とで構成されています。

肉体が死を迎えると、誕生以来霊糸線によって肉体と繋がっていた霊魂は凡そ24時間で肉体から離れます。そして魄としての肉体は火葬されて遺骨となってお墓に埋葬され、霊魂は御霊(みたま)として神道式では祖霊舎(みたまや)で祀られることになります。

魄としての肉体は死後火葬により遺骨だけとなっても、また土葬により腐敗消滅しても、霊魂だけは肉体から離れて存在し続けます。

そして肉体から離れた当座の霊魂は非常に荒々しい状態であり、このような霊魂すなわち御霊は、放置すれば祟り神となり、逆に鄭重に鎮め祀ることで次第に鎮まりまして、やがて一年祭を迎える頃には子孫を守護して下さる祖霊となられ、百年祭の頃には氏神となられるのです。

特に帰幽(きゆう・身罷る事)後一年祭を迎えるまでの御霊は特に荒々しい為、鄭重に鎮め祀ることが大切です。

このことから神道に於ける神葬祭並びに祖霊祭とは魂鎮(たましず)めのお祀りであると言えます。

現世(うつしよ)に生きている者が幽世(かくりよ)の御霊を鄭重(ていちょう)にお祀りして呼応し合う事で、祖霊は子孫を見守る存在となっていくのです。

帰幽直後の御霊を神葬祭で、その後は祖霊として毎年のお盆やお彼岸と云う年中行事や式年祭(祥月命日)を通して鄭重にお祀りすることが我が国の伝統的な祖先崇拝の形です。

特に一年祭・三年祭・五年祭・十年祭・二十年祭・三十年祭・四十年祭・五十年祭・百年祭以降百年毎の年祭は鄭重に祭儀を行う必要があります。

【3】人が身罷った時には産土神に奉告を

人の霊魂はその死と共に産土神社の許に帰ると云う「産土信仰」から、忌服に関わりの無い者を喪家(そうか・喪中の家)の使者として産土神社に遣わし、誰某の帰幽(死没)のことを連絡し、産土神社に於いてはその使者の参列の下に直ちに帰幽奉告の儀を執り行います。

本来は神社に奉告すべきことですが、自宅にある神棚に向かって帰幽の奉告を行うことで代えることもあります。

【4】通夜祭の意義

通夜祭は古代の葬送儀礼に於ける「殯斂(もがり)」の遺風であり、夜を徹して故人の蘇りを願う祭儀です。

命が果てた後、葬儀を執り行うまでの間、喪主以下家族・親族一同が故人の傍(かたわら)に控えて生前同様の礼を尽し、鄭重に奉仕すべき神葬祭の諸祭儀の中でも殊更に重要な祭儀であり、葬場祭(告別式)の前夜に行われます。

昨今、通夜とは単なる葬儀の前夜祭のように捉えられていますが、それは大きな間違いであり、本来の通夜祭とは故人の家族・親族一同が終夜に亘って柩の傍に集まり控えて、その面影を慕いつつ、その功績を称え偲び、再び御霊が肉体に帰り来て生命が蘇る、つまり常世(とこよ)の国もしくは黄泉(よみ)の国に行きかけた御霊が帰ってくることをひたすら祈り願う為に行われる祭儀です。

生饌(せいせん)ばかりでなく故人が生前好んだ品を御饌(みけ・常饌)として供え、誄歌(しのびうた)を奏でて故人を追慕します。

また生前、魂(こん・御霊)は霊糸線(れいしせん)によって魄(はく・肉体)と繋がっていますが、肉体が死を迎えると約24時間かけて霊糸線が切れて魂は魄から離れます。

このことから肉体の死後すぐに葬儀を行って土葬したり火葬したりせずに、通夜祭として葬儀の前に24時間置く意味は、御霊が肉体から完全に離れる為の時間が必要だと言う事です。

この霊糸線が切れる為の時間をとることなく、肉体に何らかの刺激を与える事は、たとえ見た目は死して何の感覚も無い様に思われても、当人にしてみれば生身の体同様の刺激を感じる訳ですから、大変な苦痛を与えられることになります。

ですから昨今、医療技術の進歩によって脳死と判断された場合に臓器移植が行われるようになりましたが、本来の肉体の死を迎える前に、将に生きながらにして臓器を切除されると云う耐え難い苦しみを与えられると云うことになります。

【5】遷霊祭(せんれいさい)の意義

神道に於いて非常に重要な祭儀が遷霊祭です。

遷霊祭は故人の御霊を霊璽(れいじ)・御霊代(みたましろ)に遷し留める祭儀で「移霊祭」とも称します。つまり肉体から離れた御霊を霊璽に遷し留め、後に祖霊と合祀し、祖霊祭祀の際の依代にする為に必要な祭儀です。

遷霊祭を行わない仏式の葬儀では御霊が自力で幽世に帰れなかった場合は、そのまま浮遊してしまうことになります。

霊璽に遷し留められた故人の御霊は五十日祭もしくは百日祭の頃の合祀祭が執り行われるまでは仮祖霊舎に安置され、合祀祭によって一家の祖霊舎(みたまや)に合祀・安置されることで、祖霊の中に加わり末永く家の守護神として祀られます。

御霊が遷し離された後のご遺体は程なく埋葬または火葬され、火葬された場合はご遺骨として墓所に納骨されます。

遷霊祭は神葬祭の意義を考える際に、その前後で意識が二分されると云う非常に重要な祭儀と言えます。つまり、遷霊祭に至る迄の諸祭儀には、再び御霊が帰り来て故人の生命が蘇ることをひたすら願うと云う意識が強くあることに対して、遷霊祭を行って故人の御霊を霊璽に遷し留めると云う事は、その人の死を確定する事であり、これ以降の諸祭儀はご遺体・ご遺骨を永遠の安住の地である墓所に葬る為の祭儀へと変化するのです。

遷霊祭は本来発柩(はっきゅう)に先立って、深夜に灯火を滅した浄暗裡(じょうあんり)、つまり真っ暗闇の清浄な中に斎行されるものです。

出棺が夜間に行われる場合は問題ありませんが、昨今は出棺の前夜の通夜祭に引き続いて、あるいは通夜祭の中に遷霊祭を取り入れて行われる場合が少なくありません。

神葬祭で用いられる霊璽とは仏式で言うところの位牌にあたりますが、所謂位牌とは全く異なるものであります。

霊璽には諡号(おくりな)、つまり成人男性の場合「大人(うし)」、成人女性の場合は「刀自(とじ)」などが墨書されます。

男性の場合、「大人」以外には「若子(わかひこ)・童子(わらこ)・郎子(いらつこ)・彦・老叟(おおおきな)・翁・大翁・君・命・尊」、女性の場合「刀自」以外には「童女(わらめ)・郎女(いらつめ)・大刀自・媼(おおな)・大媼・姫・媛」など死亡年齢や業績に応じた諡号が贈られることもあります。

また裏には帰幽年月日と享年を墨書します。

仏式に於ける位牌には遷霊祭を行いませんのでただの象徴ですが、霊璽は遷霊祭と云う祭儀によって単なる象徴ではなく、故人の御霊をご遺体から霊璽に遷し留めた依代(よりしろ)となります。

遷霊祭を執り行う事によって、生前は一体となっていた魂と魄が分けられ、御霊は遷し留められた霊璽によって祖霊舎で祀られ、ご遺体・ご遺骨である魄は墓所で祀られることになります。

ところで人が帰幽すると陽の気は魂(こん)となり、陰の気は魄(はく)になって、生前一体であった魂魄(こんぱく)が分離します。

「魂」と云う字は「云」と「鬼」から成っています。

「云」は雲で雲気のことを表わしており、人の魂は雲気となって浮遊すると考えられています。

死者にかける衣を魂衣とも言います。

「魄」と云う字は「白」と「鬼」から成っています。

白は髑髏(どくろ)のことで、精気を失ったものを魄と言います。

「魂気は天に帰し、形魄は地に帰す」(礼記)とあるように、人間が死ぬと魂魄は分離しそれぞれは天地に帰ります。 

つまり霊璽では魂を祀り、墓所では魄を祀ると言う事になります。

魂魄双方を鄭重にお祀りする事で御霊は益々鎮まり、祟りなす荒ぶる神に転じないようにしなければなりません。

陽の気である魂と陰の気である魄の双方を祀ることで陰と陽のバランスをとることになります。

【6】守護神としての祖先神

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日本人は祖先が自分達子孫を守って下さる、といった観念をごく自然に持っています。

この事が高じて、亡くなった直近の父母や祖父母が守護や指導霊として守っている、と云うようなことを霊能者や新興宗教の類の人たちが良く口にしますが、実際にはそのような守護霊・指導霊など存在しないので、これは誤った観念です。

守護神としての祖先神とはこの守護霊・指導霊と云うような架空の存在である直近の先祖の御霊が直接的に子孫を守護すると云ったことではありません。

子孫が先祖代々の祖霊を様々な鎮魂儀礼つまり春秋の祖霊祭、御霊祭(みたままつり)、年祭などを通して鄭重にお祀りする事で、次第に御霊が荒ぶる御霊である荒魂(あらみたま)から和魂(にぎみたま)に鎮まっていき、やがては幸魂(さきみたま)、奇魂(くしみたま)となり、子孫が行う儀礼と呼応して子孫を見守る守護神となっていくのです。

そして百年祭を迎える頃には、産土神(うぶすながみ)の一部となり、その産土神から再び分かれて人間として誕生するということになります。

このことから誕生の際の安産祈願から始まり、初宮、七五三、十三詣りなどの人生儀礼に際して、産土神社への奉告と健康への願いを込めた祈願をすることが慣わしとなっているのです。

生まれ出たところの本である産土神に祈願する事で、生児の霊魂が強化され、生命力がついてくると考えられています。

(参考図書並びに図は「知識ゼロからの神道入門」幻冬舎 より転載)